朝ごはんには、だいたい島源のアジの開きを食べる。
駿河湾でとれる鯵は美味く、しかもそれを天日干しにしているし、
化学調味料的なものを使っていないので、とても安心。
先日知りあいの魚屋に生きのいい長崎の鯵があったので、
さっそくそれを開いて、海水の濃さの塩水に一時間つけ、半日天日干しにして、
今朝食べた。もちろん焼いて・・。自分で手を加えただけのことがあり、また格別な鯵の味。
ぼくの故郷は福岡の宗像。玄界灘の近くで、そこでとれた鯵を「玄ちゃんアジ」という。らしい。
ユルキャラやイマダサなネーミングが流行っているけど、ゴロは悪いし、全国区
にはなれないけど、美味さは筆舌が及ばない。九州で一番大きな漁港は鐘崎漁港。
そこの人たちが何百年か前に時化(しけ)で能登までたどりついて、漁法やいろいろな文化を
残した、という話は有名だ。方言やお祭りにも共通のものがあまたあるらしい。
明日は「卵かけごはん」 オプションで「自家製鯵の開き」を登場させたいところだが・・・まだまだ先。
明日の夜は「易の勉強会」
火曜日が「書をしよう会」
水曜日が「かっぽれ」
先週、古本屋で加藤唐九郎さんの茶会の記事があった。
「世の中にまったく新しいものなんてありえない、古いこと、伝統のうえに初めて
新しいものが生まれるんじゃ」という言葉があった。翁87歳の時の金言。
古いこと伝統に胡坐を書いていてもだめだし、基礎ができていないのに独走的
なことをやっても意味がない。「修・破・離」(しゅはり)というのは、これからの時代
も大事なことやね、ほんま。