『仰天・平成元年の空手チョップ』(夢枕獏)(1993.5.)
昭和38年に亡くなった力道山は、実は冷凍睡眠で眠っていただけだった。そして平成元年に当時の肉体のまま蘇生し、前田日明と闘うことに。時空を超えたこの試合の前座を務めるのはジャイアント馬場とアントニオ猪木だった。
あとがきに「嫌いなレスラーひとりもなし」とあるように、今や細かい団体に分裂してしまったプロレス界の全ての団体やレスラーたちに愛を込めたおかしくも悲しい話であった。
何しろこの話は、それらの団体の垣根を取っ払うのが冷凍保存化されたかの力道山であり、そうした過去の人物を生き返らせるというSF的な突飛な発想がなければもはやプロレス界の一本化が不可能だということも同時に語ってしまっているからだ。
とはいえ、この夢の作業は見事であり、ジャイアント馬場が、アントニオ猪木が、前田日明が、藤原喜明が、ラッシャー木村が、生き生きと己の存在をアピールし、こちらが思う通りに行動してくれるくれるのは快感であった。現実には起こり得ない夢を描くのがSFだとすれば、これは優れたSF小説であるに違いない。
『フォーエヴァー・ヤング 時を超えた告白』(92)(1993.5.11.丸の内ピカデリー2)
1939年。テスト・パイロットのダニエル(メル・ギブソン)は、恋人のヘレン(イザベル・グラッサー)にプロポーズしようとするが、うまく言葉にできないまま別れてしまう。その直後、ヘレンが事故でこん睡状態に。ダニエルは絶望し、ヘレンの回復を待つため、親友の科学者(ジョージ・ウェント)が発明した人間冷凍装置の実験台に志願する。長い年月が流れ、ある日ダニエルは目覚めるが…。監督はスティーブ・マイナー。共演はジェイミー・リー・カーティス。
映画『レイト・フォー・ディナー』(91)、夢枕獏の小説『仰天・平成元年の空手チョップ』と、図らずもこのところ自分の中で“冷凍復活もの”が続いた。この映画もその範疇にあり、今度はどんな手で来るのかと思いながらも、実はこうした“時を超えた愛もの”にはからきし弱いのでちょっと楽しみにしていた。
ところで、この映画は「冷凍保存された方は若いまま」という約束事を破って、目覚めたメル・ギブソンをどんどん老けさせて相手と同じにするという手を使ったのだが、愛の永遠性を説くという意味では、常道である両者の間に年の開きがあった方が切なくて説得力があると思ったのだが、どうだろう。まあ、これは好みの問題かもしれないが…。
とはいえ、この映画も『レイト・フォー・ディナー』も、時間差を描きながらディテールがルーズで興ざめさせられるところがある。そうなると、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズや『ある日どこかで』(80)、あるいは大林宣彦の諸作や、ジャック・フィニイやレイ・ブラッドベリの小説が描いた時間差ものの見事さが浮き彫りになる。要するに、時を超えるという、不可能な、しかし魅力的な夢に説得力を持たせることがどれだけ大変な作業なのかということなのだ。
『レイト・フォー・デイナー』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2ea44f4d724b0a1f579d3d583a856645
『仰天・平成元年の空手チョップ』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/1b5f7cc15744ff324e422c609378e09d