■斎藤佑樹さん
今日の読売新聞で元プロ野球選手の斎藤佑樹さんが女子スキージャンプの高梨沙羅選手に関してこのように書いている。
「スキージャンプの混合団体では、スーツの規定違反による失格が問題になりました。高梨沙羅選手がSNSで謝罪していましたが、どうか自分を責めないでほしい。
僕も含めて、応援する人たちは高梨選手が楽しんで飛んでいる姿を見たい。次にまた飛ぶときには、あの素敵な笑顔を見せてほしいと、みんな願っているはずです」と。
これを読んだとき、僕は、いやあ、斎藤佑樹さん さわやかに過不足なくまとめるのがうまい。 これは一つの才能 と思った。
僕の率直な感想として、高梨選手のSNSでの謝罪が報じられてからの、高梨選手への応援メッセージは、なんだか心がこもるあまり逆に仰々しく思えてしまうものもあるな と思っていた。
「僕も含めて、応援する人たちは高梨選手が楽しんで飛んでいる姿を見たい。次にまた飛ぶときには、あの素敵な笑顔を見せてほしいと、みんな願っているはずです」と斎藤佑樹さんがコメントできるのは、きっと斎藤さんのキャラに加えて、ご自分自身も甲子園で優勝したり、プロで思うように勝てなかったり、いろいろ経験されたから、どういう言葉がこういう場合に、過不足がないかということがきっと感覚的にわかっておられるからだと思う。
すごいことだなと感じる。
■女児死亡事件
愛知県一宮市で女児が死亡して、母親の方が殺人未遂容疑で逮捕された事件を報じるニュースが新聞に載っている。
そのニュースの最後はこんなセンテンスで結ばれている。
「(逮捕された)○○容疑者は夫と娘3人の5人家族。近くの20代女性は『公園で親子の姿を見たことはなく、同年代のママ友との交流もなかったようだ』と話した」と。
これを、読んだ瞬間 僕は、それは不必要な情報だと思った。
まだ、容疑者の方は逮捕されただけで、取り調べも進んでいない、ましてや、裁判で、容疑者に公園で一緒のママ友がいないことと事件との因果関係が認定されたわけでもない。
それなのに、どうしてこんな 不必要な情報を書くのだろう。
この情報が、最後に書いてある。最後に書いてあることって最初に書いてあることと同様に目を引きやすいし、それゆえに重要な事柄を最初と最後に書く場合が多い。
公園でママ友がいないことが最後に書いてあると、ママ友がいないことと殺人との間に因果関係があるような印象を与えてしまう。
公園でママ友を作らなくても立派に子供を育てている人はいくらでもいるのにそういう人に対しても失礼だと思う。
大阪の橋下元知事は、最初に書きたい記事がもう決まっていて、自分が記事を書きやすいように誘導尋問的な質問をしてくる記者を、弁護士で鍛えた、論理的思考回路で、徹底的にやりこめておられた。
イチロー選手も、最初から書きたい記事が決まっていて、誘導尋問的な質問をしてくる記者を見抜いて、かなり不愉快そうな態度を示されたこともあった。
この、女児死亡事件の記事を書いた新聞記者も、最初から、容疑者はママ友もいない女だったという記事を書きたくて、公園にでも行って、ママ友もいなかったというコメントをしてくれる人を探して、誘導尋問的な質問をした可能性もかなり高いと思った。
本当に、容疑者になった方の人権も大切という人も少なからずいる中で、もう少し報道の仕方を工夫してほしいと思う。
というか、単に余計なことを書かなければいいだけの話なのだけれど、、、。
■あの娘
中島みゆきさんの「あの娘」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌い、ICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。
聴いていただければ嬉しいです。
“”綺麗ね 可憐ね 素直ね、比べりゃあの娘が天使
妬いても泣いてもあの娘にゃなれない 私じゃ駄目ね“”
というフレーズが印象的です。
「どうして比べるの?比べなくても もともと君はとくべつなオンリーワンなんだ」というタイプの歌よりも
「いやあ、比べたら負けるわ 私ではあかんわ」というタイプの歌のほうが僕の場合は逆にそう快感を覚えます。
こういうのも歌い手と聴き手の相性なのだと思います。
↓中島みゆきさんの「あの娘」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いました。
