ケンのブログ

日々の雑感や日記

大阪都構想再度否決

2020年11月03日 | 日記
大阪市を廃止し4特別区を新設する大阪都構想の住民投票が百分率にして50.63%対49.37%の僅差で、本当に紙一重の僅差で否決されたニュースを見たとき「天理教の信仰の中に、なってくるのが天の理というのがあるんです」という芹沢光治良さんの人間の運命という小説のある登場人物が語った言葉を思い浮かべた。

本当になってくるのが天の理としか考えられないような僅差だと思う。

僕が購読している新聞の大阪本社の社会部長が

「政令指定都市の大阪市を廃止し、4特別区に分割する過去に例のない荒療治が、思惑通りに財政効果を生むのか、コスト増を招くのか。身近な住民サービスは維持されるのか。
多くの懸念に対する答えは、結局のところ『やってみなければわからない』という域を出なかったと思う。

だから、予想のできないリスクを負ってでも都構想に賭けたいという気に市民もなれなかった。投票結果はこう読み解くことができるだろう」
と書いておられる。

本当にそのとおりだと思う。

都構想がどういうものか、専門的に勉強する時間と根気はとても僕自身なかったし、ちょっといろんなサイトを調べてみても検索の上位に来るサイトは、書き方からしてはじめから都構想に反対のサイトか、賛成のサイトかわかるような書き方がしてあり、都構想が中立公平にかつわかりやすく書いてある情報に僕自身もなかなか接することができなかった。

新聞には一般市民のコメントも載っているけれどその中に会社役員の方の「賛成派、反対派の主張が噛み合わず、根拠となるデータも違いすぎ判断材料にならなかった」というものがあったが多分この方もサイトなどで調べた結果きっと僕と同じような感想を持たれたのだろうと思う。

前回の都構想論争のときに、大阪市がなくなれば大阪市域に住んでいる人は大阪府全体の税収の再配分という点で損をするという主旨の主張をしておられた大学の先生がおられたと記憶している。今回は、そういう大阪府全体での税収の配分ということもなにか具体性のある話はあまり聞かなかったように思う。

ただ、直感的に考えると大阪府の中でももっとも中心的な市である大阪市が解体されて大阪府と一体化するということであるならばなんとなく大阪市民はは税収の再分配という点では損をしそうにも思う。

まあ、こういう投票や選挙のときは税金のことは極力話題にせず、投票の結果が出てから、税金はどのように集め分配するかという具体的な話になるのは政治の常であるわけだけれど、、、。

ジャーナリストの田原総一朗さんが「大阪市が特別区に分割されると、市域のことを決める主体性が奪われてしまう。そこに自民党や共産党の市議会議員を中心とする働きかけが浸透した」と新聞で指摘しておられるけれど、税の再分配ということも含めて結局そういうことになるのではないかと思う。

また、自分たちのことを比較的自分たちで決めやすいということも地方自治の意義の一つであるわけだし。(僕が中学生くらいの頃は地方自治は民主主義の学校と学校でならった)

前大津市長の越直美さんが新聞の紙面で

「大津市は中核市だったが、それでも経済や観光といった分野では滋賀県との役割の重なりを感じる部分はあった。都道府県に匹敵する権限を持つ政令市であれば、なおさらで、当然、そこに首長同士の対抗意識も生まれる」と今回の都構想に一定の理解を示しつつ

「日本はこれから人口が減少する。大阪市が政令市として存続しても、税収は減り、これまで通りの行政サービスが維持できるとは限らない。行財政改革はすべての自治体の課題であり、今後も政令市の枠組みの中で進めていく必要がある」と紙面での言葉を結んでおられる。

昨日の新聞を読んでいて、その中では、今回の大阪都構想が現れてきた背景を最も簡潔、かつ適切に指摘したコメントであると感じた。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     


1万日の稽古

2020年11月01日 | 日記
プロ野球は両リーグの優勝が決まった。

近年、プロ野球への興味がだんだんなくなってきてしまった。

なので6月の下旬にシーズンが始まったときは、そんな遅い時期からシーズンが始まってもきっと100試合もできないだろう。昔の、パ・リーグの前期、後期制のときのように、もう80試合程度の短期決戦で優勝が決まるものと思っていた。

それがシーズンも終盤に近づき各チームが消化した試合、そして残りの試合を計算すると今シーズンはこんなに遅く始まっても120試合もやることになる。

いやあ、すごいことと思う。

本当に休みもなしで連戦、連戦で選手も監督、コーチも大変だったろうと思う。

本当にプロってそういうところでもすごいなと思う。

新聞の総合欄に、米国で10月30日にコロナの新感染者が9万9千人あまりに上りこれは一日あたりの感染者としては最多の記録と書いてある。

本当に一体どこまでこのコロナ続くんだろう。新聞には米国の保健当局は冬場には屋内の活動が増えて感染リスクが高まると見て警戒を強めていると書いてある。

米国と日本で生活様式が違うとはいうものの日本でも寒くなればそれは屋内に入りだがる人が多くなるだろう。

またインフルエンザは冬に流行しやすいという、本当に心配。

なんとか無事に乗り越えられるようにと願っている。

また新聞のコラムには東京五輪のカヌー代表に内定した羽根田卓也さんが宮本武蔵の五輪書に書いてある
「千日に稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする」という言葉を読んで自らを叱咤激励したという主旨のことが書いてある。
そうか宮本武蔵の本にそんなことが書いてあったのかと思った。

