沖縄県島尻郡与那原町の観光地を歩いてみました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0084.gif)
与那原町は、中城湾に面する天然の良港を有し、沖縄本島東海岸の沿岸交通の要衝、また南部(島尻)と中部(中頭)の両地方を結ぶ東海岸沿いの陸上交通の要衝です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
まずは、『ケイビン鉄道駅舎』
かつて沖縄には鉄道が敷かれており、本土で走るものとくらべて一回り小さい汽車が走っていました。当時は「軽便鉄道」という名で県民の足となり親しまれていました。1914年に開通した軽便鉄道で最初の区間となったのが那覇と与那原間を結ぶ与那原線。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ba/ade365a1da60f5259fab61be8c71635f.jpg)
その駅舎が開通100周年となる2014年、与那原町に復元され当時と同様のコンクリート造りの駅舎がお目見えしました。資料館には貴重なレールや当時の写真などが展示され、鉄道ファンにとって目を光らせる名所となっています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
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昭和天皇がご乗車された記念碑があります。昭和天皇はここからケイビン鉄道にお乗りになり、那覇へ向かわれました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_setsunai.gif)
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展示館の裏手には沖縄戦の被害に遭いながらもその当時の面影が残る「9本の柱」の一部が残っています。駅舎は当時としては珍しいコンクリート造りで、戦火の中でも破壊されること無く形状をとどめています。
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この柱は2017年に国の登録記念物として遺産登録されています。またこの柱のある道向いは当時レールが敷かれていて、最近になってその路線跡地に当時のもと思われるレールが掘り起こされ話題となりました。
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続いて『与那原親川(うぇーがー・えーがー)』
首里城の東方にある霊地を巡拝する、東御廻い(アガリウマーイ)の行事で訪れる拝所の一つです。浜の御殿(ウドゥン)に天降りした天女が、御子を出産したときに、この湧井(カー)の水を産湯に使ったと伝えられています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
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現在、井戸跡には祠が建てられ、親川広場として整備されています。デイゴの古樹に囲まれた親川広場は、与那原町民の団結と憩いの場として親しまれ、与那原の代表的な行事である『与那原大綱曳き』も、ここから始まり、ここで終わります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ab/3c4ca239a80592cb5f4e070ce174eafa.jpg)
広場には『綱曳資料館』があり、与那原大綱曳の資料を見れます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
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最後は『御殿山(ウドゥンヤマ)』
御殿山は、首里の御殿(ウドゥン)に納める木材置場に指定されたことからこの名前がついたといわれています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/02/7f07e275ba8d1c6831ab29068060444d.jpg)
琉球王国の神女である聞得大君(きこえおおきみ)の御新下り(おあらおり)の際の最初の休憩地として御仮屋が設けられていた場所ともいわれています。現在は町の御願行事や東廻り(アガリウマーイ)の巡礼コースにもなっています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_yoka.gif)
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与那原町は中々歴史の残る街です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
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与那原町は、中城湾に面する天然の良港を有し、沖縄本島東海岸の沿岸交通の要衝、また南部(島尻)と中部(中頭)の両地方を結ぶ東海岸沿いの陸上交通の要衝です。
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まずは、『ケイビン鉄道駅舎』
かつて沖縄には鉄道が敷かれており、本土で走るものとくらべて一回り小さい汽車が走っていました。当時は「軽便鉄道」という名で県民の足となり親しまれていました。1914年に開通した軽便鉄道で最初の区間となったのが那覇と与那原間を結ぶ与那原線。
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その駅舎が開通100周年となる2014年、与那原町に復元され当時と同様のコンクリート造りの駅舎がお目見えしました。資料館には貴重なレールや当時の写真などが展示され、鉄道ファンにとって目を光らせる名所となっています。
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昭和天皇がご乗車された記念碑があります。昭和天皇はここからケイビン鉄道にお乗りになり、那覇へ向かわれました。
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展示館の裏手には沖縄戦の被害に遭いながらもその当時の面影が残る「9本の柱」の一部が残っています。駅舎は当時としては珍しいコンクリート造りで、戦火の中でも破壊されること無く形状をとどめています。
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この柱は2017年に国の登録記念物として遺産登録されています。またこの柱のある道向いは当時レールが敷かれていて、最近になってその路線跡地に当時のもと思われるレールが掘り起こされ話題となりました。
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続いて『与那原親川(うぇーがー・えーがー)』
首里城の東方にある霊地を巡拝する、東御廻い(アガリウマーイ)の行事で訪れる拝所の一つです。浜の御殿(ウドゥン)に天降りした天女が、御子を出産したときに、この湧井(カー)の水を産湯に使ったと伝えられています。
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現在、井戸跡には祠が建てられ、親川広場として整備されています。デイゴの古樹に囲まれた親川広場は、与那原町民の団結と憩いの場として親しまれ、与那原の代表的な行事である『与那原大綱曳き』も、ここから始まり、ここで終わります。
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広場には『綱曳資料館』があり、与那原大綱曳の資料を見れます。
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最後は『御殿山(ウドゥンヤマ)』
御殿山は、首里の御殿(ウドゥン)に納める木材置場に指定されたことからこの名前がついたといわれています。
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琉球王国の神女である聞得大君(きこえおおきみ)の御新下り(おあらおり)の際の最初の休憩地として御仮屋が設けられていた場所ともいわれています。現在は町の御願行事や東廻り(アガリウマーイ)の巡礼コースにもなっています。
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与那原町は中々歴史の残る街です。
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