かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

織田信長の策略について。

2015-12-30 | 気ままなる日々の記録

  子供の頃祖父に連れられて木曽川の河原の中にあった我が家の林によく薪を取りに行った。そこから、岐阜の金華山が良く見えた。祖父は、早速金華山にまつわる話を聞かせてくれた。

  織田信長は尾張の国の中島郡辺りに城を構えた織田家の当主の嫡男であった。信長が子どもの頃信長の親が急逝したら、急逝した当主の兄弟が信長を無視して自分たちが織田一族の当主になろうと内紛を起こした。信長はよき家老たちに守られ叔父たちの反乱軍に勝利し尾張北部を統一、やがては京に攻め上って全国統一に向かうのではないかと噂されるほどの有望な名将になっていた。信長が京へ攻めのぼるとすれば、最初に戦うのは木曽川を挟んで尾張と国境を共にする斉藤家でその居城が金華山にあった岐阜城である。そこで、岐阜城の斉藤道三は自分の娘お衲(のう)を

信長の嫁に差し出した。政略結婚である。結婚してから信長は夜の1時ごろになると毎晩寝所を抜け出し3時ごろ戻る。衲姫はそのことについて、信長に尋ねた。すると信長は「お前も織田家の人間になったから秘密の話をしてやるが、決して他言してはならぬぞ」と念を押してから、斉藤家の有力武将5人の名前をあげて、「彼らは俺を慕っていて、準備が出来たら丑三つ時にのろしを上げるから、それを見たら攻め込んできてくれ」と云っているので、毎晩狼煙を見ているのだと云った。お衲は驚いてそれを手紙に書き自分に従って織田家へ一緒に来てくれた侍女に持たせて岐阜城の父に知らせた。

 斉藤道三はその5人を呼び出し謀反のたくらみありと怒り切腹を申し付けた。その噂を聞いた信長はよーしと金華山に攻め込み一気に道三を殺したという。

 祖父はこの話を身振り手振りを交えて紙芝居のオジサンのようにしてくれた。そして「例え婿や娘の云うことでも鵜呑みにしてはいけない。何事も自分で真偽を確かめる大人にならないと、斉藤家のようにつぶれてしまうと云っていた。以上祖父から聞いたお話でした、終(T)