ケンのブログ

日々の雑感や日記

コロナでおろそかになっていた意識

2020年11月08日 | 日記
新聞にウィーンフィルハーモニー管弦楽団の日本ツアーが北九州を皮切りに始まったと出ている。

いやあ、ウィーンフィルが日本に来るって知らなかったな。

このレベルのオーケストラが日本に来ることを事前に知らないことはあまりない僕だけれど。今年はもうコロナということでそういうことに関する興味が失せてしまっていた。

コンサートに行ってもやはりマスクをして聴かなければならないし、ソーシャルディスタンス、体温の検査、もういくら好きなコンサートでもさすがに遠ざかってしまっている。

10月にはロンドン交響楽団・サイモンラトルの演奏でマーラーの交響曲第2番「復活」を聴くのが今年のコンサートでは一番の楽しみだったのだけれど、早々と中止になってしまった。

その時点でもう今年は半分コンサートに対する興味を失ってしまった感じだ。

去年の僕のブログを読み返してみると、ちょうど一年前くらいにティーレマンの指揮するウィーンフィルをフェスティバルホールで普通に聴いている。

まさかその一年後にコロナでこんなことになっているなんで想像もしていなかった。

京都、禅林寺の永観堂の紅葉のライトアップが始まったと新聞に出ている。

紅葉は11月中旬が見頃と新聞には出ている。

もう、僕の自宅最寄り駅の桜の葉はかなり紅葉になっていて落ち葉もずいぶんあるけれどかえでの紅葉は桜の紅葉より遅いので、今年はどうかなと思っていた。

ここ数年は近くのお宮の紅葉を見に行くことが多かったけれど、コロナになってからお宮の行事もいろいろ制限が出てきてお宮に行くことも少なくなってしまった。

しかし、日は短くなっているし、やはり今年ももうあと2ヶ月を切ったのだなと思う。

ネットのニュースに東京で、お酒に酔った女性を介抱するふりをして女性の下半身を触ってしまって、警察につかまった若い銀行員の方がいると載っている。

もちろん被害にあった、女性はたいへんな目に合われたことと思う。

そのニュースにはいろんな一般人の方がコメントを投稿していて
「この銀行員もう終わったな」
「いい大学出て、銀行に就職して、親にはさぞ自慢の子だったろうにな」
「銀行員だったら、素人にそんなことしなくても、プロの女にすればいいだろう。
銀行員の給料なら余裕でそれができるのになにをケチっているんだ」
というようなコメントが並んでいる。

ニュースそのものよりもそんなコメントのほうがイヤだなと思ってしまう。

自動車の運転をすると急に気が大きくなる人がいるけれど、あれも車内にいるとあまり外からはその人の顔とかわからないから、急に気が大きくなったりするんじゃないかと思うことがある。

ネットで匿名性の中で、女性の下半身にさわるという間違いをしてしまった人を、あざわらうようにコメントするのも、やはり匿名性ということの中で気が大きくなっているからなのだろうか。

しかし、こういうコメントのような情報が誰にでも閲覧可能な場所に反乱することが人の心をむしばみ、怯えさせ、疑心暗鬼にさせる要素を持っているということは言えるだろうと思う。

自分が罪を犯したことのないものが、この女に石を投げなさい、というイエスの言葉を私達は、もっと胸に刻んでおくべきなのではないかとしみじみと思う。



立冬

2020年11月07日 | 日記
今日は立冬。暦の上では今日から冬。

そういう意識があったせいか、ユニクロの厚手のヒートテックを下着に着たら逆に暑すぎで、
歩いていたら本当に暑くなってきて、最後はヒートテック一枚で歩いていて、いやあやはり、季節の変わり目はどうしても、寒かったり暑かったりを繰り返すものだなと思った。

さすがに、この時期ヒートテックとは言え、服一枚で歩くと、たまに奇異の視線を向けてくる女性もいたりする。

逆に、私鉄の電車が窓を開けて走っているので、寒くてしゃっくりが出始めることもあるし。

JRの方は「この電車の空調は車内の空気が約○分で入れ替わるようになっています。換気が必要な方は窓をお開けください。なお、車内は抗菌処理が施されています」というような内容のアナウンスが流れている。

そこまで言われて窓を開けるというのは逆に、開ける人がプレッシャーに感じるようなアナウンスをうまく考えるものだなと思う。

本当にコロナで今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなっている。

コンビニのレジには天井からビニールの垂れ幕が下がっていて、お勘定をするときその垂れ幕を気にしながら不器用に財布から硬貨を出していたおじいさんがレジにその財布を忘れていった。

