今日から3月。南島原に移りすんだ「なつきくん」が企画したそば打ちが、今月ある。
彼にかわって「ぶんかん」の店長になったのが「坊っちゃん」。昨日は「おみずくらぶの日」
おみずの女性が集まる日ではなく、坊っちゃんが富士山の伏流水で奇跡の水といわれている「硯水泉」
を汲みにいく日。この界隈のカフェでは、この水を多くは使っている。いつも深夜に届く、そして水の入った
タンクの横に「わさび」が土産におかれているのが、なつき君のときからならわしになっている。きのうは
「ふきのとう」のおまけまであった。
ちょうど「書をしよう会」だった。書の先生とは大塚の「江戸一」でであった。江戸一では、春にはふきみそが
ホタテの貝にのせて供せられる。せんだって亡くなられた大女将を偲んで、昨日はふきみそを作ってみた。
なべにお湯をわかし、そこにひとつかみの塩を入れ、ふきのとうをさっと茹でる。水にさらした後、それを細かく刻む。
フライパンに油をすこしいれ、ふきのとう、味噌、みりん、酒、砂糖をいれ、ほどよくなじんできたら火をとめる。
春さきに冬眠からさめた動物だちが、苦みやえぐみを欲し、ふきのとうなど春の山菜を所望するように、ぼくたち
動物のはしくれの人間も、みぎにならえで、春さきに「えぐみ」とか「苦み」をとるのは、体、とくに心の臓にはいいようだ。
きのうは「せり」をもってきてくれた友達もいたので、せりごはんをつくり、平打ちの「そばどん」の湯豆腐とかで、書の後
酒を飲んだ。貞本先生が広島出身ということもあって、この会では「賀茂鶴」のぬる燗で飲むのがならわしである。
ひさしぶりにあだっちゃんも参加したので、「せりごはん、ふきみそ、熱燗・・・昔の男」のような飲み会になった。
昔の男ではないけど、昨日は俳優の加藤くんも蕎麦を手繰りにきた。今は昔だけど、彼の実家は美濃の陶芸をやっていて、
その世界の造詣が深い。いつも蕎麦をほめる以上に、そばを盛る「絵志野の四方皿」をほめる。「久保さんの志野はいいね、
こんな志野は美濃の陶芸家にも焼けへんで」とのこと。締めに、焼き締めの珈琲ドリポットでほぼぶらじるを入れていたら、
「これなんや、久保さんの急須の上にドリッパーがのっとるんか?」ときた。「珈琲ドリポットゆうねん」というと、
「いくら?」というので「一万円」と答えたら、「急須だけでそれ以上の価値があるぜ」と大きな声でいうので、
「では二万円で売ったるわ」というと、一万円をだして「ありがとう、とそっちが言うことないで。おれが、「こんないい器を
一万円で買わせてもらって、ありがとう」といわせてもらうわ」といって、頭を下げた。ながいこと大部屋役者で苦労をしてきた
土台のしっかりした人間性を感じられる男である。彼は京都の太秦に住んでいて、年に一二度蕎麦を手繰りにやってくる。
今日は「英語で蕎麦会」。これから「あとふたり」の味噌作り。
明日は「おとこかっぽれ」。いよいよ「あとひとり」の味噌作りの日でもある。