『神田川』河口に一番近い橋は「柳橋」です。新橋の花街が明治にできたのに対し、「柳橋」は江戸中期からある古い花街でした。
「柳橋」に芸妓が登場するのは文化年間(1804年-1817年)で、大田南畝の記録によると14名が居住していた様です。1842年(天保13年)、水野忠邦による改革で深川などの岡場所(非公認の花街、遊廓)から逃れてきた芸妓が移住し、花街が形成されます。
やがて洗練され江戸市中の商人や文化人の奥座敷となった。幸いにも交通便にも恵まれ隅田川沿いに位置していたため風光明媚の街として栄えてくる様になりました。1859年(安政6年)には、芸妓140名から150名に増加した様です。
現在の橋は1929年(昭和4年)に完成。永大橋のデザインを取り入れたと言われています。1999年に中央区区民有形文化財として登録されています。
「柳橋」から『神田川』の河口、隅田川を望みます。昔からの運河の街ですねぇ。
「柳橋」は「隅田川」右岸,『神田川』北岸の地区、 かつては『神田川』にかかる「柳橋」の南側もさしていました。江戸第1の花柳街で,明治以後もにぎわってました。現在は料亭街をなし,浅草橋につづく西部地区は玩具(がんぐ),文房具などの問屋街として発展してます。
河口付近にはたくさんの屋形船が係留しています。今も花街の雰囲気をのこしてコロナ前は活躍していました。
『神田川ポタ』続けて、しばらく進むと「秋葉原」に到着します。河口から「秋葉原」まではほぼ直線の川です。
秋葉原の「神田ふれあい橋」と「JR線」、ビルに挟まれた川で都会的です。
JR線は東北・上越新幹線、山手、東北本線、京浜東北線と日本の大動脈を跨いでいます。
秋葉原と言えば「万世橋」、現在の万世橋は1930年(昭和5年)、関東大震災からの復興事業の一環として建造されました。 鉄筋コンクリート造り、風格あるその姿は、85年後の今もそれほど変わっていません。
そしてかつて、中央線の神田~御茶ノ水間に、明治45(1912)年に開業した「万世橋駅」がありました。昭和18年に休止になりましたが、赤レンガの万世橋高架橋の中に、ホームや階段など、駅の施設が一部残っています。
東京のど真ん中を流れる『神田川ポタ』、始まりました。長く続きます、、、