おじいさんの次に勘定をしたのが僕で、その時レジの右端に財布があり、「これ誰の財布ですか」とレジのお姉さんが僕に聴いた。

「さあ、知りません。誰かが忘れたんだと思います」と僕は答えた。

レジのお姉さんはその僕の言葉で僕の前に勘定をしたおじいさんが忘れていったのだと気づいたのだと思う。

しかし、レジのお姉さんが財布を忘れたおじいさんを店外に飛び出して追いかけていったのは僕の勘定を済ませてからだった。

そんな遅いタイミングでおじいさんを追いかけてはたして追いつけたかどうか。

結果までは見届けていない。

レジのお姉さんは本当ならおじいさんの財布だと気づいた瞬間におじいさんをおいかけていきたかったのだろうけれど、それをすると、「俺の勘定もほっぽりだして、何、店の外に飛び出してくねん」と客から言ってこられたりことがあるから、勘定が済むまでは動けないのだと思う。

本当に今は、特に都会では人が心理的に萎縮しながら過ごしているなと思うことがしばしばある。

なぜ、こんなに萎縮しながら過ごす人が多いのかと。

もうすぐに何か文句を言われる世の中になってしまっているから萎縮するのかもしれない。

あるお店に予約の電話を入れたら
「予約されていても、来店時に、受付に人が並んでいたら、そこに並んでもらうことになりますので」と言ってきた店員の方がいた。

それを言われたとき、予約していても受付に人が並んでいたら、そこに並ぶのは当たり前の話で、そんなこと予約してきた客に言うのは、客のことを子供扱いしていてあまりにも失礼、接客用語もまともに知らない子、と思った。

しかし、考え直してみると、その子も、「予約しとるのになんで並ばなあかんねん」と苦情を言われたことがあるのだろうと思う。

それでそんな言い方になってしまったと。

接客用語も、いかに気持ちよくお客さんに来ていただくか、という発想ではなく、いかに無茶な文句を言わせないかということを主眼にマニュアルができている場合が最近は本当に多くなったなあと思う。

なるべくみんなが穏やかな気持ちで過ごせる世の中になるといいなと思う。


いつでも夢を

2020年11月06日 | 日記
橋幸夫さんと吉永小百合さんがデュエットで歌った「いつでも夢を」という歌がある。
調べると僕が生まれたとし、昭和37年のリリースになっている。

当時の橋幸夫さんと吉永小百合さんがこの歌を歌った映像を見ると曲は一番 二番、そして最後にもう一度一番 二番共通のサビを繰り返して終わるという構成になっている。

そして、その映像では一番の前半は橋幸夫さんが歌う、そしてサビは橋さんと吉永さんがユニゾンで歌う。二番は逆に前半を吉永小百合さんが歌う、そしてサビはまた橋さんと吉永さんがっユニゾンで歌う。そして最後に二人でもう一度サビをユニゾンで歌って、曲を閉じるという構成になっている。

きっと曲のオリジナルバージョンがそういう構成になっているということなのだろうと思う。

ところでユーチューブを見ていたら関連動画として橋幸夫さんの芸能生活50周年のコンサートに吉永小百合さんがゲストでちょっと登場して、この「いつでも夢を」を歌うシーンが出てきた。

会場のみんなはペンライトを持っている。

橋さんは吉永さんにペンライトを一本渡していう。

「この明るい雰囲気の中で小百合さんと一緒にいつでも夢を を歌えたらと思うんですよ」と。

「私はもう歌は引退していますから」と吉永小百合さんが言う。

「だから、一緒に歌おうと思うんです」と橋さんが言う。

「一緒に歌うということならば」と吉永さんが言う。

そして、曲のリリース当時のように橋さん、吉永さんが単独で歌う場面というのはなくして
曲の一番を橋さんと吉永さんがとてもゆっくりしたテンポで終始一緒に歌う。

吉永さんは常に橋さんの50周年をお祝いするという感じで歌っておられて、いや、50周年をお祝いするというよりは、二人でヒットさせたこの歌や、橋さんと一緒に歌った若き日を橋さんと一緒にいとおしむかのような感情で歌っておられて、とても心打たれる場面になっている。

もう歌手は引退していますから、(単独で歌う場面はやめにして)一緒に歌うということであれば、というところが本当に吉永小百合さんらしいと思う。

人間、誰でもいつかは衰えて死んでいくわけだけれど、それでも、人生の比較的長きに渡って自分の価値を失わないで、一定の事柄を続けられる人というのは、その時々に応じて小百合さんのようにできることとできないことの一線をちゃんと引ける人なのではないかとこの映像を見て思った。

