ケンのブログ

日々の雑感や日記

曇り空

2019年03月19日 | 日記
曇り空で時々雨が降るお天気。
しかし、気温は暖かい。
だんだん本格的に春になるなと思う。
中島みゆきさんの曲で
冬を待つ季節というのがある。
春夏秋は冬を待つ季節
とサビの部分で何度も歌われる。
そのサビ部分を心の中で唱えていたら
これから暖かくなるけれど
今から半年後つまり九月の下旬になると
もうこれからだんだん秋になり冬になる時期なんだなと少し思った。
もちろん半年を長いと感じるか
短いと感じるかはその時次第だけれど、、、。

スーパーマーケットの花売り場を見ると
もう数日前から売り場がお彼岸仕様になっていて
それ用のいろんな花束を売っている。
今の時期に出回る花を組み合わせて
うまく花束を作っている例が多いように思うけれど。

イギリスがEU離脱でいろいろ右往左往しているようで
ニュースが連日出てくる。
このニュースはイギリスの国情
例えば北アイルランド問題などが
何もわかってないので
読んでもなんしかもめているということしかわからない。
しかし、新聞で見かけるメイ首相の険しい表情を見ると
イギリスも相当厳しい状況なんだなとしみじみと思う。
僕がすんでいる大阪も同じ政党の中で
市長と府知事の人事異動を行うような
ちょっと素人には分かりにくい選挙になりそうな
状況だ。
どんな状況であっても日々が無事に過ぎていきますようにと祈りたい。

やってできることじゃない

2019年03月18日 | 日記
昨日、大相撲大阪場所中日
白鵬との栃煌山の一番
白鵬は栃煌山のいなしに相手に
背後をとられてしまった。
一瞬白鵬の左腕が相手の肩の付近に
触れたそのタイミングで小手投げ。
もう勝つとしたらあのタイミング
あれ以外にないという勝ち方だった。
相手に背後を取られるのは
相撲全体の流れが白鵬にしてはぎこちないから
と思いつつも、あそこまで相手に
背中を向けて勝つのはさすがと思った。
小手投げといっても相手の腕を決めるように
深く小手に振ったわけではなく
とても浅い小手投げ。
あれで決まるというのはよほど
タイミングとその瞬間の思いきりがいいから。
あの決まり手を見てしばらく時間がたってから
過去の横綱のことを思い出してみた。
僕の記憶にあるかぎり
あそこまで相手を背中に回して
逆転を決める横綱の相撲ってちょっと思い出せない。
やはり白鵬のあの相撲は
すごいことなのだなあとしみじみと思った。
ネットのニュースを見ていたら
昨日の白鵬の相撲に関する北の富士さんの
コメントが載っていた。
「こんな相撲を取れるのは白鵬しかいない。
やってできることじゃない
あそこまで相手に背中を見せて
どうしたって力がでない。
からだが柔らかいということもあるけど
いわゆる勝負勘だね」と。
やってできることじゃないって最高の誉め言葉。
白鵬の才能に言及しているわけだから。
すっとその場で
才能をたたえる言葉がとっさに出るというのも
またやってできることではないのだけれど、、、。
しかし、そういうことができるのも
日々の積み重ねのあることが前提だと思う。


京都市交響楽団第632回定期演奏会

2019年03月17日 | 音楽
昨日は京都コンサートホールに京都市交響楽団
第632回定期演奏会を聴きに行った。
指揮は広上淳一さん
マーラーの交響曲第7番ホ短調が演奏された。
マーラーの7番を生演奏で聴くのは
もう何年前か忘れてしまったけれど
シンフォニーホールで若杉弘指揮
東京都交響楽団で聴いて以来だ。
きっとあれから30年近い歳月が経過しているように思う。

第一楽章
遅めのテンポに聴こえる。
楽想の変化に応じて
テンポを変動させるということも
それほどないように思える。
メロディーを切なくたっぷりと歌うというわけでも
なさそうだ。
なんか、地味な演奏という印象を持つ。
管楽器も音がそれほど大きくなることもなく
なんだか抑えぎみであるように思える。
ただ、音が小さくなったところ
例えばファーストバイオリンのソロが出てくるところなどでは
色彩感が豊かで美しいと感じる。
楽章の最後の音の残響がかなり長く
感じられたことが印象深かった。

第二楽章
ホルンのファンファーレに続く
多くの木管の掛け合いはかなり美しい。
続くマーチ風のアクセントの鋭いリズムを
聴いてこの楽章の演奏はかなり
いいなと思う。
曲想に応じた演奏の切り替えも美しいと思った。

