僕がよく行くマクドナルトは夏場は座席はソーシャルディスタンスということで、この座席には座らないでくださいという張り紙がしてある座席がかなりあった。
秋口になってそういう座席をあまり見かけなくなり、だんだんお店の方針も変わってきたのかなと思った。
特に若者はもう秋には街に繰り出すようになり、あまりソーシャルディスタンスを厳密にしすぎると席にあふれる人がかなり多く出て混乱をきたすということもあったのだと思う。
まあ、僕は座席が余裕を持って使えることはありがたいことと個人的には受け止めていた。
ところが数日前、マクドの座席で新聞を読んでいて、この寒さは一体何なんだと思った。
寒いのは僕だけかと思ってみると、周りの人も店の中でコートを着たりしている。
やはり寒いのは僕だけではないのかと思った。
換気をしているせいなのだろう。
僕がいた場所からはどこの窓が空いているかまでは確認できなかったけれど。
マクドで爽健美茶Sサイズ100円で長時間新聞を読んだりするのはさすがに気が引けるのでMサイズ200円を注文するようにしている。
でも寒くてとても爽健美茶を最後まで飲むことはできなかった。
中身の半分くらいを帰りに所定のタンクに放してしまった。
まあ爽健美茶の200円は座席を利用させてもらう値段と思っているのでそれで特に損をしたとは思わないけれど。
寒いのはマクドだけではない。
電車も窓を開けて走っている。
昼間はまだいいけれど、この時期、日が暮れて冷え込んできてから電車が窓を開けて走るとかなり体にこたえることがある。
僕は外気が寒いのはそれほど気にならない。外では割とさっさと歩く方なので歩いているうちに体が温まってくるからだ。
しかし、電車の中でじっとしていて、窓から強烈に冷たい風が入ってくるのは体にこたえる。
窓から入る冷たい外気は扇風機の風と同じで身体のすべての部分に均等に当たるのではなく、身体の特定の部位に集中的に当たることが多い。
僕は体質的に、この身体の特定の部位に冷気が当たるというのが苦手でしゃっくりが出てきてしまう。
コロナ対策で窓を開けて電車が走って、体調に変調をきたして、風邪でも引いたら、抵抗力がおちてコロナに感染する可能性はたかまるのではないのか。
本当にコロナだけでなく人の健康全体をトータルで考えて最大多数の最大幸福のためになにをしたらいいのか、ということに対して、どうやら現在の科学は答えを与えてくれていないように思う。
老人ホームなどでもコロナ対策と言って、家族との面会をなしにしたら、それで孤独感を覚えて体や心の不調をきたす人は逆に増えたというような記事も新聞に載っているし、、、。
今日の新聞にも、これから年末にかけてかきいれどきの飲食店の悩みとして
窓を開けっばなしは寒い。
高機能な換気設備は価格が高い
というジレンマに悩むお店が多いと出ている。
本当に自粛、自粛と言い過ぎると経済がだめになってしまう。
全日空は例年3000程度採用するところを来年度は200人に減らす予定と新聞に出ている。
本当にコロナも怖いけれど、経済の落ち込みもそれ以上に怖いようにも思える。
新聞にはオバマ前大統領の回顧録が出版されたと出ている。
その中でオバマさんは
日本を訪れたとき彼が天皇 皇后両陛下に深々と頭を下げたことが米国内で大きな物議を醸し出したが、オバマさんは「米国の右派が恐れや不安から正気を失った」などど記し、批判は不適切だとの考えを示したと出ている。
本当に恐れ、不安が人間の考えをあらぬ方向に導いてしまうことはよくあることで私達が心にいましめとして、常に自分に言い聞かせるべきことと思う。
僕は立冬をすぎるとクリスマスソングが恋しくなる。
クリスマスソングの中でも名曲中の名曲と言って差し支えないジョンレノンの
ハッピークリスマスのサビの歌詞はこんなふうになっている。
A very merry christmas
and a happy new year.
Let’s hope it’s a good one
without any fear.
“”メリークリスマス、そして良い年を。
それが恐れのないものであることを願おう。“”
本当に恐れのないものでありますようにと僕も願わずにはいられない。
そして恐れというのは、客観的な根拠から発生するものではなく、むしろ主観的な思い込みから生まれることが多いということを私達は心にとどめておくべきだと思う。
ジョンレノンのハッピークリスマス 女性による素晴らしいカバーです。