かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

「メリークリスマス」と云わなくなったアメリカ。

2015-12-14 | 気ままなる日々の記録

  何月何日のどの新聞だったか失念したが新聞のコラムで読んで、胸を痛めている。理由は相手がイスラム教徒かもしれないからだという。替わって「ナイス・ホリデー」などというのだそうだ。

  替わって日本はお寺の子どもがキリスト教系の私立幼稚園へ通っていたり、お寺でクリスマスパーテイーを開いたりしている。

  筆者は勿論日本のおおらかさ賛成派だが、少し落ち着かない。

 どの辺にその原因があるのだろう。此処で思い出されるのが飛鳥時代天皇家を支えていた有力氏族の曽我氏と物部氏が仏教導入に関して激しく対立し天皇家はその収集に困ったことである。

 更に聖徳太子は仏教に帰依し盛んに経典を輸入し学ぼうとされたことだ。太子は仏教を通して入って来る芸術や土木建築学や薬草を中心とした医学薬学を取り入れようとされたという説もあるが、日本には天照大御神を中心とする神道があるから阿弥陀如来を中心とする仏教を入れるべきではないという説も説得力があり一つ間違うと両者の戦争が始まる気配さえ生まれてきた。

 此処で天皇家に仕えていた知識人が考え付いた論理が「本地垂迹説」と云う考え方であった。

 日本の天照大御神が中国や韓国では阿弥陀如来としてお姿を現された。だから実は天照大神と阿弥陀如来は同じ神様だという論理であった。

 キリスト教やイスラム教では考えられない論理であったがこれで対立は解け天皇家は両者の上に立って繁栄した。

 その背後にある特徴は日本の神々が一神教ではなく多神教であったことと、日本の神道に戒律が無かったことがある。

 かくしてキリスト教やイスラム教のような宗教戦争は日本では激減した。

 文化論的に云えば自然災害の博物館のような我が国ではみんな仲良くして力を合わせて災害復旧に努めなければ全員が餓死してしまうという自然環境が背景にあったからだ。(T)

脚注、日本は、地震王国であり、津波大国だ。台風も毎年20個ぐらいは本土に近づく。火山は噴火するし溶岩は流れ出る。落雷は世界一位多い。筆者はオーロラを見るためカナダのイエローナイフに滞在したことがあるが、此処は2000年ぐらい地震は無いと云っていた。勿論台風も来ない。火山の噴火もない。まあ視点を変えて良いところを探せば雨が良く降り稲を育てやすいことぐらいだろう。アフリカの砂漠より有り難いと思うべきであろう。太陽光発電の技術が進むとアフリカの砂漠こそ自然の恵みと云う時代が来るかもしれない。(T)

 

     カラマツの並木


なぜ 文春。

2015-12-14 | 気ままなる日々の記録

 最近、週刊誌をよく買うようになった。何故かと云うと小説など長い文を読む根気が亡くなったからである。コンビニへ行ってどれにしようかと迷うがどうしても週刊文春を買ってしまう。表紙がとても好みに合っているから。

  週刊誌というと顔写真がでかでかのったものが多いがなぜか自分で買って読もうとは思わない。先ず、表紙と云うわけ。

  今まで何冊も買ったが誰が描いたかと云うことまで関心がいかなかった。12月10日号で初めて和田誠と云う方が描かれていることを知った。このときは『夕日』の絵、佐渡の旅シリーズ6回目だそうで帰りのフエリーの中から見た夕日をシンプルに描いてある。青い海、茜色のくも、中心に輝く夕日があるのみ。

 編集後記のようなところに『表紙はうたう』と短いエッセイが載っているので音楽にも関係のある方なのだろうか。

  ほかの号も調べて見た。12月3日号では題名は『金と銀』、12月17日号では『歓喜の歌』とどれも題名はすべて音楽からとってあった。ちなみに12月17日号の絵はベートーベンのお墓。週刊誌の表紙にお墓とは。ユニークというか。何というか。

