昨日は、お休みだった。
畠山美術館に「リンパ」を見に行く。体のそれではなく、琳派。
今月は知り合いの陶芸家も茶室で展覧会をやるので、もう一度
いくことになりそうだ。その後に、お台場でシルクドソレイユを見に行く
予定だったので、電車で向かっていると、携帯がなった。
この街のコンシェルジュの経師屋の黒崎さん。「たまちゃんが、救急車で運ばれた。」
とのこと。続いて、「みまもり隊」のSさんから、病院名。そして、犬の散歩
の依頼がきた。シルクドソレイユまで時間が3時間ほどあったので、押上まで
もどり、経師屋の前にいくと、黒崎さんとSさんがいた。
コバナの散歩の途中、天真庵の前を通ったあたりで気分が悪くなり、うちが休み
だったので、経師屋さんまでいって、ピンポンをして、救急車を頼んだ、ということだ。
なんの準備もできていないし、親戚や身内もないので、たまたちゃんの部屋まで黒崎さんとS
が同行し、コバナを部屋に残して、救急車を呼んだらしい。たまちゃんにまとわりつくコバナを
救急隊も心配したらしいが、「近くのカフェのママさんが、いざという時、コバナの散歩をすることになっている」
という話をしたら、「さすが、下町のネットワーク」と彼らもびっくりしていたらしい。
病院に入ると、携帯の電源を切られるので、こんどは、たまちゃんの三味線の弟子から電話。
6人の弟子がいるので、リーダー各のMちゃんにかみさんが電話。「シャチュウのものに
私から伝えます」と、返事されたらしい。さすが、文人墨客があまた通った百花園のこだ。
「社中」。つまり三味線、茶、花などの門下生のことをいう、最低限の団体の単位にも使われてきた。
ときどき、この界隈には50人くらいしか住民がいないのではないか?と思う。
縄文時代みたいに、狩猟が中心だったころの、集団の単位はそんなものだった、らしい。
人間力か腕力か女にもてるボスがいて、それを守る総理がいる。昔は総理のことを「宰相」といっていた。
宰は家の中で包丁を持っている象形文字からきた。つまり獲れた獲物をみんあに公平にさばいて渡す人、
のことをそうよんだ。
今の宰相に、そんなことを期待するには、あまりにおそまつくんだが、せめてアベノミクスとかいうものが
失敗だったと自覚した時は、自分の腹くらいは包丁でさばいてほしいもんだ。そんな度量を期待できるはずもないけど・・
今日はたまちゃんは、心臓にペースメーカーを入れる手術をする。
夜は「かっぽれ」。天真庵のかっぽれに、「女子部」ができたのは、たまちゃんがこの街に住むように
なった二年前。ひとりの人がその街にいるだけで、その街が「らしく」なることがある。
一億総活躍、なんて中身のないふろしきを広げないで、50人くらいの小さい単位の片隅を
静かに照らすようなひとりに、みんながなれるように努力できる社会。そんなことが
大事ではないかしらん。一燈照隅(いっとうしょうぐう)。昔からそんな風な言葉にして軸なんかにした。