ケンのブログ

日々の雑感や日記

思い出すこと 広島 津田投手

2022年07月27日 | 日記
新聞に景気は後退しているけれど 物価は上昇していると書いてある。

経済のことはわからないけれど それは心配なことだと思う。

なるべく無駄遣いをしないようにとは思うのだけれど、、、。

スポーツ欄を見るとオールスターゲームの結果が出ている。

もうそろそろとは思っていたけれど そうか オールスターゲームかと思う。

テレビを持たない生活をしているとこういう情報は遅れがちになってしまう。

僕はいろいろなことを すぐに過去の記憶と結び付けてしまう癖がある。

1993年の7月に会社の夏季休暇を使って北海道に10日くらい旅行に行った。

北海道の最初の滞在先は函館だった。

函館の飲食店で夕刻 いかそうめん食べていたら カウンターの上に置いてあった14型テレビではプロ野球のオールスターゲームが放映されていた。

飲食店のテレビなので そんなに 熱心に見ていたわけではなく 主に音声を聞いているという感じだった。

その放送の中で 実況中継のアナウンサーが 広島東洋カープの津田投手が ご病気のため亡くなられたことを報じていた。

僕は 夕刻に 函館の ちょっと場末感のある飲食店のテレビで 津田投手が亡くなられたことを知った。

最果ての地の 夕刻 ということもあいまって あれは 僕にとって本当に悲しい出来事だったなあと しみじみと思い出す。

本当に あのニュースを知った時には悲しかった。

津田投手のことをぼんやりと考えながら 函館の宿に戻ってきた記憶がある。
本当に あのときは 陰鬱で悲しい気持ちだったな、、、。

それで 津田投手の 全盛期の動画はないかと思って検索すると 出てくる。

そういう意味では便利な時代だなと思う。

動画で見る 津田投手の全盛期の投球は 壮絶という感じがする。

微妙なコースをボールと判定されたときも特に審判に歩み寄るとか 文句を言うそぶりなないけれど、すごい目で不動の姿勢で 審判の方をじっと見ている。

歩み寄って文句を言われるよりも 審判は こたえるのではないかと想像する。

いやあ 壮絶な投球 壮絶な人生だったのだろうなと想像してしまう。

本当に いろいろな人生があるものだなと思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように 
それを第一に願っていきたい。










おかげさま 栄冠は君に輝く

2022年07月27日 | 日記歌入り
7月26日付の新聞を見ると大相撲名古屋場所で優勝した逸ノ城の談話が載っている。

「師匠、おかみさん、部屋の行司、力士、周りにいるみなさんのおかげです」と逸ノ城が語ったと書いてある。

おかげさんというのは この世界の常套句とは知っていても そういう言葉を見るのはいいものだなあと思う。

最近 スポーツ関係者の口からそういう言葉をきく機会が減ったように思うから。

僕が 小学生のころだから 昭和40年代だと思うけれど 横綱 大関も 個性的な力士が多かったけれど 平幕にも 富士桜とか 黒姫山とか 福の花とか個性的な力士が多かった。

そのうちの誰だかは忘れたけれど そんな平幕力士の一人が横綱に勝ってインタビュールームでNHKのアナウンサーからインタビューを受けていた。

たぶん 横綱 大関に勝った力士をテレビでインタビューするという慣習はそのころから始まったと思う。

インタビューを受ける力士は まだ 相撲が終わったばかりで 呼吸が乱れているということもあったと思うけれど アナウンサーから何を聞かれても 「はい おかげさまで」と何度も繰り返していた。

一緒にテレビを見ていた叔父(母の弟)に「あの力士 何を聞かれても 『おかげさまで』って言ってるね」と僕は言った。

すると叔父は「なっ おかしいな。 あのアナウンサーが後ろから背中押して勝たせてやったわけでもないのにな」と言った。

まあ、それは、それはそうだけれども。と僕は思った。

でも 子供心にも やっぱり おかげさん というのはいいものなのだなときっと僕は感じていたのだと思う。

その当時の叔父とのやりとりを覚えているのだから、、、。

今から思えば あのように 家族で話をしながら 相撲放送を見ることができた時代は幸せだったのだろうと思う。

今は どちらかと言えば 家族で一緒にテレビを見て話し合うというよりも ネットの動画を見て そこに書き込みをするというように時代がシフトしてしまった。

変われば 変わるものだなあと思う。

でも逸ノ城関も優勝できてよかったと思う。

関係ないことだれど 逸ノ城関の顔って少し中国の習近平さんに似ているような気がする。

眼の錯覚かもしれないけれど、、、。

おかげさん ということに関しては 相撲取りのようにたとえ決まり文句でもいいから 普段からおかげさん と言っていると 自然に おかげさんと 思えるようになるということはあると思う。人間は言葉でものを考えると思うから、、、。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高校野球も 各地で代表校が決まったり 地区予選も終盤に来ている。

僕は割と地区予選の結果には目を通すほうだ。

自分の出身地の岐阜そして隣の愛知県 そして 大阪府 あとはいろいろお世話になった人の出身地の結果とかを中心に見る。

いろんな地域の結果を見ていると いまだに 大阪の高校名がもっともなじみがある。

予備校に勤めているとき 僕は ダイレクトメールを送る作業の一部を担当していたことがある。

高校別に 封入物を 微妙に変える ダイレクトメールの送り方をしていた。

その高校の進学実績などによって 封入物を少しだけ変えていた。

そんなせいだと思うけれど 大阪の高校名を見ると その高校が 大阪が9学区だったころはどの学区だったか、とか、どのくらいの進学実績があるか とか頭に浮かぶ高校が多い。

それでも 知らない高校名もいくつかあるなと思う。

たぶん こういうご時世だから 新しく高校ができたというよりも 経営統合などで名前を変えたところが多いのではないかと推察している。

よく 道によって賢し というけれど 自分が仕事で関係していたことはだれしも よく覚えているものだなあと思う。

もう一度 あの頃に 戻りたいとは 思わないけれど あの頃が 懐かしいなとは思う。

■栄冠は君に輝く 

「栄冠は君に輝く」をカラオケDAMの音源で歌い ICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

古関裕而さんの作曲で昭和23年発表と調べたら出ていました。

この頃は 戦争に負けて もう一度 みんなの励みになるような歌を作ろう という気持ちで歌を作っていた人が多いように思います。

この「栄冠は君に輝く」もその最たるものではないでしょうか。

どうでもいいことですが 僕は古関裕而さんと誕生日が同じで そのことを心の中でひそかにうれしく思っています。

大阪に住んでいるころは 思い立って甲子園球場に行って 外野スタンドで一日高校やっ球を見ていたことも何度かあります。

ベストエイト以降にいくと 混んでいるので 大体 一回戦 二回戦ぐらいのころに行っていました。

試合の合間とか 5回の表裏が終わって 球場に水をまくタイミングなどに よく「栄冠は君に輝く」のメロディが甲子園球場に流れていたので 今でも この歌を聞くと 甲子園球場の外野スタンドの光景が目に浮かぶようです。

日本の球場を全部知っているわけではありませんが やっぱり あの球場の雰囲気は独特。 日本一 世界一の球場という人が結構いるのもわかる気がします。

↓「栄冠は君に輝く」をカラオケDAMの音源で歌いました。