宿場町として栄えた「川崎宿」と隣り合う村として栄えた「鶴見」。『旧東海道』は「下野谷町(したのやちょう)入口」で再び「新東海道(国道15号線)」と交差して続きます。
交差点を渡ると「生麦」の『旧東海道』に入ります。
近くには「鶴見川」の河口を通り、昔の漁師の街の面影があります。
「生麦」と言えば「生麦事件」、江戸時代末期(1862年9月14日)にこの生麦で薩摩藩主島津茂久の父久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人たちを供回りの藩士たちが殺傷した事件です。後に薩英戦争に繋がっており、この『旧東海道』に事件の痕跡が残っています。
そして今回の『旧東海道』ポタの終点「生麦」に到着です。ここからは再び新東海道(国道15号線)と合流して続きます。
近くには真新しい「生麦事件碑」が建てられていました。
事件の発生場所の詳しい案内板が出てます。
そして以前は工場見学でよくお世話になった「キリンビール横浜工場」があります。現在はコロナ禍で工場見学は休止です。
ここで江戸の香りを楽しむ「旧東海道ポタ(お江戸⇒横浜生麦)」は完走です。