田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『七年目の浮気』

2020-05-11 06:11:32 | 1950年代小型パンフレット

『七年目の浮気』(1955)(2007.7.1.『MOVIE』 NO.1 永遠なるマリリン・モンロー」)から



 雑誌社に勤めるリチャード(トム・イーウェル)の妻子が、バカンスで家を空けることに。結婚7年目でそろそろ浮気の虫がムズムズし始めたトムは、折良く同じアパートの2階に住んでいるマリリン・モンローそっくりの素敵な美人と知り合う。仕事柄、空想癖のある彼は、早速、彼女との浮気を考え始めるが…。

 ジョージ・アクセルロッドの舞台劇をビリー・ワイルダーが映画化。恐妻家の中年男が、浮気心を抱いたことから巻き起こる騒動を描いた傑作コメディー。原題の“イッチ”は浮気の虫がムズムズすることを指す。

 マリリンが演じるのは“マリリン・モンローそっくり”で特に役名のない“ザ・ガール”。つまりあくまで主人公のリチャード(あるいは男性全般)が抱く理想の女性を具体化したイメージの産物として登場する。そして地下鉄の排気口から吹く風でマリリンのスカートが舞い上がるシーンで彼女のセックスシンボルとしてのイメージはさらに強まった。

 だが実はこの映画はセクシーというよりもむしろ“かわいいマリリン”を描いている。それは初対面のリチャードに向かって大らかに「暑いからパンティは冷蔵庫で冷やしてあるの」と言うセリフや、映画『大アマゾンの半魚人』(54)を見て「半魚人ってかわいそう。彼は恋をしただけなのに…」と語るところなどにも表れている。ワイルダーの演出は含みを持たせた笑いにお色気を織り交ぜ、大人の観客を心行くまで楽しませた。

マリリン・モンローのプロフィール↓


ビリー・ワイルダーのプロフィール↓



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『リオ・ブラボー』

2020-05-08 06:23:34 | 1950年代小型パンフレット

『リオ・ブラボー』(59)についてはいろいろ書いた。

 

  

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『アラモ』

2020-04-24 06:30:37 | 1950年代小型パンフレット
 
 
 ジョン・ウェインが製作・監督・主演を兼任し、テキサス独立戦争中の1836年に起こったアラモの戦いを描いた大作。初めて見たのは1974年。テレビの「土曜洋画劇場」で、前後編として2週にわたって放送された。
 
 悲しげなディミトリ・ティオムキン作曲の「The Green Leaves of Summer=遥かなるアラモ」はもちろん、後編でトラビス大佐(ローレンス・ハーベー)も、ジム・ボウイ(リチャード・ウィドマーク)も、デイビー・クロケット(ウェイン)も、皆死んでしまうのがとても悲しかった覚えがある。
 
 この映画は、アカデミー賞を取るための過度なキャンペーンの展開、あるいはタカ派、好戦的、愛国者として、ウェインを悪く言う時に、例に出されることが多いが、単にスペクタクル大作として見ると、監督としてのウェインの力量はかなりのものがあったのでは、と思わせるものがある。
 
 以前、今はなき『MOVIE』という雑誌のジョン・ウェイン特集号でこんなコラムを書いた。
 
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『絶海の嵐』

2019-11-18 09:32:02 | 1950年代小型パンフレット
 上野の古本市でまた珍しいパンフレットを見付けてしまった。セシル・B・デミル監督、レイ・ミランド、ジョン・ウェイン、ポーレット・ゴダード、スーザン・ヘイワード共演のテクニカラー海洋映画『絶海の嵐』(42・日本公開52)である。
 
   
 1840年代のカリブ海を舞台に、貨物船を攻撃する敵との壮絶な闘いを描いたこの映画は、ラストでミランドと共に海に潜ったウェインが巨大なイカの犠牲になるのだが、ゴダードをめぐる三角関係も含めて、日本の『ゴジラ』(54)の人物設定とラストシーンに多大な影響を与えたのではないかと推察する。
 
 以前、大林宣彦監督にジョン・ウェインについてのインタビューをした際に、この映画と『怒涛の果て』(48)について、熱く語ってくださったことを懐かしく思い出した。
 
 
 
