箱根山が活発になってきた。人間なんて自然のほんのカスみたいな存在で、
あちらは神様みたいなもんだ。人知の及ばぬこと多し。
昔から選挙の応援演説にこんなのがあった。
「箱根山 籠にのる人 かつぐ人 そのまた草鞋をつくる人」
籠にのせてください、という気持ちをかくして、草鞋をつくります、みたいな輩が昔から多い。
みんなそれぞれ役割があって、そのもち場でせいいっぱい働きませう、みたいなニュアンスなんだろうけど、ほんとうは・・。
昨日はひさしぶりの休みだったので、千葉方面に野菜の買い出しにいったついでに、温泉にいった。
朝は農家がやっている「卵かけごはん」。そこの近くで野菜を調達し、いつもの日帰り温泉。露天風呂から
印旛沼の里山の景色がきれいで、冬が特に好き。昨日は新緑と眼の前の田んぼの田植えの風景と、かえるの合唱
を聴きながら湯船でうたたねをする。こんな幸せなひとときはない。
湯からあがると、ソファに寝ころびながら、もちこんだ本を読む。青山俊薫先生の本を読み直している。
道元禅師の「典座教訓」をやさしく解説してくれていて、湯あがりにはちとてごわいけど、うつらうつらしながら読む
のにいい。昼ごはんは、そこから車で10分ほどのイタリアン。普段は食べないけど、地産地消の気持ちたっぷりの
若いシェフがやっているので、好感がもてる。そこに、にんにくの芽が売っていた。朝立ちならぬ、朝掘りのにんにく。
それをゲットして、酒々井のカフェに。酒々井というと、天真庵の蕎麦のふるさとだが、そこに素敵なカフェがある。
里山の中にたたずむ古色蒼然たる平屋を若いアーティストがアトリエ兼カフェとして再生したもんだ。昨日は新緑
の中で珈琲を楽しんだ。さわやかな五月の風が、新録をゆらす音や、ヤマガラ、ウグイスの歌声を聴きながら
道元さんの教えの続きを読む。お寺の料理人のことを「典座」(てんぞ)という。寒山拾得(かんざんじゅっとく)の拾得は典座である。
寒山詩を残した寒山よりも、なにも残さなかった拾得のほうにひかれるのは、年のせいかしらん。
もっとも自分のメルアドは20年前からJyuttokuだけど。
今日の夜はかっぽれ。今日は昨日の朝掘りのにんにくの芽を酒肴に一杯やりましょうかね。
明日は「英語で蕎麦会」先月はスカイツリーの広場でフランスからやってきた若いカップルをひっかけて
蕎麦会をやった。明日はどこの国の人を連れてくるんだろうか?