ノブとキョン+2の日々

日頃の出来事を書いています。
楽しく過ごせたらいいなと思います。

2013年10月05日 | ノブ
民宿に宿泊し翌日は佐世保まわりで帰りました。
佐世保市の針尾というところには高い塔が3本建っています。

その一つ


見上げるほどの高さで

136mの高さがあり基底部の直径は12mで煙突のような構造です。

旧日本海軍の通信施設。旧佐世保無線電信所(針生送信所の施設です。
三基の無線塔は鉄筋コンクリート製です。
無線塔は正三角形に配置され、先端にアンテナ線が三角形に張られていたそうです。

内部は

煙突状になっており内部にはしごが設置されています。

アンテナ線を張ったりゆるめたりしていたウインチも残っていました。




大正7年(1918)から大正11年(1922)に建設されました。
古い鉄筋コンクリートの塔でおまけに海の近くなのに腐食は全くありません。
よっぽどいい材料と高い技術で建てられたようで全然痛んでいません。

現代の鉄筋コンクリート製の建物(橋や高速道路なんか)が腐食しているのとは
大違いです。

今年の6月に国の重要文化財に指定されたそうで、一般に解放して見学してもらっています。
地元の方のボランティアガイドも熱心です。


三角形の中心には電信室とよばれる鉄筋コンクリート造の通信施設も建てられていました。

半地下室の二階建てです。
今はツタに覆われていますが、将来は整備して展示室にする計画があるそうです。
なかにコウモリがたくさん住んでいるそうです。

他の設備。
この建物は、油庫(燃料庫)今はボランティアの方の詰め所になってます。


太平洋戦争の開戦を告げた「ニイタカヤマノボレ1208」を送信した施設として
有名だそうですが、そのことに関する資料はなくて送信したかどうかは不明だそうです。

この施設が空襲に遭わずに残っているということは、

一説ではこの施設を米軍は利用していたのではないか?
米軍は暗号を解読しきっておりここから発信される情報を利用していたのではないか?
また、長崎市、佐世保市への空襲の目印にも使っていたのではないか?

というような説明もしていただき納得した次第でした。

100年近く経っているのに状態がすごく良く、あと200年は大丈夫ではないか?との
学術調査の結果が出ているそうです。


重要文化財に指定され国から補助金が交付されるそうです。
今は一本の塔しか見学出来ませんが、今後三本とも見学できるようにして
展示室も造って施設を整備していくそうです。
整備されたらまた見学に来よう。

遠くに見えるのは・・・

2013年10月05日 | ノブ
海岸線の向こうに見えてきました。
前々から行ってみたいところでした。


望遠鏡をのぞくと


ここは長崎 野母崎
見えているのは軍艦島でした。


明日軍艦島に上陸する計画を立ててましたが台風が来てます。
この時は
思ったより凪いでいるので明日は行けるかも・・・と期待してましたが、
たぶん明日は波が高くなって行けないだろうなと半分あきらめてました。

泊まる予定の民宿に夕方ついたら 
ご主人が明日の上陸を船長さんに相談してくれて

やっぱり明日は台風の影響で上陸は無理とのことでした。
今(夕方)なら上陸は無理でも軍艦島の周りをまわれますとのこと。

急きょ、みんなで相談の上、連れて行ってもらうことにしました。
急いで港に向かって

出発!


陽が沈む前に行かなくては ということ
ものすごいすごいスピードで向かいました。


夕闇の軍艦島


まわりこんでもらい 日本で一番古い鉄筋コンクリートの団地


すごい所でした。


この角度でも戦艦に見えました。


次はぜひ上陸したいものです。


暗くなったので軍艦島とお別れ


帰りもぶっ飛ばしてくれました。
軍艦島の灯台が名残惜しく灯ってました。


泊まりの民宿でイセエビをいただきました。
野母崎はイセエビで有名です。


味噌汁最高!


翌朝 泊まった野母崎の民宿
お世話になりました。