  でもウイーンの中央墓地と聞くと色やデザインまでがおしゃれに見えてくるから不思議である。

  [追記]    和田誠氏について。有名なイラストレイター。1977ねん以来週刊文春の表紙絵とエッセイ『表紙は歌う』を担当。(E)

      茜色に染まった空

 


ふるさと納税

2015-12-12 | 気ままなる日々の記録

  昼ごろ、誰かが部屋をノックした。ここのスタッフと違ってやや遠慮がちのノックの仕方であった。こんな時間になんだろうと思いながらドアーを開けると宅配のお兄さんが目に入った。御届け物ですと大きな箱を差し出した。思わず部屋を間違えていませんかと問い返しそうになった。頭の中で急いで記憶を辿ってみると数日前、和菓子を注文したことは覚えている。

  和菓子屋さんの包装の仕方はすぐわかる。箱の形、包装し、テープにいたるまで実に優美にできていて一目見ただけで違うと直感した。とにかく受け取ってからよく眺めてみる。大きな平らな段ボールにテープで留めただけの野暮ったい包装。箱の側面に天童フルーツとの印刷がある。

  

  ここでやっと思い出した。我々の知り合いが今年は山形でふるさと納税をするとか言っていたのを。その恩恵にあずかり山形から届いたのだ。 ラ、フランスが。開けてみると大きなLサイズの梨が10数個、もちろん昼食のデザートに早速頂いた。みずみずしい上に甘くて申し分なし。我々までこんな恩恵をうけていいのだろうかと複雑な気持ちになった。

  私は、いままでふるさと納税とは 故郷を離れた人が自分の育った土地に感謝して恩返しのつもりでするものばかりだとおもっていた。 しかし、それを拡大解釈して過疎の地方へ納税してもよいことになったらしい。都市へ集中しがちな点を考えれば、それも一つの方策かも知れない。しかし、何千円もする特典を出していたら、その方の支出が大変だ。程々にと思う。ふるさと納税と云う言葉にはとても良い響きがあるが何処かで少し異なった方向へいったようだ。それにしても、ラ・フランスは大好物。美味しく頂くことにする。(E)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「民泊推進政策が心配です。

2015-12-10 | 気ままなる日々の記録

   最近政府の音頭取りか「民泊」推進が自治体レベルの規制緩和で進められているようです。東京都の世田谷区が推進を決めたというニュースがながされています。「民泊」とは、マンションとか、アパートとか自宅の空き部屋を外国人の宿泊用に貸し出すことを認めることで、高収入につながり、近所の商店やコンビニも売り上げが増加し地域活性化にやくだつという、ふれ込みです。

  主な外国人は中国人や、タイやインド人で安く海外旅行を楽しもうとしているひとたちのようです。オソマツ君が心配していることは宿泊すれば洗面所からバスルームやトイレも使うわけで衛生面の管理です。結核菌やノロウイルスの保菌者が来て日本人に感染しないか。

  健康診断とか、発熱したらすぐに医療機関に罹る習慣のある国の国民ならそれほど心配しないが

ほかっておいて治ったという人こそ強力な保菌者になっている可能性があります。そんな危ないおもいをしてまで売り上げを伸ばしたいのか?GDP600兆円とかが目標だそうだがこうした目標は卑しい。

  学生時代に聞いた話だからやや怪しいが、太平洋にある小島で産業は漁業とバナナの栽培だけの長閑な島があった。男たちは疲れたら木陰で休み家族が食べる分だけバナナを取り、女たちも子どもたちと遊び女友達とのオシャベリで毎日を送っていた。

  この国のGDPはほんのわずかで世界最貧国ということであった。そこで先進国が経済援助をして飛行場を造ってあげ世界のお金持ちのリゾートにしてあげ、自分たちでホテルを造ったりするようアドバイスした。ところが、飛行機に乗ってきたのは蚊であった。この島には蚊はいなかったが大発生し男も女も蚊に刺されるため先進国から蚊帳を買わなければならなくなった。そのお金を稼ぐため休まず魚を取り女もバナナ栽培に汗を流しやっと蚊帳を買った。

