goo blog サービス終了のお知らせ 

ケンのブログ

日々の雑感や日記

建国記念の日

2019年02月11日 | 日記
建国記念の日。
今日も曇り模様で寒い。
昨日のブログで日がてったら暖かくなった
という意味のことを書いたけれど
あれは室内で書いていて
書き終わったあと外に出たら寒かった。
やっぱり寒いやんとおもった。
書いてから違っていたことに気づいて
しまったと思うことが時々ある。
言ってしまってからしまったいわなきゃよかった
と思うこともあるけれど。
喫茶店に入ると近くの席で
70過ぎの女性が二人で
話していて二人とも仲良く
女性はよく話がはずんでいていいなと思う。
「嫁は全然料理せえへん。
私がたまに嫁におかずつくっていってあげるとな
次の日に孫が、私の弁当全部おばあちゃんが
作ってくれたおかずやったで、と言ってくるんや」という
言葉がでたとたん急に声が大きくなり
あとはあの人はこうこの人はこう
という話のオンパレード。
まあ、こわいなとも思う。
嫁や、あの人この人の前ではどんな顔で
話しているのだろう。
まあ、何事も時と場合に応じて切り替えが
大切ということなのだろう。
山田征さんという方の本を読んでいると
直感を大切に。
直感でおもったことを理屈で判断し直そうとすると
それはもう直感としての働きを失ってしまいます
という主旨のことが書いてある。
金光さんは食事の時、もうこれでよい
と思ったときが食事のやめ時。
それをもう一杯、もう一杯と食べるから
それが我食い、我飲につながって
体を壊す。
という主旨のことをおっしゃっている。
もうこれでよいという直感が大切ということなのだろう。


寒さがぶりかえす?

2019年02月10日 | 日記
ここ2日ほど寒さがぶりかえしたかなと思う。
立春過ぎているけれどやはりまだ寒さは続くなと思う。
今日M神宮のお茶会にいったら
待ち合いのお軸にはウグイスが鳴いて
緑が河に満ちるという意味の漢字が書かれていた。
正確に覚えておこうと思ってその場で10回くらい
繰り返して読んだけれど
結局忘れてしまった。
早春賦という唱歌の歌詞に
春は名のみの風の寒さやとあるけれど
まさに今の時期は春とは名ばかりの
風の寒さということが多くて
この季節はこの歌の歌詞をしばしば思い出す。
しかし、日が照ってくるとやはり
ちょっと暖かいなと思う。



心構えは大切

2019年02月09日 | 日記
今日は朝、空一面かなり曇っていた。
曇りと言ってもいろいろその度合いがあると思うけれど
かなりどんよりと曇っているという感じだった。
僕はマンションの部屋の中からガラス越しに
外を見ていても曇っていることはわかっても
雨が降っているかどうかは判別できない。
だから、外に出て初めて雨が降っているかどうか
気づくことになる。
今日はかなりどんより曇っていたけれど
雨は降っていなかった。
そういうこともあるんだなとおもった。
ネットで気象情報をみると僕がすんでいる地域の
降水確率はほぼいちにち20パーセントになっている。
いつか、どのくらいの降水確率で
傘を持つべきかというのをネットで調べてみたことがある。
もちろんサイトによって意見にばらつきはあるけれど
僕が見たいくつかのサイトは
確か降水確率40パーセントが
雨以外の予報では最も高い降水確率で
そこが傘を持ってでるかどうかの
ひとつのボーダーラインと書いてあった。
そのセオリーで行くと降水確率
20パーセントと言うのは
曇っているわりにはそんなに高くない
降水確率だと思う。
特にどんよりと曇っているのに。
いやあ、でもこれだけどんより曇っていたら
降るんじゃないの?と思って外に出たけれど
おかげさまでこれまでのところ
雨は降っていない。
気象情報の精度って結構高いのかなと思う。

