ケンのブログ

日々の雑感や日記

賞の季節

2021年10月07日 | 日記
ノーベル物理学賞を真鍋淑郎さんが受賞されたと出ている。

僕、この世界のこと何も知らないのだけれど、真鍋さんが二酸化炭素と気温の上昇の関係を論文にまとめられたという新聞の記述を読むと、ノーベル賞も賞である以上は、時勢の流れに影響されるのかと思ってしまう。

真鍋さんの受賞に水を刺そうという気持ちは毛頭ないのだけれど、率直な感想として、ノーベル賞も、研究と経済効果との関連の中で決まる場合もあるのかと思ってしまう気持ちが心のなかにあるのは事実といえば事実だ。

それも、今年、特に感じるだけで、冷静に振り返ってみると過去の発光ダイオードなども含めて、経済の発展と研究の成果の結びつき、そして賞との結びつきというのは今まであまり意識しなかっただけできっとあるのだろうなと思う。

ノーベル賞に限らず、音楽や文学の賞などでも、ぞれに近いことを感じることはたまにあるし、、、。

賞を取った方への称賛を惜しまないことと、それと同時に、賞をとったから、取らなかった人よりすごいなどと、それを絶対視しない考え方の両方のバランスが大切なのだとこの歳になってだんだん思うようになってきた。

もちろん、何十年来の研究が真鍋さんは評価されたわけでそれは素晴らしいことと思う。

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県庁所在地の百貨店に栗きんとんがかなり販売されていた。


海沼実さんの里の秋という歌にこんな一節がある。

“”静かな 静かな 里の秋
お背戸に木の実の落ちる夜は
ああ母さんと ただ二人
栗の実煮てます いろりばた“”

栗きんとんなどお菓子は売り場で見かけても、栗を家で煮るということからは遠ざかっているなと思う。

子供の頃は家で栗を煮るというか茹でていたこともあった。

茹でた栗は天津甘栗のようにころっとは皮がむけないので子供の頃は食べるのが面倒くさいなと思っていた。

母に皮をむいてもらって食べることもあったけれど、自分で食べるときは、ナイフで栗を二つに切って、小さいスプーンで実をすくって食べていた。

栗ご飯のときは、家族の茶碗を見て、あれ、妹のほうがご飯に対する栗の割合が多いのではないかと心のなかで思ってみたり。

自分でご飯よそうわ と言って、栗が多いところをよそってみたり、、、。

そんな楽しみも最近は減ったなと思う。

秋の歌と言えば、さだまさしさんが作曲して、山口百恵さんの持ち歌だって秋桜も有名だ。

歌詞にこんな一節がある。

“”このごろ 涙もろくなった母が 庭先でひとつ せきをする“”

これは、娘が嫁ぐ年頃になったときの母を描く歌詞になっている。

今どきは、娘が嫁ぐからと、涙もろくなるお母さんもそんなにはいないようにも思えて、時代も変わったものだなと感じる。

平均寿命が伸びたことの影響もきっと大きいのだろう。

それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。




諸行無常

2021年10月07日 | 日記
午後6時少し前に外に出る。かなりくらい。日が短くなったなと思う。

ちょっと蒸し暑さを感じることもあるけれど、秋分も過ぎて冬至に向かって季節が動いていくなと思う。

秋の夜長という言葉もあるし。

諸行無常というけれど、その無常を歌った芸術って、心を打つものが多いなと思う。

行く春を近江の人とおしみけり 松尾芭蕉

などそういう無常を歌っていると思う。

岐阜県民謡郡上節の歌詞にも

咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る ってあるけれど、これも無常を歌っていていいなと思う。
※駒=馬です。

ポップスの世界では無常を歌うのに優れた人って井上陽水さんだと思う。

陽水さんの紙飛行機という歌の歌詞にこんな一節がある。

“”雨が降ったら弱い翼は濡れてしまう
強い雨も風も笑いながら受けて
楽しく飛ぶことも悪いことじゃないよ
だけど 地面に落ちるまで短い命だね
君は明日まで飛びたいのか“”

紙飛行機の弱い翼が濡れてしまうところを想像して、歌う歌詞だけれど、紙飛行機の姿を通して無常が描かれている。

無常は悲しくもあるし、また、無常を感じそれがあたりまえと思うことが心のなぐさめになることも多いなと思う。

陽水さんのたいくつ という歌にはこんな一節がある。

“”アリが死んでいる 角砂糖のそばで
笑いたい気もする あたりまえすぎて“”


無常を意識してそれを悲しんだり、またそれを当たり前だと思って慰められたり、そういう心情を味わう機会が私達の中で減っているようにも思う。

諸行無常というのは仏教の考え方の中で、もっとも大切なものの一つだけれど、それを意識することで、あらゆるものごとが心のなかで相対化される。そして、そのことによって何かを絶対視して、閉塞的な気持ちに打ちひしがれる、という状況からは開放されることが多いなと思う。