 また、10年ほど前、先日亡くなった和田誠さんの、映画のラストシーンだけを描きおろした油絵を集めた個展「ラストシーン」を訪れた際、妻が『怒涛の果て』を大層気に入ったのだが、高価で手が出なかった。和田さんの訃報を聞いてから、「あの時、無理してでも買っておけばよかった」としきりに後悔を口にする。
 
パンフレット(52・アメリカ映画宣伝社)の主な内容は
解説/梗概/海底の死闘/デミルの六十六本目の作品/主演者メモ、ジョン・ウェイン、レイ・ミランド、ポーレット・ゴダード、スーザン・ヘイワード、老練な助演者ロバート・プレストン、レイモンド・マッシー/色彩映画に初めて現れるチャールストン公園の美観
 
   
 
 
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『めぐり逢い』

2019-07-26 09:49:14 | 1950年代小型パンフレット
『めぐり逢い』(57)

    

 豪華客船の中で偶然知り合った画家のニッキー(ケーリー・グラント)と歌手のテリー(デボラ・カー)は、互いに婚約者がある身でありながらも恋に落ちる。2人はエンパイアステート・ビルの展望台での再会を誓うが、再会の日、テリーはビルに向かう途中で事故に遭ってしまう…。
 
 レオ・マッケリー監督が自身の監督作である『邂逅(めぐりあい)』(39)をセルフリメークしたメロドラマの名作。グラント、カーという成熟した美男美女が、すれ違う男女という常套手段の中で“大人のラブロマンス”を繰り広げる。
 
名画投球術 No.14 いい女シリーズ4「正真正銘の“美女”が観たい」デボラ・カー
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/be594f2a790e1b4a23a8b68236557b94
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『何がジェーンに起こったか?』

2019-07-25 07:12:57 | 1950年代小型パンフレット
『何がジェーンに起こったか?』(62)(1968.7.28.日曜洋画劇場)

 
 子役スターの“ベビー・ジェーン”として一世を風靡したジェーン(ベティ・デイビス)と、実力派の女優として成功した姉のブランチ(ジョーン・クロフォード)。だが、姉が事故で下半身不随になって以来、姉妹は人目を避けながら2人きりで暮らしていた。やがて、精神に異常をきたしたジェーンは、ブランチを監禁して精神的に追い詰めていく。
 
 監督は男性映画の名匠ロバート・アルドリッチだが、意外や彼はこの映画や『ふるえて眠れ』(64)『甘い抱擁』(68)のような“女の怖さ”を描いた映画も撮っている。特にこの映画は、ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(50)におけるグロリア・スワンソン同様、過去の大女優への冷徹で皮肉なまなざしが目立つ。
 
 この映画を初めて見たのは、小学校低学年の夏休み。淀川長治先生の『日曜洋画劇場』でだった。続いて同じ枠でオリバー・リード主演の『吸血狼男』(61)も見た記憶があるから、「夏の恐怖映画特集」というくくりだったのかもしれない。
 
 モノクロ画面の中で展開する2人の老婆同士の陰惨な闘いの理由は当然小学生には理解不能だったが、食事のシーンで、ブランチが皿のふたを取ると、小鳥やネズミの死骸が現れるシーンがショッキングだったことと、砂浜でアイスクリームを待ったジェーンが、警官と野次馬に囲まれながら踊るラストシーンだけはよく覚えている。そしてそれらのシーンの異様さがトラウマになって、いまだにきちんとは見直せずにいる。
 
 後に、2人がかつての大女優だったことを知った時は、よくこんな役を引き受けたなあと思ったものだが、今、自分が当時の2人とそう変わらない年齢になってみると、彼女たちがこの映画に出た時の気持ちが何となく分かる気もするのだ。そこには老いに対する葛藤や戸惑い、抗い、開き直り、女優としての意地など、さまざまな思いが交錯していたのではないかと。
 
 この後、クロフォードは女優としては振るわなくなるが、デイビスは映画に出続け、最後に、まるでご褒美のような、『八月の鯨』(87)という素晴らしい映画を手にするのだ。
 
ベティ・デイビス『月光の女』
 
ジョーン・クロフォード『大砂塵』
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『王様と私』

2019-07-08 08:13:41 | 1950年代小型パンフレット
『王様と私』(56)

