ふちゃ、と読む。黄檗禅と精進料理とお茶を伝えた隠元和尚。
彼が伝えた精進料理を「普茶料理」という。いんげんまめは、隠元豆。
宇治や京都にいくと、専門店がある。中華料理スタイルで4人で、大皿にのった
ものを分け合って食べる、というものだ。お大師さんが小豆が好きで、なにかあるごとに
大きな肩口にゆで小豆を入れ、大きな萩の枝でつくった箸でわけて食べさせた、というのも
どこか共通するものがある。おいしいものを食べる、から「おいしく食べる」という方向に
時代はシフトしている。おいしく食べる基本は、気のおけない仲間たちと食べる、というのがコツ。
普茶料理の中でも「運片」(うんぺん)という、本日あるだけの野菜を雑炊のようにして食べる
料理が好きだ。うちの蕎麦雑炊は、そこからヒントを得て作りだしたもんだ。(メニューにはないけど)
いっぺん、運片を基本通りにやってみたいと思っている。さしてむずかしいものではないが、ちと手間がかかる。
京都や寺の門前においしい豆腐屋がある、というのは、隠元さんがそんな食文化を伝えたのが大きい。
煎茶と普茶料理はそうゆうわけで、切っても切れない関係。お酒はやっっぱり般若湯というのだろう。
今朝、あだっちゃんからメールがきた。ビッグサイトのアートイベントで、大きな壁に般若心教を書いて
いる。とても彼女らしい男っぽい字。今日まで。
色即是空 空即是色 凡夫にはなかなかこのあたりの心境がつかみずらい。
今日は「蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を喰う会」 普茶料理をもてなすくらいまで
目標にしたいと思っている。道はまだまだ先にある、のがいい。