今は何かともてはやされているごく一部の人の栄華もいつまで続くかは誰にもわからないと思ってみたりとか、、、。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。




色づく街

2021年10月05日 | 日記
コンビニのラックに、年賀状印刷 おせち クリスマスケーキの広告チラシが入っている、そんな季節だなあと思う。

まだ蒸し暑けれど今年もあと3ヶ月切ったし。早いな。

数日前に、新聞の紙面に柿の実の水彩画を見つけて実際 柿はどの程度色づいているのだろうと思っていた。

徒歩で移動していた頃は、柿の木など見つけるのがたやすかったのに自動車だとそうはいかない。

ただ、きょう道端にたまたま柿の木を一本見つけ、ちらっと見たら、柿色に色づいていた。

色づくで思い出したけれど、南沙織さんの「色づく街」っていう歌あったなと思う。

やはり季節は今頃を想定しているのだろうか。

“”街は色づくのに 会いたい人は来ない“”というフレーズが歌詞に入っていた。

切ない歌詞だけれど、筒美京平さん特有のパンチの聞いたリズムの歌で、筒美京平さんの歌の中では好きな方だった。

筒美京平さんの歌で好きといえば サザエさん の主題歌も好きだけれど。

サザエさんの主題歌、若い頃の玉置浩二さんがタモリの番組でギターの弾き語りでかなり真面目に歌ったら、スタジオの女性がキャーッと言っていたこと思い出すな、、、。

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岸田総理大臣の奥さんとの初めてのデートがディスコ マハラジャだったと出ている。

岸田さん好きな歌、サザンオースターズ「涙のキッス」と先日の新聞のプロフィールに出てた。


涙のキッスは ディスコでかかる系の歌ではないと思うけれど、涙のキッスが好き というのと、ディスコというのはどこか共通点があるように思う。

サザンオールスターズの歌の世界ってどこか、海やディスコで遊んでいるという雰囲気があるから、、、。

僕、学生の頃ディスコに友達に連れて行ってもらうと、足をくの字に折るいわゆる、盆踊りのステップになってしまって、友達の笑いをかっていた。

もう、あれって、中学生くらいの頃についた癖だから、直そうと思っても直らなかった。

ディスコで踊って気持ちが大きくなってしまったYくんはクラスで一番かっこいいと評判のT子の家に電話しようと言い出した。

それでみんなで電話ボックスに入って、T子さんのうちに電話。

電話のボリュームをかなり上げたからT子さんの声も聴こえてくる。

「今、ディスコにいる。T子さんも来ない?」とYくん
「今、お風呂から出たところで髪の毛濡れてるからダメよ」とT子さん。
「乾かしてから来ればいいやん」とYくん。
「お母さんに聞いてくるわ」とT子さん。
しばらくして「お母さんダメって言った」とT子さん。
それからしばらくYくん粘っていたけれど結局ダメだった。

まあ、ダメ元で電話したからいいんだけれど。

ちょっと懐かしい思い出だなとは思う。

それはともかく、いちにち いちにち 無事ですごせますように それを第一に願っていきたい。

珍しい校則

2021年10月04日 | 日記
今日の新聞にこんなことが書いてある。

「人気コミック 鬼滅の刃 の主人公が一刀両断にした岩に似た岩があると評判になった鬼岩公園(岐阜県瑞浪市 御嵩町)で9日から 鬼岩岩穴くぐり を含む公園のガイドツアーが定期開催される。」と。

僕はキリスト教の幼稚園に通っていて、その延長で小学生のころ、日曜学校に通っていた。

その日曜学校の先生が僕のことをとても可愛がってくださり、僕の街から片道たぶん30キロメートルくらいある鬼岩公園までサイクリングに連れて行ってくださった。

当時、カップヌードルのお湯が出る自動販売機が出始めた頃だった。途中で国道沿いのカップヌードルの自動販売機でカップヌードルを買って、その販売機でお湯を注いで食べた。

ああいうときのカップヌードルは美味しいなと思う。

帰りに先生は僕に「よく、しんどいとも言わずにここまでついてきた」と言った。

そのとき先生は僕よりもしんどそうだったけれど(僕にはそう見えた)、そのことは言わないで黙っていた。

僕は、そのころ自転車を乗り回していたけれど、先生は当時25歳位だったと思うけれど、ちょっと運動不足気味だったら、、、。

それからほどなくして、先生は結婚して、先生のうちに遊びに行ったことがある。

レコードをかけてくださって、それは女性が歌うこんな歌詞の歌だった。

“”
私は誰のために生まれてきたのか
あなたを愛するために生まれてきたのよ“”