  

 19世紀、シャム王国(現在のタイ)にイギリスから赴任した女性家庭教師アンナ(デボラ・カー)と、王(ユル・ブリンナー)の交流を描きながら、東洋と西洋の違いを浮き彫りに。「シャル・ウイ・ダンス」を始め、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタインJr.による楽曲が素晴らしいミュージカル大作。周防正行監督の『Shall we ダンス?』(96)で、ダンス教師のたま子(草村礼子)がこの映画について語るいいシーンがあった。
 
名画投球術 No.14(現状最終回)いい女シリーズ4「正真正銘の“美女”が観たい」デボラ・カー
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/be594f2a790e1b4a23a8b68236557b94
 
 淀川長治先生はこの映画のことをこんなふうに語っていた。(『20世紀映画のすべて』)
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『アラバマ物語』

2019-07-03 10:45:14 | 1950年代小型パンフレット
『アラバマ物語』(62)(1982.6.28.)
 
   
 
 1930年代、人種的偏見が根強く残るアメリカ南部で、白人女性への暴行容疑で逮捕された黒人青年の事件を担当した弁護士アティカス・フィンチの物語。当時の出来事を、成長した娘のスカウトが回想するという形式で描く。
 
 グレゴリー・ペックは、この映画でアカデミー主演男優賞を獲得しているが、いい意味で、他の映画の彼のイメージとそれほど大きく違うとは思えなかった。
 
 例えば、ジョン・ウェインが昔気質の西部男を演じ続けたように、ペックやジェームズ・スチュワートは善良で紳士的なアメリカ人を演じ続けたからだ。そこには、今の俳優のような、奇をてらった演技も、エキセントリックな演技も必要なかった。
 
 それ故、ごく平凡な演技に見えてしまいがちだが、実はこの平凡な典型を演じることこそが最も難しいのではないかと思う。その意味で、この映画のペックは『子鹿物語』(46)の父親像とも通じる温かさを感じさせてくれた。脇役のブロック・ピータースやロバート・デュバルも好演を見せる。
 
 とは言え、この映画はどこか突っ込みが足りないような気がする。例えば、最初のエピソードにおける黒人差別の問題にしても、裁判のシーンで問題の根に触れておきながら、無実なのに有罪となる黒人青年(ピータース)を殺してしまうことで、解決をつけないままで終わらせてしまった。
 
 続いての正当防衛編?でも、原題の「モノマネ鳥を殺す」の反語の「無害のものをむやみに殺してはいけない」という言葉を引用して片づけてしまった感がある。そして意外にさらりと描いているので、問題提起を感じるほどの衝撃もなかった。
 
 ただ、この映画が作られたのは今から約20年前。あの頃はこの程度の描写やセリフが観客にショックを与え、問題提起を促したのだとすれば、俺が感じたことは時の流れによって生じたものなのかもしれない。
 
【今の一言】などと、生意気にも30数年前の自分は書いているが、この映画は見るたびに好きな映画へと変化していった。それは、この映画が一種の寓話であることに気づき、その中で、本当の正義とは何かを考え、全ての問題が解決するとは限らないことを知ったからである。今では法廷を去る時のペックの姿に素直に感動する。
 
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『赤い河』ホークスとデューク

2019-07-01 16:31:21 | 1950年代小型パンフレット

『赤い河』(48)(2007.7.21.『MOVIE』ジョン・ウェイン特集号 巨匠たちとのコラボより)

  

  

 リオ・グランデの近くで牛を放牧するダンソン(ジョン・ウェイン)は、1万頭の牛群をミズーリまで運ぶ計画を立て、孤児のマシュー(モンゴメリー・クリフと)らと共に旅立つ。

 この映画を監督したハワード・ホークスは、1896年米インディアナで生まれた。スクリューボールコメディー、ミュージカル、ギャングもの、ハードボイルド、戦争もの、そして西部劇とあらゆるジャンルで名作を残した。だから彼には“男性映画の巨匠”“女優の魅力を引き出す監督”などさまざまな形容詞が付けられている。だがそられはどれも彼の映画の一端をとらえているにすぎない。その魅力を一言で言い当てられないほどホークスの映画は幅が広いのだ。

