『海峡』(82)(1982.11.4.有楽座)
健さんのストイックに耐える姿はいささか食傷気味である。この映画で感動を覚えたのも青函トンネルの貫通シーンぐらいのもので、後はひたすら耐える健さんと、それを陰ながら慕い続ける吉永小百合の姿を延々と見せられるのだから、もう勘弁という感じになるのだ。
森谷司郎監督は、『八甲田山』(77)の成功以降、『漂流』(81)そしてこの映画と、自然に立ち向かう人間の姿をテーマにしているにも関わらず、スペクタクルの中で人間を描き切れずに空回りの大作を連発している感がある。そこにいつもながらの健さんの姿を置かれれば、見る側は「あーまたか…」という気分になる。単純に夢を成就させた男の姿として見ればいいのかもしれないが、主人公がかっこよ過ぎて違和感を覚える。
また、脇役の描き方の失敗も大きい。健さん、森繫久彌、三浦友和がメインにしても、青函トンネルなどという一大事業を描くには、それに携わる多くの人々のドラマが不可欠なはずだ。ところが、3人の主役の姿は浮かんでも、その他大勢の人々の姿はあまり浮かんでこない。通り一遍の描写で終わってしまっている。こうした大事業では、その他大勢の力の結集が感動を呼ぶはずなのだが…。題材としては『黒部の太陽』(68)にも匹敵するはずのものだっただけに残念な気がしてならない。木村大作のカメラワークは素晴らしかった。
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