自分の人生を振り返ってみて確実に1万回以上繰り返していると思えることはベートーヴェンの交響曲第5番を聴くことくらいか、まあこの曲はたぶん1万回以上は聴いていると思う。

しかし、本を読んだりしながら聴いているのでそれだけ聴いても全曲を諳んじることなんてとてもできない。やはりこういうのは楽譜を見ながら集中してやらなくてはだめだと思う。

同じ1万回と言っても質まで問われるのだろうなと思う。

1万日といえば約28年くらい。そのくらい続けられることがあるといいのだけれど。

まあ、いろいろ努力はしていきたいと思う。




航空 鉄道の赤字

2020年11月01日 | 日記
コロナで航空会社や鉄道会社の赤字は本当に目を覆いたくなるような数字が新聞に出ている。

鉄道や、航空って民間とは言うものの半分官業のようなイメージを持ってきた。それがなければ、国のインフラの問題に直結するからいざとなれば国をあげて助けるだろうというイメージがどこかにつきまとう。

しかし、全日空の赤字による人員の出向で、出向先で待っている仕事内容を新聞やネットで見るとやはり厳しいなと思う。

全日空からの出向社員が出向先でする仕事のリストに並んでいるのは次のような仕事だ。

来店対応 セミナー受付 電話対応 データ入力 コールセンター 営業本部社員に対する英会話講師

今どき、このような業務を正社員がやっている会社って珍しいだろう。ほとんどが派遣社員とかパート社員がするような仕事ばかり。

データ入力なんて普段やっていない人がやってもパート社員の半分くらいのスピードでしか入力できないのではないか。

半分できればまだマシな方と思う。

同一労働、同一賃金がこれからの時代の趨勢ということで安倍総理大臣が随分音頭をとってきた。

あの人、正社員の給料もらってデータ入力しているのにパートの私の半分も入力できてない。
給料泥棒だ、といってパート社員にいじめられる人が出てくるのは必至のようにも思える。

直接いじめられることはなくても、人事課の方にあの人正社員なのにパートの半分も入力できていないとチクる人が出てくるのは今どきの会社でよくあるパターン。

そして、人事課から正社員が呼び出されて「君、もうちょっとしっかりやってもらわんと、パート社員への示しもつかんからな」などど叱咤激励を受けることもあるだろう。

パート社員の人も今は雇用が厳しくなっているから、あの人は出向社員だから別というふうに割り切って考えられる人はそんなにいないように思える。

これは会社に勤めたことのある人なら、そして経営が厳しい状況に陥った会社に勤めたことのある人ならなんとなく想像できることと思う。

英会話講師も普通は時間給でする仕事だ。

そして英語が話せるということと、英会話を教えるということはまた別の能力。

もたもたしていると授業評価が下がって、生徒になめられることもある。

予備校の講師とか英会話の講師は、生徒が先生を評価して、生徒の評価によって講師の時間給が決まるようになっている。

僕が勤めている会社は、予備校と英会話学校を中心に営んでいたけれど、生徒が講師を5段階で評価する、その評価によって講師の時間給が決まるというのが基本的なしくみだった。

もちろん生徒からの評価があまりにも低いと翌年の授業は持たせてもらえない。つまり契約を切られるということ。その点は戦力にならないプロ野球選手が契約を切られるのに似ている。

そういう世界に航空業界の正社員でやってきた人が飛び込むのはやはり厳しいものがあると思う。

人材をつなぎとめておくために出向という形をとると新聞には出ているけれど、まあ、耐えられなくなってやめる人が相当数出る可能性も十分にあるように思えたりする。

こういうときに、なんとかそれでも出向先でやっていこうとするならば、もう、社員の座にしがみつくためにはどんな屈辱にも耐えるという割り切りを持つことが大切と思う。

そういうふうに割り切ってしまいさえすれば意外とこういう困難は乗り切りやすい。

僕が勤めていた会社も、業績が傾いてきたときに最後まで生き残ったのは、もう恥も外聞も捨ててなんでもすると割り切れるタイプの人だったように思う。

本当にどんなところに勤めていても厳しい時代になったなあと思う。

なんでこんな時代になってしまったのだろう。

例えば流行歌一つとっても、昭和の時代は、あなたが好きと素直に歌う歌が多かった。

今は歌詞の中に「何もかも自分を正当化して生きるのはもうやめよう」などと本当に昔なら考えられないような理屈っぽい歌詞の流行歌もいっぱいある。

歌は世に連れ、世は歌に連れという文句があったけれど、時代も変わったなと思う。

その中でもなんとか平穏無事に生きていけるようにと自分自身は願っている。