なんのなしーやら なんのなしやら 色気なしだよ ほろろんばい。
11日、12日と、二日連ちゃんで、南島原の公民館と、廃校になった小学校で「そば会」をやってきました。
「なんもない」というところが、魅力のところであります。スタバもチャーン店もない。高速道路もないし、
飛行場もない。全国津々浦々・・・どこの街にいっても、同じようなチャーン店とかショッピングモールばかりがあって、
おもしろくないでしょ。九州のぼくの実家の宗像でも、ショッピングモールがあったり、チェーン店があります。
便利とか効率とか考えて街をつくっていくと結局どこの街も、住宅展示所みたく、「ひとけがない」味気ない空気がみなぎっています。
それに比べると南島原は、自然がいっぱいあって、その自然の一部みたいな人情たっぷりの人たちの多く住むとこです。
半島の最南端、「口之津港」の古民家をなつきくんが改装して「くちのつ巷珈琲焙煎所」を今年オープンしました。
近所のおじいちゃんおばあちゃんの「憩いの場」になっております。元船員だったというじいちゃんの島原弁は2割くらいしか理解できないけど、
半分くらいのこった歯を見せながら笑う姿に、幸せな雰囲気がつたわってきます。
次の日はそこから徒歩一分の「公民館」で蕎麦会です。そばを茹でてだしたら、おばあちゃんが「ねぎばとってくる」といって、自分の畑に
走っていって、元気なねぎをとってきてもらいました。「ご馳走」とは、走って畑にいき、畑と相談しながら、料理のもてなしをすることです。
まさに「ご馳走」であり、「おもてなし」の原点だと、おばあちゃんに教えてもらいました。東京や熊本の友達、区長さんもきてくれ、なごやかな雰囲気の蕎麦
会でした。
「このにごっとる湯、どげんすると?」とかいう質問が新鮮です。島原はソーメン文化です。「蕎麦湯」をはじめての人たちばかりでした。
次の日は、雲仙岳のほうに向かって山をのぼったところにある廃校になった小学校が開場です。前回きたときに立ち寄って「ここで
蕎麦会をやりたい」とひとりごとを大きな声でいったのを、なつきくんが実現してくれました。アンフォゲッタブルな蕎麦会になりました。
島原にある「日本一のイタリアン」、ペシコの井上くん家族、そこの野菜をつくってくれている「鈴木ファーム」さんご夫婦も校庭で出店していただき、
花を手向けてもらった気分です。昔はオルガンが置いてあったのですが、今は机とイスが残っている教室。そこになつき君が、レコードとオーディオ
を持ち込み、音楽と珈琲担当。蕎麦打ちを始めると、静かなピアノの曲が聴こえてきました。サティーのジムノペティー。校庭のブランコで遊んでいる子供
や、元子供のおじいちゃんたちが遊ぶ映像がまるで映画みたいでした。この題名のもとは、ギリシャ神話で、老若男女の祭典かなんかの意味だった
ようです。なんかピッタリはまりすぎて、蕎麦打ちが中断されました。
島原出身で南画家であり、煎茶の人である「釧雲泉」(くしろうんぜん)という文人がおられました。煎茶の世界ではあこがれの人でも
あります。酒と煎茶と釣りが好きで、最後は良寛さんゆかりの新潟の蕎麦屋で酒を飲みすぎで旅立った、という人であります。なんか他人
だと思えないところがあります。雲仙岳界隈もいいお茶がいっぱいとれます。次の蕎麦会は、地元のお茶を入れて島原にあまたおられた「文人」
たちにお献茶をたててみたいと思い、なつきくんにおおきな声で、そげんこついいました。きっと実現すると思います。感謝。