今日の読売新聞で元プロ野球選手の斎藤佑樹さんが女子スキージャンプの高梨沙羅選手に関してこのように書いている。
「スキージャンプの混合団体では、スーツの規定違反による失格が問題になりました。高梨沙羅選手がSNSで謝罪していましたが、どうか自分を責めないでほしい。
僕も含めて、応援する人たちは高梨選手が楽しんで飛んでいる姿を見たい。次にまた飛ぶときには、あの素敵な笑顔を見せてほしいと、みんな願っているはずです」と。
これを読んだとき、僕は、いやあ、斎藤佑樹さん さわやかに過不足なくまとめるのがうまい。 これは一つの才能 と思った。
僕の率直な感想として、高梨選手のSNSでの謝罪が報じられてからの、高梨選手への応援メッセージは、なんだか心がこもるあまり逆に仰々しく思えてしまうものもあるな と思っていた。
「僕も含めて、応援する人たちは高梨選手が楽しんで飛んでいる姿を見たい。次にまた飛ぶときには、あの素敵な笑顔を見せてほしいと、みんな願っているはずです」と斎藤佑樹さんがコメントできるのは、きっと斎藤さんのキャラに加えて、ご自分自身も甲子園で優勝したり、プロで思うように勝てなかったり、いろいろ経験されたから、どういう言葉がこういう場合に、過不足がないかということがきっと感覚的にわかっておられるからだと思う。
すごいことだなと感じる。
■女児死亡事件
愛知県一宮市で女児が死亡して、母親の方が殺人未遂容疑で逮捕された事件を報じるニュースが新聞に載っている。
そのニュースの最後はこんなセンテンスで結ばれている。
「(逮捕された)○○容疑者は夫と娘3人の5人家族。近くの20代女性は『公園で親子の姿を見たことはなく、同年代のママ友との交流もなかったようだ』と話した」と。
これを、読んだ瞬間 僕は、それは不必要な情報だと思った。
まだ、容疑者の方は逮捕されただけで、取り調べも進んでいない、ましてや、裁判で、容疑者に公園で一緒のママ友がいないことと事件との因果関係が認定されたわけでもない。
それなのに、どうしてこんな 不必要な情報を書くのだろう。
この情報が、最後に書いてある。最後に書いてあることって最初に書いてあることと同様に目を引きやすいし、それゆえに重要な事柄を最初と最後に書く場合が多い。
公園でママ友がいないことが最後に書いてあると、ママ友がいないことと殺人との間に因果関係があるような印象を与えてしまう。
公園でママ友を作らなくても立派に子供を育てている人はいくらでもいるのにそういう人に対しても失礼だと思う。
大阪の橋下元知事は、最初に書きたい記事がもう決まっていて、自分が記事を書きやすいように誘導尋問的な質問をしてくる記者を、弁護士で鍛えた、論理的思考回路で、徹底的にやりこめておられた。
イチロー選手も、最初から書きたい記事が決まっていて、誘導尋問的な質問をしてくる記者を見抜いて、かなり不愉快そうな態度を示されたこともあった。
この、女児死亡事件の記事を書いた新聞記者も、最初から、容疑者はママ友もいない女だったという記事を書きたくて、公園にでも行って、ママ友もいなかったというコメントをしてくれる人を探して、誘導尋問的な質問をした可能性もかなり高いと思った。
本当に、容疑者になった方の人権も大切という人も少なからずいる中で、もう少し報道の仕方を工夫してほしいと思う。
というか、単に余計なことを書かなければいいだけの話なのだけれど、、、。
■あの娘
中島みゆきさんの「あの娘」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌い、ICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。
聴いていただければ嬉しいです。
“”綺麗ね 可憐ね 素直ね、比べりゃあの娘が天使
妬いても泣いてもあの娘にゃなれない 私じゃ駄目ね“”
というフレーズが印象的です。
「どうして比べるの?比べなくても もともと君はとくべつなオンリーワンなんだ」というタイプの歌よりも
「いやあ、比べたら負けるわ 私ではあかんわ」というタイプの歌のほうが僕の場合は逆にそう快感を覚えます。
こういうのも歌い手と聴き手の相性なのだと思います。
↓中島みゆきさんの「あの娘」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いました。