若いときと同じように頑張ろうというわけでもない。もう引退したから絶対にやらないというわけでもない。その時時でできることとできないことの一線を引けること、それがきっと大切なことなのだろうと思った。



冬もちかづいて

2020年11月05日 | 日記
随分、空気も冷たいと感じるようになってきて、明後日は立冬だなと思っていた。

私鉄の自宅最寄り駅を降りて、ちょっと裏道に足を運んでみると、クリスマスのイルミネーションを飾り付けて点灯している家が一軒あった。

これからそういう風景が似合う季節になると思う。

キリスト教の幼稚園に通っていたせいか、立冬から冬至になるまでの季節、つまり、まちにクリスマスのイルミネーションが多くなりクリスマスソングが流れる季節が僕は割と好き。

子供の頃、家にパットブーンが歌うクリスマスソングのレコード(LP)があって、本当に季節に関係なく聴いていた。

おかげでクリスマスソングのスタンダードナンバーはこのレコード一枚でかなり頭に入ってしまった。

赤鼻のトナカイもパットブーンの歌で覚えたので、日本語の赤鼻のトナカイをきくとなんかとても物足りないものを聴いているような気が今でもする。

ホワイトクリスマスという歌はピング クロスビーのものがもっとも有名だけれど、僕の中ではパットブーンが歌うホワイトクリスマスがスタンダードになっていてピングクロスビーのものをきくと違和感を覚える。

ジングルベルもそう、ブルークリスマスもエルビスプレスリーのものよりパットブーンのほうが好きというように僕の頭の中ではなってしまっている。

パットブーンのクリスマスソング集がCDで入手できないかなと思って、時々、ネットでしらべたりするのだけれど、なかなかないみたいだ。

まあ、心の中にパットブーンの歌が残っているからそれでいいのだけれど。

曲によってはユーチューブで聴けるものもあるし、、、。



考えるのが面倒というのは、生きるのが面倒ということ

2020年11月04日 | 読書
芹沢光治良の人間の運命という小説に1930年、ときの浜口首相が東京駅で凶漢に銃で狙撃される事件が出てくる。

だんだん時代が第二次世界大戦へと向かっていく不穏な時代の事件だ。

新聞記者をしている主人公次郎の兄、一郎はこうした時代の背景にあるさまざまな諸問題を次郎や次郎の義父と語り合う。

そしてその言葉の最後を次のように結ぶ。

「議会は乱闘までして、議論を闘わすのだか、ぼく達をしあわせにするためには、一つもろんじられていないしね・・・考えることさえ面倒になりますからね」と。

次郎はイタリアを訪れたときのファシズムのもとにある民衆の暗い表情を思い出しつつ次のように語る。

「そんなに絶望してはいけないなあ。考えることが面倒だというのは、生きることが面倒だということだもの・・・・そんなに不安な時代かなあ」と。

“”考えるのが面倒だというのは、生きることが面倒だということ“”

そんな発想、僕は今まで持ったことがないけれど、確かに考えるのが面倒ということは、生きるのが面倒というのは一面においてとても的を射た発想だなと思う。

村上春樹さんがノルウェイの森という小説の中で次のように書いておられる。

“”
東京について寮に入り新しい生活を始めたとき、僕のやるべきことは一つしかなかった。あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事を自分とのあいだにしかるべき距離を置くこと・・・それだけだった。
(中略)
深刻になることは必ずしも真実に近づくことと同義ではないと僕はうすうす感じとっていたからだ。“”

若いときこれを読んだときずいぶん救われる思いだった。

深刻に考えることは必ずしも真実に近づくことと同義ではないと。

春樹さんの小説のここを何度も読んで、深刻に考えないように自分に言い聞かせていた時期がかつての僕にはあったし、今でもこの春樹さんの小説に出てくる考え方を僕は大切に思っている。

しかし、また同時に、そんなに絶望してはいけない、考えることが面倒だということは生きるのが面倒だということ、というのも大切な考え方であるように思う。

深刻に考えないように、かと言って考えることを面倒だと思ってしまわないように、そういうバランスの中で私達の心はそれぞれになんとか均衡を保っていくものなのではないのか、そんなふうに思う。

そして、もう一つ、考えるのが面倒というのは生きるのが面倒という考え方は、人生に対する真摯で前向きな態度のありかたに通じるように思う。

どうか、心の均衡を自分なりに保ちながら生きていけますようにと願い、そして祈っている。