金光さんの言葉と言うのは読んでいて
面白いなと思うものがいくつかある。
やはり金光さんは男の神様なので
気合いが入っているのだと思う。
鐘はたたきこわすつもりでつけ、壊れはしない。
というのがその言葉にあるけれど
なんか気合いが入っているなあと思う。
映画男はつらいよで、とらさんが
神社で思いっきり本殿の前のどらを
ならしたらそのどらがしたにポトンと落ちたことはあったけれど、、、。
同じく金光さんの言葉に
信心するものは夢もうかつに見るな、
夢で神様が教えてくださることもある。
というものもある。
まあ、時にはそういうこともあるのかもしれない。
町を歩いていてすずめなどの生き物に目がとまるときは
信心するものは犬や猫にでも敵を作るな
という金光さんの言葉を思い出す。
お釈迦様はただほめられるだけの人
また、逆にただけなされるだけの人はいない。
過去にも現在にも未来にも、とおっしゃったけれど
犬や猫にも敵を作らないようにというのは
心構えとしては大切なのだと思う。

他愛ない自慢

2019年02月08日 | 日記
本当にもう二月も一週間あまりがすぎて早いなと思う。
ずいぶん以前に会社で私の誕生日は二月八日
針供養の日と言っていたかたがいらして
それで二月八日針供養の日と覚えた。
針供養って何をするのかよく知らないけれど。
なくなった母方の祖父の命日が
二月八日で毎年この日は
そのことを思い出す。
朝、ラジオを聴いていたら東北の人がゲストに出ていた。
その人は高校の時野球部で
なんとあの菊池雄星投手と対戦したことも
あるとのことだった。
女性の司会者が結果はどうですかと質問したら
「ピッチャーゴロでした。
でもメジャーリーグへ行くピッチャーの球を
バットに当てたのだから、今では
ピッチャーゴロでも自慢です」と言っていた。
なんかそういう自慢は嫌みがなくて
コミュニケーションの潤滑油になっていいなと思う。


卒業してからもう

2019年02月07日 | 日記
立春過ぎて今日も暖かい日になっている。
あるかたに暖かいですねと声をかけていただいて
そういえば暖かいなと思った。
昨日は雨のち晴れで雨がやんでから
暖かくなったりしたのでちょっと
感覚が鈍感になっていたのかもしれない。
ラジオでは明日からまた寒くなるといっている。
こうやって寒暖を繰り返しながらだんだん
本格的に春になっていくのだと思う。
とはいうものの暦の上ではもう立春をすぎて
春。
そういうことをいろいろ意識するようになる。
春と言えば卒業のシーズン。
春と言えば卒業も意識する。
卒業と言えば尾崎豊のそのなも卒業という
歌がある。

歌詞のさびの部分で
夜の校舎窓ガラス壊して回った
と何度も歌われる。
決してほめられた歌詞の内容ではない。
尾崎豊のライブの映像をみると
もう汗まみれになって
ピアノの上に半分よじ登るようにして
半狂乱のように歌っているものもある。
こういうのを見ていると
なんか決してよいものではないのかも
しれないけれどそれでもなにか心が
引かれるなという部分はある。
世の中にはむちゃくちゃだけれど
なにか心を引かれるというものが
きっと一定数あるのだと思う。
もちろん尾崎豊の歌詞のなかに
反抗的な部分と真面目な部分が
共存しているから魅力があるという部分が
大きいのだけれど、、、。

ドリカムの未来予想図Ⅱも歌詞のなかに
卒業という言葉が出てくる。

卒業してからもう三度目の春
あいかわらずそばにある同じ笑顔

ずっと心に描く未来予想図は
ほらおもったとおりに
かなえられてく

歌のシチュエーションは
学校を出てから三年ほど経過して
学生の頃の恋人とまだ続いていて
それで二人の未来を思い描いている
きっとそんな感じなのだと思う。

90年代の中盤に
この歌の歌詞を印刷して
クラスの子に配った女性の
クラス担任が僕が勤めていた予備校にいた。

人の書いた歌詞を印刷して配るなんて
そんなあほな、と思っていた。

心に描く未来予想図は
ほらおもったとおりに
かなえられてく
って
そんなおもったとおりにいかないから
みんな苦労してるんやんと
思っていた。

ただ、未来予想図がおもったとおりにかなえられてくって
現実にはなかなかむずかしくても
せめて歌の中でくらい
思い描いたとおりにかなえられてくという物語が
あったほうがいいとさいきんよく思う。

理想の形が心のなかに
あるのとないのではきっと現実のありかたが
変わってくるのだろうと思う。