  この時点で国民総生産『GDP』は大きく伸びたが国民生活は蚊がもち込まれる前より格段に悪くなった。つまり、GDPなどと云う経済指標はその程度の物で、真の豊かさと関係ないということだ。そんなものを600兆にしても国民が豊かになるか、豊かとはどういうことかを明確にして目標にしないと、とんだことになる。

「民泊」はもっとよく議論してから踏み出して欲しい。(T)


昭和18年12月8日は朝から雪だった。

2015-12-08 | 気ままなる日々の記録

   良く覚えている 。僕は18年4月に小学校1年になっていた。この日は高等科2年生の団長さんに引率されて通学団の小学生は全員[(等科1年や2年を含む)で町内のお墓の戦没者の石碑にお参りするという行事があった。僕は当時から虚弱ですぐに風邪をひく子供であった。母親が心配して防空頭巾を被せ、綿入れの羽織を着せて送り出してくれた。雪の中を歌を歌いながら列を作って歩いた。その時の光景や雪の中を歩く興奮をよく覚えている。その時の歌は今も覚えている。「勝ち抜く僕ら少国民」と云う歌であった。

「勝ち抜く僕ら少国民」の歌

               ①勝ち抜く僕ら少国民、天皇陛下の御為に

                死ねと教えた父母の 赤い血潮を受け継いで

                心に決死の白襷(しろだすき) かけて勇んで突撃だ。

               ②今日、増産の帰り道 みんなで摘んだ花束を英霊室に  

                供えたら、次は君らだ分かったか しっかりやれよ頼んだぞ

                胸に響いた神の声。

  まだまだ4番ぐらいまであったと思うが、全然思い出さない。多分。①と②ばかり歌って歩いたたのだろう。

  今から思うとゾーッとするような歌だ。我が国は12・8前後のことから、いろいろな教訓を引き出して民族の教訓とすべきだと思うが、今やすっかり忘れてしまって、テレビではクリスマスのことばかりやっていて、開いた口が閉まらない。何時の間にキリスト教徒がこんなに増えたのか、クリスマス商戦で儲かればいいということらしいが、こういう行いを、はしたないとか、下品という。困ったご時世だし、困った民族文化だ。

「脚注」「連合艦隊司令長官山本五十六名で、「二ィタカヤマノボレ」の暗号電報が打たれ「大本営陸海軍部発表「帝国陸海軍は本日未明東太平洋上にて米英軍と戦闘状態に入れり」のニュースが流され、昭和天皇の詔書「天佑を保有し万世一系の皇祖をフメル大日本帝国天皇は昭かに忠誠武勇なる汝有衆に示す

朕茲に米国および英国に対して戦いを宣す朕が陸海将兵は全力を奮って交戦に従事し・・・・・・・・。が発せられたのが昭和16年12月8日であった。なお、この開戦の詔書は全文を書家の毛筆によって見事に描かれた和紙を頂戴しました。僕の祖父が存命なら頂戴した詔書を額に入れて床の間に飾ったことだろう。(T)

 


ハス池

2015-12-08 | 気ままなる日々の記録

 施設の中庭にあるハス池は夏は鴨の雛が誕生したり、古代ハスが一杯咲いたりしてとても人気がある場所である。その後も菖蒲の花や睡蓮が人々の目を楽しませてくれる。今では水生植物の河骨や珍しい半夏生なども枯れてしまい見るものは鯉の稚魚と水生植物のみとなってしまった。

  訪れる人もぐっと減り鯉も池の奥でじっとしている。餌を与えても夏場のように競って集まってこない。それでも我々は毎日のようにハス池へ出かける。1回だけでは物足りなくてなんとなく一人で先に出かけ、また二人で訪れる。なぜそんなにひかれるかと云われても日光浴をするのにとてもよい場所としか言いようがない。風も吹かない良い場所に4人掛けベンチが三つ。ほのぼのとした

