硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

「昭和16年夏の敗戦」と、妄想の続き。

2020-09-07 21:55:04 | 日記
妄想の続きです。

ブログを更新してから、しばらく考えていて、ふと思いついたことがあったので、忘れてしまう前に追記しておきます。

石原莞爾さんという方は、思考の根幹に法華経と南洲翁遺があり、たいへん頭脳の切れる人だったのですが、なぜか、予備役に左遷されます。
その事実を知った時、「なんでなんだろう」と思いました。

それは、東条英機さんと仲が悪かったというのもあるけれど、それだけで、予備役に回されるだろうかと、ずっと疑問に思っていました。しかし、本書を読んで,妄想を続けてみて、こう思ったのです。

石原莞爾さんが「総力戦研究所」と同様の存在に映っていたとして、石原さんが軍部をコントロールできる立場に就いてしまうと、形勢逆転が難しくなると踏んだからではないかと思ったのです。
その結果、実権を取り戻したい人々の手によって、意図的に「外された」のだとしたら、彼の処遇にも納得がいくのです。

本当の所は、永遠に誰にもわからないけれど。

「昭和16年夏の敗戦」と、個人的な妄想。

2020-09-07 11:40:00 | 日記
「昭和16年夏の敗戦」を読み終える。

溜息しか出ない結末と、猪瀬さんによる現政権の批評。石破茂さんとの対談は、現政権に不安を感じさせるけれど、僕は選挙権を行使しているので、これ以上できる事はない。

それはさておき。

本書を読んで『なぜ戦争が起きたのか』を個人的な妄想で述べてみたいと思う。

もし戦争が「官史」によって、事務的に進められたのだとしたら、、やはり、誰かの手によって意図的に操作されたと考えられる。

「総力戦研究所」の人達によって、「敗戦」が予測されており、米ソ英との国力の差を知っている一握りの人達が開戦に踏みきったのは、なぜか。

そこで考えられるのが、藩閥である。

これは、あくまでも妄想でしかないけれど、「バーデンバーデンの密約」が引き金になったとしたら、山形有朋さんが亡くなられた後、彼らと同じ境遇に陥った者達が黙って引きさがっていないと思う。まだ、明治維新を引きずっている世代であり、血の気の多い人たちであるから、必ず復元力が起こるはずである。

現在、政府の御紋は「桐」である。徳川幕府から「豊臣」へ実権を戻したという意味ともとれる。
吉田茂さん、安倍晋三さんはどの藩閥出身なのか考えると、その復元力は相当強いものと思われる。

どのような経路で実権を取り戻すか。頭のいい人たちが、練りに練って、事あるごとに軌道修正をしながら目標に向けて、多くの犠牲を払いながらも、粛々と進めていくのは、歴史的に見ても、妥当な考えだと思う。

幕末以前と違い、内戦を起こした所で、状況はひっくり返らないことは、承知していたであろうから、大きな戦争を通してでしか、実現されないと踏む。
勝てば官軍負ければ賊軍という思考があるなら、大きな力の方へ寄り添っておけば、形勢は必ず逆転するであろうと予測できる。
戦争回避でもなく、引き分けでもなく、勝利でもなく、完全な敗戦という形でなければ、権力は戻ってこない。
外国との戦であるから、主は勝利国になるが、植民地になってしまったとしても、その州の権力者にはなりえると考える。

その論理で、「開戦」を演出していたと考えると、戦争か和平かで、右往左往している人たちより、目的が明確であるので、強気に出られるといえる。

妄想している僕も、うそだろっと、思うけれど、難しい事を横に置いておいて、自尊心の高い人たちが貶められたとき、シンプルに何に欲望するのかを考えると、このような妄想に着地してしまったのです。

本当の所は、永遠に誰にもわからないけれど。