先日の卒啄珈琲塾に郷土料理研究家?のようなお弟子様がこられて、
「呉汁」(ごじる)のことを教わった。埼玉のある一部の地域の伝統的な郷土料理。
大豆を味噌にする前、つまりそのまんまを茹でて、すり鉢でつぶして、そこに野菜
などの具(み)を3種類くらいいれて、食べるものらしい。昔から日本人は簡素な食事(粗食)を
とりながらタンパク源やミネラル・ビタミンを摂取してきた。今朝の我が家の朝食はさっそく「呉汁」がでてきた。
み、は、桜島大根の大根と大根葉。なかなかシンプルだけどうまい。ホンモノは簡素の中にこそある。
島原の蕎麦会の後、佐世保の親和銀行に立ち寄り、有田と伊万里をまわった。有田焼は17世紀の始め、
朝鮮からわったってきて、焼き物に挑戦した初代金ケ江三兵衛(通称・李参平)を祖とし、昨年400年を迎えた。
長崎から佐賀のこの界隈に伝わる郷土料理が「呉豆腐」(ごどうふ)。普通は豆乳ににがりを入れて造るのが、おとうふ。
豆乳に葛をいれてかためると、呉豆腐になる。つまり、天真庵の「そば豆腐」は、呉豆腐に蕎麦粉が入ったものだ。
昨日は織田流煎茶道の先輩師範が、お花をもって蕎麦を手繰りにこられた。少し大きな「吾妻しぼり」をピアノの上の
染付花器に投げ入れた。「升たか」さんの作品。11年ほど前の秋、この近くの長屋をアトリエにしていた升さんを訪ねたのが
きっかけで、その日に十間橋通りにある壊れかけた物件をみつけ、そこに「天真庵」を結び、池袋から越してきた。
升たかさんも、生まれは佐世保。そしていろいろな若者たちが改装の手伝いをしてくれ、その縁で佐世保からこの地に
越してきて木工をやっている「あだちくん」も、この街にはなくてはならぬ存在人になっている。今回の長崎の旅にも、
「茶箱」をもっていった。中に煎茶や珈琲の道具が入っている。それは彼がつくってくれたものだ。いわば「茶箱の里がえり」
かもなんばん。昔から文人墨客が多く通った長崎の土地の根っこには、そんなDNAが脈々と流れているように思う。感謝。
今日は「満つまめの会」 まめまめしく働き、粗食を食べ、少し飲んで、へをこいて寝る 簡素な健康法也。
明日は「お花のお稽古」「お仕覆のお稽古」 営業は16時。それから「蕎麦打ち道場」&「なんとなく蕎麦を食べる会」