カントリー調のメロディで歌われるこの歌詞が頭に取り付いて離れなくなってしまって、ずっと記憶に残っていた。

新婚の先生にふさわしい歌だと思ったせいもあるだろう。

ネットでいろいろ検索できる時代になってもこの歌詞は覚えていて、検索してみたら

赤い鳥 というグループの「誰のために」という歌であることがわかった。

今の時代から振り返ると少し単調な歌であるようにも思えるけれど、それでもいい歌だなと今でも思う。

また、歌の歌詞にこういうヒューマンな夢のある時代だったんだなとしみじみと思う。

それから10年ほどして大学生になってから久しぶりに先生のうちに行ったら、先生が僕に
「君の嫁さんは苦労するよ」と言った。
「なんで?」と僕が聞くと「君はとてもお金儲けがうまそうに見えないから」と先生は言った。
まあ、そう言われればそうかもしれないけれど、、、。
実際、何が原因かわからないけれど嫁さんとは別れてしまったし、、、。

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さて、今、例えば、下着の色まで規制する校則があるとか、なにかと校則が話題になることが多い。

都会の人には信じられないかもしれないけれど、僕が通っている中学校には、「生徒だけで市外に遊びにいってはいけない」 という校則があった。

とは言っても、この校則、そんなにみんなの不評を買っていたわけではない。

先日も僕の市の西端あたりを自転車で走っていた高校生を見て、僕はよくぞここまで自転車で来たと思った。

ちょっと太った子などは、自転車を止めてマスクをはずして汗を拭きながら水を飲んでいる。秋だけれど真夏日もあったし、、、。

要するに市の面積が広いし、電車で移動ということもできない。結局、自転車で移動しなければならないから、かなり体力に自信がないと校則など破ることができないしくみになっている。

なので市外に生徒だけで遊びにいってはいけないという校則はそれほど不評は買わなかったし、むしろ保護者の間ではありがたい校則と思われていたようにも感じる。

僕は中学二年か三年のとき、この校則を破って、友達と3人連れ立って鬼岩公園まで自転車で遊びに行ったことがある。

木曽川の東側に出たあたりで体育のK先生の自動車が僕たちを追い越した。

k先生は自動車を道の端に止めて僕達の方へ歩いてきた。

「どこへ行くんや」と先生は言った。

「鬼岩公園です」と僕は言った。

校則を破ったことを怒られるかと思ったら先生は「そうか、へこたれるなよ」と言った。

そして、また、自動車に乗り込んで走り去っていった。

翌日もなにか学校で校則違反を注意されることもなかった。

見逃してくれたんやなと思った。

あるとき、K先生の体育の授業で「寝違いで実技ができないので見学します」と申し出たら
k先生は「寝違いというのはうそだ。お前は休み時間に相撲の取りすぎだ。だから首の筋を痛めたんや」と言った。

図星かもしれないと僕は思ったけれど、原因は特定できないので、なんしか首が痛いのでと言ったら先生は実技は免除して見学させてくれた。

野球部のエースだったSくんは「K先生はあっさりしてて嫌味がないからいい」と言っていた。僕も野球部のエースの子が言うんだからそうだろうと思っていた。実際にあの先生のことはいい思い出だなと思う。

それにしても、公園で相撲を取ったりする子、都会でも田舎でも全くと言っていいほど見かけない今日このごろだなと思う。ブランコしてる子でさえたまにしか見ないし、、、。

100円ショップにプラスチックの刀のおもちゃは売っていたけれど。

あの刀、僕が子供の頃は、仮面の忍者 赤影のまねをして背中にさしてよく走ったなと思う。

小学生の頃は「お前はよく『走るぞ!』と言うくせに走るのは遅いな」と友達から言われたこともあった。

それはともかく いちにちいちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。










型があって自由自在

2021年10月04日 | 日記
新聞の総合欄に色づいた柿の水彩画が載っている。

実際の柿はどの程度色づいたのだろう。

関西で徒歩と公共の交通機関で生活していた頃は、こういうとき実際に歩いて柿を見に行ったりした。

大体、自分の行程の中でどこに柿の木があるかを知っていたのでそれはそんなに面倒なことでもなかった。

自動車で移動するようになるとそういうこともあまりできないなと思う。

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白鵬の引退会見の一問一答を見ていたら白鵬の言葉としてこんなことが書いてある。

「基本を大事に、型を作ること。そして型ができたときに型を破る。型をもって型にこだわらない。これができれば必ず強くなると思います。たくさん技がある人は怖くなかった。型をもった人間が一番怖かった」と。

基本を重視する。そして、型があってしかも自由自在。こういう人が大きな成果を上げるということは相撲に限らず、芸術、人生全般などでも言えることのように思う。

それはともかく、いちにち いちにち 無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。