第三楽章
管楽器と掛け合いながら
弦楽器がおどろおどろしい旋律をきざむ。
かなりつっこんだ表現ではあるけれど
弦のアンサンブルがもっとクリアなものであれば
という思いが胸をよぎる。

第四楽章
まずまずの演奏と思う。
楽章の後半で演奏が盛り上がっていった。

第五楽章
広上さんはこの楽章の冒頭
それほどはでなゼスチャーをなさるわけではない。
演奏もちょっと抑え気味の入りかたかなと思う。
過去に聴いた他の指揮者のCDの印象から
もう少し怒濤のような展開を思い描いていたので
そういう印象を持ったのかもしれない。
それほど金管が華麗に響くというわけでもないし、、、。
第一楽章同様、地味な演奏なのかなという印象を持つ。
テンポの変化も比較的少ないように思った。
抑えぎみに聴こえるのは演奏者の方針なのかもしれないけれど
躍動感という側面からはやや物足りなく感じるのも事実と思った。
楽想が転換するポイントでかなり長く
休止をとっていたのが印象的ではあった。
音が小さくなると演奏が美しくなる。
今日の演奏は全体的に音の小さいところが
聴かせどころなのかなとも思う。
それでも楽章の後半になると
音の大きいところでも演奏が昇華するように
盛り上がっては来た。
コーダに向かって演奏がだんだん加速。
最後の方でクラリネットが
トランペットのようなかまえで演奏されていた。
ああいうかまえははじめてみた。
ひょっとしたら楽譜にトランペットのようなかまえで
と書いてあるのかもしれないと思った。
最後はそれなりに盛り上がったと思う。

演奏が終わったあとでお二方が今年で
退団になるということでセレモニーがあった。
このオーケストラは3月にこういうセレモニーが
あることが多いなと思う。
今年退団のテューバの方に花束を渡すかたが
泣いていた。
それを見てちょっと僕もうるっと来た。
広上淳一さんが演奏後のトークで
京都市交響楽団は来日する外国のオーケストラと
比べても遜色ありませんというようなことをおっしゃっていた。
確かに演奏によってはヨーロッパのオーケストラが
演奏していると聞いたら信じてしまいそうに
うまいなと思うこともある。
でも、昨日の演奏を聴いたあとで
外国のオーケストラと比べても遜色ないと言われても
ちょっと微妙、。と思ってしまった。
でも、また新年度の京都市交響楽団にも
期待したいなと思った。

イパネマの娘

2019年03月16日 | 日記
僕が予備校に勤めていた頃
Gさんという女の子がバイトに来ていた。
彼女はある秋に大学の願書を府県別に
仕分けする仕事をづっとしていた。
「大学の願書仕分けしてるの」と僕は言った。
「はい。大学の名前と所在地が
これで大体覚えられました」とGさんは言った。
前向きな受け答えをする子だなと思った。
昼休みの食事の時間に時々Gさんと一緒になった。
Gさんは高校の時ブラスバンドで
クラリネットを演奏していた。
「年に、一回東京の普門館にブラスバンドの
全国大会を聴きに行くんです」と彼女は言った。
「もうあれ聴くと心にグーっと来ます」
まあ、グーっとくるタイプの子なんだなと思った。
彼女はウルフルズの躍進を当時期待していた。
あるとき彼女がボサノバの話をした。
「ボサノバって何」と僕は聞いた。
「○○」と彼女はボサノバの曲を言った。
「それ知らない」と僕は言った。
「△△」と彼女はもうひとつボサノバの曲を言った。
「ごめん、それも知らない」と僕は言った。
「イパネマの娘」と彼女は言った。
「わかった」と僕は言った。
あのときは本当にわかったと思った。
わかるまで3曲も具体例をあげてくれて
本当にいい子だなと思った。
セルフサービスの珈琲店に入ると
スピーカーからイパネマの娘が流れている。
この曲を聴くとGさんのことを思いだす。
あるとき僕の上司が
Gは頭もエエし性格もエエと言っていた。
なんや、上司もそう思っとるんか
と僕は思った。
指をおって勘定すると
彼女も今年の秋で43才だなと思う。
本当にはやいな。
イパネマの娘

だんだん暖かく

2019年03月15日 | 日記
日中は本当に暖かくなってきていて
春だと感じる。
日がくれるとまだ気温が下がり
一日のうちの気温のさが大きい。
これも順次だんだん暖かくなっていくかなとおもう。
ラジオを聞くと花粉情報をやっていて
多いとか非常に多いとか言っている。
そういう情報を聞いて対策できるのはいいなとおもう。
しかし、あまり花粉、花粉と言っていると
それで暗示にかかるひともでてくるかもしれないと
つい思ってしまう。
なるべく情報は役に立つように活用していきたいものだなとおもう。