日曜日に蕎麦を打ったそばもんは、「父の日のプレゼントにする」ということで、
打った蕎麦はクール宅急便で、金沢に向かった。
さて、今年の「父の日って、いつ?」と、質問したくなるほど、父の日というのは、存在感がうすい。
昨日の早朝に蕎麦を打ったそばもんに、その話をすると、「ぼくもそうしよっかな~。でもいつですか?」
と聞かれた。でもこちとらも知らない。ネットで調べたら、
父の日は6月の第三日曜日、2016年は6月19日です。とのことだ。
今年も「松休み」で、その時は九州で91歳の父に松の手入れを伝授されているので、何か
をプレゼントしよう。(実は、もうて元においてあるのだが・・・)
先々週の休みの日に、銀座の骨董屋をのぞいたら、太田垣蓮月の茶碗があった。
父の日のプレゼント?ではないけど、オークションで、あほな都知事に渡ったり、外国に嫁がせるにはしのびないので、「もらう」
といって、財布の中にあるお金をぜんぶ渡して、手付にした。どうも昔から銀座を歩くと、
すっからかんになり、ラーメンどころか、電車賃も微妙になるようなことがある。財布は
からっぽになっても、帰ってその茶碗にお酒をついで飲んだ時の幸福感は、どんなお金もち
にもわかるまい?骨董屋にいく前に古本屋で、「清貧の歌人」の本を買った。
どうも、毎日「びん棒」をふりまわし、なんとか生きている身としては、「清貧」とかいう文字に弱い。
福井の歌人で、「橘曙覧」(たちばなのあけみ)という。三重の「田光」(たびか)の純米酒を飲みながら、
目次や写真をめくっていたら、太田垣蓮月の急須の写真がのっていて、彼女と親交があったことが
ことがわかった。まことに、縁というか、めぐりあわせ、というものは妙なもんである。
「根っこが繋がっている」というようなことを感じることができるのは、幸せなことだ。
今日は「英語で蕎麦会」。東京も梅雨入して、スカイツリーのまわりもどんよりしていて、外人の
観光客も全盛期の半分もいけないけど、夕方に英語で声をかけられたら、「OK」といって、ポンビキ
にひっかかってくだされ。これも、小さな市民運動であり、平和運動のひとつでもありまする。
明日明後日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」。蓮月茶碗を、自慢してやろう、っと。