良く覚えている 。僕は18年4月に小学校1年になっていた。この日は高等科2年生の団長さんに引率されて通学団の小学生は全員[(等科1年や2年を含む)で町内のお墓の戦没者の石碑にお参りするという行事があった。僕は当時から虚弱ですぐに風邪をひく子供であった。母親が心配して防空頭巾を被せ、綿入れの羽織を着せて送り出してくれた。雪の中を歌を歌いながら列を作って歩いた。その時の光景や雪の中を歩く興奮をよく覚えている。その時の歌は今も覚えている。「勝ち抜く僕ら少国民」と云う歌であった。
「勝ち抜く僕ら少国民」の歌
①勝ち抜く僕ら少国民、天皇陛下の御為に
死ねと教えた父母の 赤い血潮を受け継いで
心に決死の白襷(しろだすき) かけて勇んで突撃だ。
②今日、増産の帰り道 みんなで摘んだ花束を英霊室に
供えたら、次は君らだ分かったか しっかりやれよ頼んだぞ
胸に響いた神の声。
まだまだ4番ぐらいまであったと思うが、全然思い出さない。多分。①と②ばかり歌って歩いたたのだろう。
今から思うとゾーッとするような歌だ。我が国は12・8前後のことから、いろいろな教訓を引き出して民族の教訓とすべきだと思うが、今やすっかり忘れてしまって、テレビではクリスマスのことばかりやっていて、開いた口が閉まらない。何時の間にキリスト教徒がこんなに増えたのか、クリスマス商戦で儲かればいいということらしいが、こういう行いを、はしたないとか、下品という。困ったご時世だし、困った民族文化だ。
「脚注」「連合艦隊司令長官山本五十六名で、「二ィタカヤマノボレ」の暗号電報が打たれ「大本営陸海軍部発表「帝国陸海軍は本日未明東太平洋上にて米英軍と戦闘状態に入れり」のニュースが流され、昭和天皇の詔書「天佑を保有し万世一系の皇祖をフメル大日本帝国天皇は昭かに忠誠武勇なる汝有衆に示す
朕茲に米国および英国に対して戦いを宣す朕が陸海将兵は全力を奮って交戦に従事し・・・・・・・・。が発せられたのが昭和16年12月8日であった。なお、この開戦の詔書は全文を書家の毛筆によって見事に描かれた和紙を頂戴しました。僕の祖父が存命なら頂戴した詔書を額に入れて床の間に飾ったことだろう。(T)