昨日はお花のお稽古だった。うちに狭い庭には、バラとどくだみが咲いている。
どくだみは「八重」で、白い小さな花がそそとして可憐で、茶花として床の間に飾ってもいい。
三重県の菰野町に住む陶芸家の久保さんの庭に咲いていたものを東京にもってきた。
今では、ご近所のspice cafeの庭にも兄弟が咲いていて、若いカレーファンの人たちにも
楽しんでもらっているようだ。それを昨日は久保さんの斑唐津の徳利に投げ入れた。
ちょうど田能村竹田の掛け軸で、煎茶を楽しんでいる絵が飾ってあるので、ぴったりの感じがでた。
彼と頼山陽が交わした書簡「一楽帖」というのが、文人の春風駘蕩なふれあいの手本みたいなものに
なっていて、煎茶人たちのあこがれの生き方の模範でもある。日本人が、お茶やお花に求めた
ものの大事な「精神」がそこに込められているように思う。
昨日はめづらしく女子だけの「お花のお稽古」だった。いにしえから伝わる古流の花は、地味
だけど、修破離の根本には大事なものなので、ぜひ「花」の好きな人、花をやってみたい人
は、のぞいてほしい講座である。
日曜蕎麦大学には、英語の会にきていたメンバーが入門してきた。目出度く夫婦になった報告と、
いっしょに生活するにあたり、「いつも台所にそば粉」を実践していきたいらしい。
なかなか元気な蕎麦が打ちあがった。夫婦でゴルフとかテニスとか同じことをやるのは、楽しくも
ある半面、才を争う危険も伴うので、そのあたりの注意点も説明しながら、手とり足はとらずに
蕎麦打ちを伝授。
今日はこれから「卵かけごはん」。今朝は若いくんたちが「早朝蕎麦打ち教室&卵かけごはん」
にくるので、少し仕込みをして、今家にもどってこれを書いている。さて、出陣。夜は「福の会」
福とは、田んぼで採れた穀物を、神棚にささげる、という象形文字だ。
花も仏に手向ける、というところが原点だ。仏とは、いろいろなしがらみから「ほどく」
という言霊。人間が自由に生きていくには、いろいろな「しばり」からほどかれていく必要がある。
それが「天真」というものかもなんばん。