『神田川ポタ』、飯田橋から江戸川橋に到着して『神田川』に並行している「江戸川公園」を進みます。
「江戸川公園」は、関口台地の南斜面の『神田川』沿いに広がる東西に細長い公園です。 台地の斜面に自生する雑木林と園路を主体とした公園でしたが、昭和59年(1984年)に神田川の拡幅工事に伴い改修されています。
「江戸川公園」に入るとまず「大井玄洞」の銅像が目につきました。『神田川』の治水に携わった人で「渋沢栄一」と同じ時代に生きた人です。「玄洞」は、当時、たびたび洪水をおこしていた江戸川(現神田川)を何とかしようと、治水に尽力します。
大正2年(1913年)に護岸工事に着手、大正8年(1919年)に完成させます。この治水事業の功績を称え、昭和3年(1928年)『神田川』沿いの「江戸川公園」に「玄洞」の銅像が建てられました。
『神田川』に沿った細長い「江戸川公園」はサイクリングロードが整っています。
公園は細長く狭いですが、歴史のある場所でよく整備されています。
こちらは「みんなの広場」、今ではまわりの住宅街に溶け込んだ公園になっています。
そしてこの辺りでラウンドマークである「椿山荘東京」。広大な庭園を有し、都会でありながら高層ビル街にはない開放感と静けさを堪能できる都会のオアシスです。
「椿山荘東京」の生い立ちは、江戸時代には久留里藩黒田家の下屋敷でした。明治維新を経て南西戦争の功により、元勲の「山縣有朋」は年金740円を与えられ、それを元手に1878 年(明治11年)旧屋敷を購入。
「椿山荘」と命名して趣味である作庭を行ったそうです。その後藤田財閥(現DOWAホールディング)がこれを譲り受け、東京での別邸としました。現在は「藤田観光」が「椿山荘」の運営しています。
「椿山荘」前の『神田川』はこんな状態です。川からの高さは相当あり、治水の川として理解できます。
「椿山荘」前の道はサイクリングロードとして走りやすくよく整備されています。
「椿山荘」を過ぎると「早稲田」方面へ進みます。古くは牛込村に属しており「江戸牛込村字早稲田」であったが、江戸時代初期には、別村になり「早稲田村」と呼ばれるようになったようです。
この辺り見事な桜道が続きます。
まだまだ 続きます、、、
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