先週の月曜日は「福の会」だった。
カウンターには、「元気シールで幸福になる会」の会長さんたちが、蕎麦会をやってくれた。
それから、「松休み」。実家の「福」岡にもどり、91歳になる親父に松の手入れを伝授してもらう、という第二弾。
途中、下関で一泊。下関は「ふぐ」の街。ふぐのことを「福」の縁起から「フク」という。
「福」という字は、田んぼで取れた成果物を神棚に手向ける、という象形文字だが、古来より、狩猟生活から
穀物を栽培するようになってから、人間は「酒」も手に入れた。「福」にはかかせないものである。この酒造りも、
山陰側でいろいろな技術が生まれ育ってきた歴史がある。発酵文化としては、鮨の文化も圧倒的に山陰側・日本海側に軍配があがる。
秋田の「しょっつる」、青森の「はたはた鮨」、富山の「鱒すし」、ふぐやいわしの糠漬け・・・・枚挙にいとまがない。
と、いうわけで、今回も松の手入れの伝授が終わった後、釣り道具を車につんで、日本側からとことこ帰ってきた。
まずは、下関の角島の手前の「Fドレイブイン」。なんの変哲もない普通のお店であるが、ここの刺身を食べると、
縄文時代の初期あたりから、日本人が魚をこうやって「美味い」と感じてきた波動が伝わってくるから不思議だ。
そば前ならぬ、刺身前でビールを所望すると、おばちゃんが採ってきた「にーな」という貝がつまみででる。
土産に「鯵のひもの」をいただく。夏の長い道中をくさらせずに東京にもってかえるために、ひんぱんにコンビニにいって
氷を買い、クーラーボックスを冷やす。その時に悟ったことがある。都に納税する時、ふるさと納税とかいうあやうい方法ではなく、
律令とかいうきびしい制度があり、魚や穀物などを収めた。今よりも運搬に時間がかかるので、日本海側には、「発酵文化」が育まれ
に違いない。途中、出雲で美保神社にお参りした。日本一の「福の神」のえびす様をおまつりしている。彼は美保関で鯛を釣り、
国ゆづりの時に、その海で姿を消したという伝説がある。昔から海の難所でもあり、海岸には無数の石仏がまつられてあり、別名
「お地蔵関」といわれていたところだ。美保神社の近くに、小さな古刹がある。佛国寺(ぶっこくじ)。
美保の語源は「三火」。航海の難所では昔から、海の中に三つの怪火があがった、などと恐れられ、弘法さんなどが
それを静めるために建立したらしい。先月「長屋で女史会」で勉強した後醍醐天皇が壱岐へ流された時、この寺に行在所
とした歴史もある。寒山拾得の南條先生の先祖は、それに随行した。
コンビニとか、チェーン店が少なく、高速道路も整備されていないので、旅するには非常に不便なところではあるが、
お茶の文化しかり、食の文化しかり、歴史的にもいろいろ興味深い場所がいっぱいある。神と人が一如となって歩いた場所。
天恩感謝。