ケンのブログ

日々の雑感や日記

1万日の稽古

2020年11月01日 | 日記
プロ野球は両リーグの優勝が決まった。

近年、プロ野球への興味がだんだんなくなってきてしまった。

なので6月の下旬にシーズンが始まったときは、そんな遅い時期からシーズンが始まってもきっと100試合もできないだろう。昔の、パ・リーグの前期、後期制のときのように、もう80試合程度の短期決戦で優勝が決まるものと思っていた。

それがシーズンも終盤に近づき各チームが消化した試合、そして残りの試合を計算すると今シーズンはこんなに遅く始まっても120試合もやることになる。

いやあ、すごいことと思う。

本当に休みもなしで連戦、連戦で選手も監督、コーチも大変だったろうと思う。

本当にプロってそういうところでもすごいなと思う。

新聞の総合欄に、米国で10月30日にコロナの新感染者が9万9千人あまりに上りこれは一日あたりの感染者としては最多の記録と書いてある。

本当に一体どこまでこのコロナ続くんだろう。新聞には米国の保健当局は冬場には屋内の活動が増えて感染リスクが高まると見て警戒を強めていると書いてある。

米国と日本で生活様式が違うとはいうものの日本でも寒くなればそれは屋内に入りだがる人が多くなるだろう。

またインフルエンザは冬に流行しやすいという、本当に心配。

なんとか無事に乗り越えられるようにと願っている。

また新聞のコラムには東京五輪のカヌー代表に内定した羽根田卓也さんが宮本武蔵の五輪書に書いてある
「千日に稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする」という言葉を読んで自らを叱咤激励したという主旨のことが書いてある。
そうか宮本武蔵の本にそんなことが書いてあったのかと思った。

自分の人生を振り返ってみて確実に1万回以上繰り返していると思えることはベートーヴェンの交響曲第5番を聴くことくらいか、まあこの曲はたぶん1万回以上は聴いていると思う。

しかし、本を読んだりしながら聴いているのでそれだけ聴いても全曲を諳んじることなんてとてもできない。やはりこういうのは楽譜を見ながら集中してやらなくてはだめだと思う。

同じ1万回と言っても質まで問われるのだろうなと思う。

1万日といえば約28年くらい。そのくらい続けられることがあるといいのだけれど。

まあ、いろいろ努力はしていきたいと思う。




航空 鉄道の赤字

2020年11月01日 | 日記
コロナで航空会社や鉄道会社の赤字は本当に目を覆いたくなるような数字が新聞に出ている。

鉄道や、航空って民間とは言うものの半分官業のようなイメージを持ってきた。それがなければ、国のインフラの問題に直結するからいざとなれば国をあげて助けるだろうというイメージがどこかにつきまとう。

しかし、全日空の赤字による人員の出向で、出向先で待っている仕事内容を新聞やネットで見るとやはり厳しいなと思う。

全日空からの出向社員が出向先でする仕事のリストに並んでいるのは次のような仕事だ。

来店対応 セミナー受付 電話対応 データ入力 コールセンター 営業本部社員に対する英会話講師

今どき、このような業務を正社員がやっている会社って珍しいだろう。ほとんどが派遣社員とかパート社員がするような仕事ばかり。

データ入力なんて普段やっていない人がやってもパート社員の半分くらいのスピードでしか入力できないのではないか。

半分できればまだマシな方と思う。

同一労働、同一賃金がこれからの時代の趨勢ということで安倍総理大臣が随分音頭をとってきた。

あの人、正社員の給料もらってデータ入力しているのにパートの私の半分も入力できてない。
給料泥棒だ、といってパート社員にいじめられる人が出てくるのは必至のようにも思える。

直接いじめられることはなくても、人事課の方にあの人正社員なのにパートの半分も入力できていないとチクる人が出てくるのは今どきの会社でよくあるパターン。

そして、人事課から正社員が呼び出されて「君、もうちょっとしっかりやってもらわんと、パート社員への示しもつかんからな」などど叱咤激励を受けることもあるだろう。

パート社員の人も今は雇用が厳しくなっているから、あの人は出向社員だから別というふうに割り切って考えられる人はそんなにいないように思える。

これは会社に勤めたことのある人なら、そして経営が厳しい状況に陥った会社に勤めたことのある人ならなんとなく想像できることと思う。

英会話講師も普通は時間給でする仕事だ。

そして英語が話せるということと、英会話を教えるということはまた別の能力。

もたもたしていると授業評価が下がって、生徒になめられることもある。

予備校の講師とか英会話の講師は、生徒が先生を評価して、生徒の評価によって講師の時間給が決まるようになっている。

僕が勤めている会社は、予備校と英会話学校を中心に営んでいたけれど、生徒が講師を5段階で評価する、その評価によって講師の時間給が決まるというのが基本的なしくみだった。

もちろん生徒からの評価があまりにも低いと翌年の授業は持たせてもらえない。つまり契約を切られるということ。その点は戦力にならないプロ野球選手が契約を切られるのに似ている。

そういう世界に航空業界の正社員でやってきた人が飛び込むのはやはり厳しいものがあると思う。

人材をつなぎとめておくために出向という形をとると新聞には出ているけれど、まあ、耐えられなくなってやめる人が相当数出る可能性も十分にあるように思えたりする。

こういうときに、なんとかそれでも出向先でやっていこうとするならば、もう、社員の座にしがみつくためにはどんな屈辱にも耐えるという割り切りを持つことが大切と思う。

そういうふうに割り切ってしまいさえすれば意外とこういう困難は乗り切りやすい。

僕が勤めていた会社も、業績が傾いてきたときに最後まで生き残ったのは、もう恥も外聞も捨ててなんでもすると割り切れるタイプの人だったように思う。

本当にどんなところに勤めていても厳しい時代になったなあと思う。

なんでこんな時代になってしまったのだろう。

例えば流行歌一つとっても、昭和の時代は、あなたが好きと素直に歌う歌が多かった。

今は歌詞の中に「何もかも自分を正当化して生きるのはもうやめよう」などと本当に昔なら考えられないような理屈っぽい歌詞の流行歌もいっぱいある。

歌は世に連れ、世は歌に連れという文句があったけれど、時代も変わったなと思う。

その中でもなんとか平穏無事に生きていけるようにと自分自身は願っている。