 蓮池

会話ができ、体がポカポカ温まる。とっておきの場所である。ときどき、日光浴をする人が看護師さんやリハビリの先生と一緒にみえる。ところが、先日三日間ほど閉鎖された。そして、池の水も三日間抜かれていた。池のヘドロを2年ぶりに掃除しているとのこと。予報によれば暖かい日が続くという。十分に日光浴をしたいものだ。(E)


尊敬する書家から、貴重なコメントをいただきました。

2015-12-06 | 気ままなる日々の記録

   私の「ちり鍋の季節になりました」にたいして、写真入りのコメントをお書き戴いたようですが、パソコンがうまく受け付けてくれなかったようで、それをプリントアウトして届けてくださいました.  

  書家は舞鶴ご出身で私がブログで「寒気が南下して日本海沿岸で吹雪と降雪注意情報が出される季節となりました」の一文で故郷の吹雪の情景を思い出されたそうで、私が「鱈」[魚ヘンに雪」が江戸時代日本で作られた漢字であることを述べ「ちり鍋」を推奨いたしましたところ、この季節は「鱈」ではなく「蟹」と「鮟鱇」ですよ、とコメントを書き積雪85㎝の街並みの風景写真を添えて届けてくださいました。

  とても説得力のあるコメントで、魚や漁にお詳しいことが良く読み取れました。この印刷の最後のところに畏れ多くも、私や私が師匠とお呼びしている方のお名前をお書きになり、3人でパソコンや日々の話しや雑談をするのが、最高に楽しい日常です、とさえお書き戴きました。

  私もズワイ蟹が、美味しいことはよく知っていますがなにしろ「越前蟹」は値段が高くて気楽にいただけませんでした。この季節になると、東海道線尾張一宮駅から、「民宿で越前蟹を一人1パイ」というキャッチフレーズでツアーバスが出ていましたがその料金が民宿で3泊できるほどもしたものです。だから、気安く「ちり鍋」のようには、参りませんでした。失礼シマシタ。(T

白銀に雪化粧した「御嶽山」!

 


ちり鍋が恋しい季節となりました。

2015-12-05 | 気ままなる日々の記録

   寒 気が南下して日本海沿岸に吹雪と降雪注意報が出される季節となりました。

   この季節になるとどっと水揚げされるのが「鱈(たら)」です。この漢字は江戸時代に日本で作られた文字で魚ヘンに雪で、よく感じがで出てます。

   「たら」と訊いたら食べたくなるのが「ちり鍋」です。「ちり鍋」はポン酢」ですよね。そして、燗を付けた日本酒がよく合います。気の合った友人とオーバーの襟を立てたまま、小料理屋に入って「ちり鍋」を注文、燗を付けた日本酒の2合徳利を2~3本頼んで「鱈」の肉をつつく。豆腐や白菜もあまり煮過ぎないものをつまむ。もう、想像しただけで唾液が流れ出し止まりませんな。この季節の最高の道楽です。

   この老人ホームでは、とてもかなはぬ夢ですが・・・・。ポン酢と燗を付けた日本酒もよく合います。口の中でお互いの長所を引き立てあうと云いますか、風味が鼻に抜ける時の感触がたまりません。(T)

 

 


謹んでお詫びし訂正申し上げます。

2015-12-04 | 気ままなる日々の記録

   先に投稿しました、「佐保姫と竜田姫」ですが、家内の指摘により、調べなおしましたら「世の中にたえて花《桜)のなかりせば・・・・・・・」の歌ですが、古今和歌集に出ている在原業平のうたで、春に桜が咲くから、風が少し吹いても雨が降っても桜が散ってしまわないかと、人々の心が穏やかでいられないことを歌った歌です。明らかに桜派つまり、桜の花の素晴らしさをうたったものであるから、佐保姫派でした。それを、オソマツ君は間違えて自分が  「竜田姫派」だから、この歌を「竜田姫派」の応援に引用してしまいました。勇み足と申しますか、「這っても黒豆」如き小理屈を並べ、お恥ずかしい限り、ここに、謹んでお詫びと訂正を申し上げます。(T)


