昨日は「長屋で女史会」だった。古事記などの歴史的な認識や
神話を引用しながら、日本人の性意識などを勉強しながら、「今」を
語りあうような「大人のゼミ」。昨日は「桜」の話になった。
井伏鱒二が中国の「勧酒」を「さよならだけが人生さ」という名訳の文が有名だけど、
それに対抗して寺山修二が 「さよならだけが人生ならばまた来る春は何だろう・・・」と詠った
というのがおもしろかった。天井桟敷に若いころ席をおいていた升たかさんの珈琲カップが
笑った気がした。彼は元気にしておるのだろうか?
古代史の謎ではあるが、アマテラスが、卑弥呼で卑弥呼に推定される「神功皇后」がアマテラスではないか、という
のもおもしろかった。
ぼくの田舎は福岡の宗像、宗像(しゅうぞう、ではない、ムナカタ)大社の神域。アマテラスの三女神を
おまつりしている。近くに神話にでてくる港があり「神の湊」と書いて「こうのみなと」という。
そこからでているフェリーは、神の住む島「筑前大島」そして、その先に「沖ノ島」があり、三女神が
それぞれ鎮座する不思議な場。このあたりを、素っ裸(沖ノ島は、男しかいけないし、素っ裸で禊をしないとはいれない)
な気持ちで歩きながら、古代の波動に周波数をあわせてみると、自身の中の「日本人DNA」が、イキイキとしてくる。
今日あたり北国も桜が開花するらしい。お店をやる前はゴールデンウィークは必ず、東北を旅した。
どじょこ、ふなっこといっしょに、春を謳歌したものだ。
古来より、桜を観るのに、女性の膝枕がよし、としてきた。今みたいに混沌とした時代にこんな唄が生きる。
せくなあせるな世間のことは しばし美人の膝枕
今日は「タイムドメイン」 CD、酒、つまみを持ちこんで 散った花を偲ぶパーティー
明日明後日が「卒啄珈琲塾」午後が「無茶しぃの会」
金曜日が「ねんど」