ケンのブログ

日々の雑感や日記

はい それまでよ

2022年02月22日 | 日記歌入り
今日もかなり寒く 午後はゆきになるかと思いましたが 雨でした。

ひな祭りの日も近く お店には雛あられなどが売ってます。

しかし、五月人形ももう目立つところに展示してあります。

商売は 季節を先取りですね。

■はいそれまでよ
植木等さんの「はいそれまでよ」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌ったものをアップします。

聴いていただければうれしいです。

調べてみたら、この歌のリリースは僕が生まれた年、1962年です。

植木等さん主演の映画 無責任シリーズの中の歌です。

僕は、無責任シリーズは、リアルタイムでみたことはありません。

しかし、学生時代にいわゆる名画座で、このシリーズのたぶん半分以上は見たと思います。

まあ、面白かったです。

動画を見ていたら加山雄三さんと植木等さんが一緒にテレビ番組に出演しているものがありました。

女性アナウンサーの司会でこの二人が対談する中で植木等さんはこんなふうに言います。
「加山君は二枚目だった、僕は三枚目だった。この一枚の差が 人生の差になりました」と。

この一枚の差が というところがやっぱり植木等さん役者だなあと思いました。

いま、このような意味で語呂合わせがうまい人って減っていますね。

時代のちがいといえばそれまでですが。

「はいそれまでよ」という歌は、前半がスローテンポ 後半は一気にテンポが速くなります。

クラシックの場合、ハイドンの交響曲の第一楽章に典型的にみられるように、最初ゆっくり入って、途中から急に速くなるという曲はかなり多くあります。

歌謡曲の場合、植木等さんのこの歌ほど、スローから速いテンポに変わるものってそれほどないように思います。

初めてこの歌を聴いた時
ポンコツの自動車がガタンと止まって はいそれまでよ という歌詞の流れがとても面白く感じたことをよく覚えています。

↓植木等さんの「はいそれまでよ」をJOYSOUNDの音源で歌いました。


岐阜マルケ ホームにて

2022年02月22日 | 日記歌入り
■岐阜マルケ
郵便局でチラシを見ていたら「岐阜マルケ」という名前が目に飛び込んできた。

丸いケーキの写真がチラシには掲載されている。

マルケ という文字を見て一瞬 マルシェのなまりかと思ったけれど、なんとなくこれって、また岐阜特有のボケたギャグではなかろうかとのイヤな予感が。

チラシの文字をもっと読んでいくとこんな風に書いてある。

“” 見た目も素材も岐阜まるけ
岐阜には地域ごとのたくさんの特産品があり、
そんな素材「まるけ」の新しいスイーツを
「まるいけーき」に仕上げました。

※【まるけ】岐阜の方言で「~ばかり、~まみれ、~だらけ」の意味“”と。

やはり、そうだったか。

大阪にいたら周りから突っ込み倒されて生きていけなくなるほどの生ぬるい表現。

まあ、大阪にも昔、「天然でんねん」 という名前のペットボトル入りの天然水があったし、サンガリアという廉価な清涼飲料水の会社は僕の記憶によると、国破れて山河あり という漢文の表現をもじってつけたとか、あほみたいな例はいくらでもあるけれど、、、。

しかし、まるけ っていう言い方なつかしいな、、、。

ちらしの注釈には まるけ は「ばかり まみれ だらけ」の意味と書いてあるけれど、子供のころの記憶をたどると、まるけ は 標準語の だらけ とほとんど同意だと思う。

例えば 男はつらいよ の寅さん得意の口上

「結構 毛だらけ 猫 灰だらけ お尻のまわりは くそだらけ」は岐阜弁に置き換えると
「結構 毛まるけ 猫 灰まるけ お尻のまわりは くそまるけ」となる。

単に だらけ を まるけ に置き換えるだけで岐阜の人間が読んだら全く違和感のない文章ができあがる。

そんな風にすぐに格好の例文が思い浮かぶところが僕もこの地に育ったという何よりの証拠とは思う。

ふるさとというのは そういう点でいいものだとは思う。

■ホームにて
中島みゆきさんの「ホームにて」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただけるとうれしいです。

中島みゆきさんの ありがとう というアルバムの中に収録されている歌です。

このアルバムの中では「ホームにて」が最も記憶に残っています。

“”ふるさとにむかう 最終に 乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい やさしい声の駅長が 街中にさけぶ“”

という歌詞を聴いて、僕は、例えば、僕の故郷 岐阜県の 奥美濃の駅とか
北海道の 釧網本線の駅とか、そういう 田舎の無人駅ではなくても、駅員が一人か二人しかいないような 小さな駅を思い浮かべていました。

ほとんど それは 僕にとって絵本の世界の風景のようでした。

歌詞の最後は“”ネオンライトでは燃やせない ふるさと行きの 乗車券“”となっているのであるいは 都会から田舎へのみちなのかもしれません。

都会の駅かもしれないし 田舎の駅かもしれない でも、都会の駅で 駅長が街中に叫ぶということは考えにくい やはり、田舎の駅かなと思います。

まあ、田舎だけれど 違うかもしれない というちょっと不思議なところが、アートの世界のいいところだと思います。

論理的な言葉でとらえることのできる世界はごく限られたものなので、こういう論理性を超えた歌に意味があると思います。

↓中島みゆきさんの「ホームにて」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いました。