佐保姫と竜田姫について。

2015-12-03 | 気ままなる日々の記録

   この二つのお姫様については12月3日(木)の朝日新聞の「天声人語」によるところが大きい。

   春の野山を彩る女神を佐保姫といい、秋の草木を染め抜く女神を竜田姫というそうだ。

   暦の上では師走に入ってすでに3日。竜田姫は南への旅の最中で、お正月までには九州の鹿児島県まで綺麗に染め抜かれることでしょう。佐保姫の桜と竜田姫の紅葉や楓とどちらが好きかを日本で調査したら、佐保姫《桜)が0、1%ほど勝ったそうだ。オソマツ君は「世の中に絶えて花《桜)のなかりせば、春の心は長閑けからまし」派で竜田姫のファンである。透き通った秋の日差しを浴びた楓の葉を裏側から見たときの美しさは何物にも勝る。(T)


音楽療法

2015-12-03 | 気ままなる日々の記録

    昨日、水曜日は音楽療法の日であった。  

   ここの施設は毎日何かのイベントがあって全部参加したら相当忙しいがなかなか自分に合ったものは見つからない。

   最近になって新しくできたこのイベントは最初は物足りないと決め込んで敬遠していたが試に参加してみた。見ているのとするのでは大違いで面白くて今ではしゅう一回のこの日を楽しみにしている。どんな療法か説明するのは難しいがラジオ体操とは違った体のある部分をうごかすとでも云えるだろうか。リズムに合わせてすることが多いが毎回バトンを補助器具にして運動することもある。知能的なトレーニングも入っている。

   今まで8回ぐらい参加したが指導される方は方法をいろいろ工夫されていて同じことをされたことがない。そしてときどきジョークをいれたり経験を話されたりする。するとたちまちイキイキとなったお爺さん、お婆さんがすぐ反応してしまいおしゃべりが始まる。その時の対応もなれてみえとてもうまく本題に戻られる。そのせいか、とにかく始まったと思っているといつしか時間がたち45分はあっという間に過ぎてしまう。

   終わってから 不思議な光景を目にした。ロビーにいた80代の男性が突然手話をし出した。すぐこの療法の先生が手話で対応された。なぜ不思議かというと2人とも健常者であることを私は知っているから。この先生にはまだ特技がある。キーボードのような楽器が弾けて歌唱に加えて何かをする指導もされるらしい。本当に多才な方だとおもう。(E)

 

 

     冬の気配。


童謡「里の秋」を突然思い出し歌ってみました。

2015-12-02 | 気ままなる日々の記録

①静かな静かな 里の秋

 お背戸に木のみのおちる夜は

 ああ母さんとただ二人

 栗の実煮てます囲炉裏端

②明るい明るい星の空

 鳴き鳴き夜鴨が渡る夜は

 ああとうさんの、あの笑顔

 栗の実食べては思い出す

③ さよなら さよなら

  椰子の島 御船に揺られて

  ああとうさん ご無事でと

  今夜も 母さんと祈ってます。

  少し記憶が乱れて怪しげですが、ユーチューブで検索すると、川田正子さんの歌声で聴けます。

  文部省唱歌ですが、やや反戦気味。お父さんは戦地に行っていて母と子供が無事をいのっています。時代背景はともかく、秋の情緒がうまく歌い込まれていると思います。

 翻って今の幼稚園の子どもたちはこの歌のような日本の情緒を歌い込んだいい童謡を教えて貰っているだろうか心配です。アニメ漫画の主題歌やJポップスに毛の生えたような歌をバタバタ踊りながら教えて貰っているのではないかと不安です。

(脚注)「お背戸」とはいわゆる、裏口《裏の入口のこと)です。

  

   晩秋の散歩道で。