島豆腐がおいしいことで知られる那覇市の繁多川近辺、この地域は湧水が豊富です。戦後50数件あった豆腐店も現在では3店ほどになっています。在来の沖縄の大豆で湧水を使って豆腐をつくっていた時代を偲ばせる井泉が今も市内に残っています。そのひとつが、ボージガー(坊主川)です。
首里城と那覇港をつなぐ真珠道の途中、『メーミチ』と呼ばれる道沿いにあり、近くにあった神応寺や識名宮にちなんで名づけられたものです。
『琉球国由来記』(1713年)には「御穀泉」(オコクガー)と記されており、「乳のような泉、善い泉」を意味したといわれています。ボージガーの水はとくに美味しく、繁多川豆腐づくりに大いに利用されていました。
やはりきれいな水を必要とする泡盛づくり、1882年に神村酒造は繁多川で創業します。
この神村酒造があった場所がボージガーの隣の敷地で、今もその石垣が残ります。石垣は、琉球石灰岩を加工して布積みにした美しい石垣ですが、石積みの端は大戦の爆弾投下により一部が破壊されています。
『神村酒造』は、戦後に琉球政府のもとで官営工場として事業を国場で再開し、すぐ松川に移り、現在はうるま市に本社を移転しています。
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『琉球国由来記』(1713年)には「御穀泉」(オコクガー)と記されており、「乳のような泉、善い泉」を意味したといわれています。ボージガーの水はとくに美味しく、繁多川豆腐づくりに大いに利用されていました。
やはりきれいな水を必要とする泡盛づくり、1882年に神村酒造は繁多川で創業します。
この神村酒造があった場所がボージガーの隣の敷地で、今もその石垣が残ります。石垣は、琉球石灰岩を加工して布積みにした美しい石垣ですが、石積みの端は大戦の爆弾投下により一部が破壊されています。
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