昨日の夕方電話があった。「はしもと たろうです。これから蕎麦を手繰りにいきます」
天真庵のHPにリンクしてある「たまな創生館」の館長の橋本太郎さんだ。
昨年の正月は、熊本の彼の実家に泊めていただき、夜はぼくが打った蕎麦を手繰り、
翌朝は彼が地元の野菜を使ったものでもてなしてくれた。築100年を越す古民家を再生
して、これから100年先まで、寺子屋よろしく、手習い事や、ギャラリーやコンサートなどを
やる「居場所」が昨年スタートした。館長は先月70歳になった。100年先は、いっしょに
あちら側で遊んでいるけど、「精神」とか「こころざし」がこもったものが、この世で生きて
いる、という一仕事をされておられる。
そろそろ定年を迎える人も多いし、あと10年くらいあるけど、「こころの定年を迎えた」という
人もあまたいると思う。これからは人生二毛作、三毛作の時代だ。競争のない世界、肩がき
のなくなった世界で、自由に生きるためには、「感動すること」と「創造すること」が大事で、
「他の比べる必要もない自己」みたいなもんをしっかり持つこと。
橋本さんは、創生館をつくる前に、天真庵で花と茶と珈琲を勉強された。
ものを作る、という中で「料理」というのは、「はかりごと」が全部含まれていて、人生
そのものみたいなところがある。彼は「俳句の会」を始め、はまっているらしい。
玉名というところは、夏目漱石が「草枕」を執筆した場でもあり、正岡子規と親友だった
漱石の俳句をあまた残した場所だ。子規の故郷の愛媛と同じように、今でも俳句
のさかんな場所だ。えらい人がひとりでると、その地には文化の花が咲く。創生館には、四季折々に咲く花が美しい。
「花のある人」というのが実在する。同じように、神秘なこと、言葉で尽くせぬ不思議なこと
なども多く実在する。それらを、自分のこころで感じることが「ほんとうの豊かさ」
ではないかと最近つくづく思う。「花のある先輩」を見てそんなことを思った。
今日は「英語で蕎麦会」 生徒と先生がスカイツリーで待ち合わせをして、外人に声をかけ、
「ぼくらと蕎麦手繰りながら英語やらな~い」とポンビキをする日。日々是好日なり。
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