 この映画に始まり、『リオ・ブラボー』(59)『ハタリ!』(62)『エル・ドラド』(67)『リオ・ロボ』(70)と、ホークスが撮ったジョン・ウェイン=デュークの映画は全部で5本。これは同じ監督と繰り返し映画を撮る傾向が強かったデュークの作品歴の中ではそれほど多い本数ではない。だがジョン・フォードとは全く違った形で築かれたデュークとホークスの信頼関係はデュークの俳優人生の中で特別な位置を占めている。

 フォードとホークスは1歳しか年が違わなかった。「タフなデュークを扱えたのはフォードと私だけだ」とホークスは言うが、デュークに対する2人の接し方はまったく異なった。フォードはいつまでもデュークを新人のように扱ったが、ホークスとデュークは互いに尊敬し合い対等の関係を築いた。だからフォードの前ではいつも緊張していたデュークがホークスとの撮影現場ではリラックスできた。

 例えば2人が最初に組んだ『赤い河』はデュークが初めて老け役に挑んだ映画だが、どう演じたらいいかと悩むデュークにホークスは「いいかデューク、全てのシーンでうまく演じようなんて考えるなよ。せいぜい五つぐらいのいいシーンがあればいいんだ。観客が途中で出ていかなければそれはいい映画だということだ」とユーモアを交えながらアドバイスを送り、デュークの気持ちを和らげた。そしてデュークは難役を見事に演じ切り、それを見たフォードは「あいつにこんな演技ができるとは思わなかった」と言って『黄色いリボン』(49)で老け役を演じさせたのだ。

 次にホークスとデュークが組んだのは11年後。ゲーリー・クーパーが主演した『真昼の決闘』(52)に反発した2人は、「本当の保安官を見せてやる」と言って会心作の『リオ・ブラボー』を作った。以後の2人の映画がどれも同じようなパターンに終始したにもかかわらず見る者を楽しくさせるのは、打ち解け合った撮影現場の雰囲気がそのまま映画に反映された結果だろう。

 デュークにとってホークスがいかに特別な存在だったのかは、『赤い河』で使った牛の烙印をあしらったベルトのバックルを、フォードの映画以外で愛用し続けたこと。アカデミー賞とは無縁だったホークスが74年に名誉賞を受けた時にはプレゼンター役を買って出たこと。そして77年にホークスが亡くなると、その葬儀で「千の風になって」を朗読したことなどからもうかがい知ることができる。

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“呪われた”『西部の人』

2019-06-24 08:21:51 | 1950年代小型パンフレット
『西部の人』(58)
 
   
 
 過去の悪事を隠し、今は更生した男(ゲーリー・クーパー)が、図らずも、彼の過去を知る男(リー・J・コッブ)と再会してしまう、という因果を描いた西部劇。
 
 『怒りの河』(52)『裸の拍車』(53)『ララミーから来た男』(55)でジェームズ・スチュワートをいじめてみせたアンソニー・マン監督が、この映画では老いたクーパーを苦しめている感じがする。また共演のジュリー・ロンドンにストリップを強要するシーンもあり、マンのサディスティックな一面が垣間見える映画だと言ってもいい。製作はウォルター・ミリッシュ。脚本はレジナルド・ローズ。
 
 先日、妻が知人からジュリー・ロンドンのCDを譲られたことから、この映画が見てみたいと言い出した。家にはDVDがなかったので、ネットでTSUTAYAの在庫を調べてみたら、松戸店にあるというので、まず確認の電話をしてみたが出ない。仕方がないので直接店に行ってみると棚に該当の商品はなく、結局この店にはもう『西部の人』は存在しないことが分かった。
 
 仕方がないので他の店舗を調べてみたら、北千住と亀有にあるという。ところが行ってみるとどちらも松戸と同じ結果だった。まさに“呪われた”『西部の人』という感じで、こうした映画のレンタルDVDが置かれている状況を象徴しているとも思えたが、それはそれとして、自分のような少数派の客もいるのだから、これはきちんと「在庫なし」にしておくべき。TSUTAYAには、もう少し在庫管理をしっかりやってほしいと強く感じた。
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