長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

島根といったら、この酒でしょう

2016-06-10 08:23:52 | Weblog

加茂福酒造の「死神」というのは、島根の銘酒である。

そこの会社の社長が、一度天真庵にきて、蕎麦を手繰っていかれた。

その時に杉浦酒店さんがエンジのTシャツの背中に「死神」とプリントされた「死神Tシャツ」

をくれ、愛用?している。それだと知っているお客さんは「レアもんですね」

と声をかけてくれるけど、まちがえてそれを着たまま電車にのると、混んでる

時もまわりに人がいなくなるし、レジで並んでいると、ぼくの後ろに人がいない、

ということがしばしばある。

昨日は「卒啄珈琲塾」。焙煎の勉強が終わり、約束どおり太田垣蓮月の茶碗で

酒を飲んだ。太田垣蓮月は、和歌や蓮月焼きという焼きものをし、書もいいのを残している。

若冲と同じく、そのよさを見出し、もっている人は外人さん。それが逆輸入されると、普段は

そんなものどこ吹く風の人たちが、美術館に並び、ボリボリしながら蘊蓄を語る。

晩年は、西賀茂村神光院にて隠居した。奇しくも、昨日は加茂つながりで加茂福酒造

の「如雨露」というにごり酒を入れて乾杯した。「じょうろ」という。じめじめする梅雨でも、

こんな酒を飲むと、こころが晴れやかになる。

太田垣蓮月と親交のあった清貧の歌人に「橘曙覧」(たちばなのあけみ)という人がいた。

こんな和歌を残した。ほんとうの「ゆたかさ」は、こんなことではないかしらん。

「たのしみは朝おきいでて 昨日(きのう)まで無かりし花の 咲ける見る時」

夜は「無茶しぃ」だった。池大雅のおくさんで、池玉蘭の掛け軸を掛け、庭に咲いた半夏生を

久保さんの黄瀬戸の花器に投げ入れた。半夏生、「はんげしょう」という。葉っぱの半分がおしろいを

したように白い姿からそう呼ばれるようになった。

今日明日の夜は「インヨガ」。美しくなる、というのも化粧だけではいけません。

体とこころのバランスが大事なのです。

 

 


たまちゃんが生き帰って退院

2016-06-08 08:45:57 | Weblog

昨日は梅雨入りで「英語で蕎麦会」のポンビキが成功するかどうか少し心配だったけど、

フィンランドからやってきた21歳の娘と、20日の弟さんをゲット。にぎやかな英会話になった。

彼女は「ベルサイユの薔薇」が大好きらしく、少し、いや親以上に年を重ねたおばちゃんたちと

も、ベルバラよろしくモードの流暢な会話ができていた。それと歌舞伎を見たい、とのことだった。

かたずけが終わって、コバナのお散歩。先週の水曜日にたまちゃんが救急車で運ばれ入院しているので、

午前中と午後に近くの「気まぐれカフェ」の人たちが散歩を担当し、夕方と夜がこちらが担当。

昨日電話があって、本日抜糸をしたら、水曜か木曜、つまり今日か明日には帰ってこれそうだ。

よかったよかった。

今日明日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

10日(金)11日(土)は、インヨガ。

 


今年の父の日?隅田川花火大会はいつ?

2016-06-07 08:12:25 | Weblog

日曜日に蕎麦を打ったそばもんは、「父の日のプレゼントにする」ということで、

打った蕎麦はクール宅急便で、金沢に向かった。

さて、今年の「父の日って、いつ?」と、質問したくなるほど、父の日というのは、存在感がうすい。

昨日の早朝に蕎麦を打ったそばもんに、その話をすると、「ぼくもそうしよっかな~。でもいつですか?」

と聞かれた。でもこちとらも知らない。ネットで調べたら、

父の日は6月の第三日曜日、2016年は6月19日です。とのことだ。

今年も「松休み」で、その時は九州で91歳の父に松の手入れを伝授されているので、何か

をプレゼントしよう。(実は、もうて元においてあるのだが・・・)

先々週の休みの日に、銀座の骨董屋をのぞいたら、太田垣蓮月の茶碗があった。

父の日のプレゼント?ではないけど、オークションで、あほな都知事に渡ったり、外国に嫁がせるにはしのびないので、「もらう」

といって、財布の中にあるお金をぜんぶ渡して、手付にした。どうも昔から銀座を歩くと、

すっからかんになり、ラーメンどころか、電車賃も微妙になるようなことがある。財布は

からっぽになっても、帰ってその茶碗にお酒をついで飲んだ時の幸福感は、どんなお金もち

にもわかるまい?骨董屋にいく前に古本屋で、「清貧の歌人」の本を買った。

どうも、毎日「びん棒」をふりまわし、なんとか生きている身としては、「清貧」とかいう文字に弱い。

福井の歌人で、「橘曙覧」(たちばなのあけみ)という。三重の「田光」(たびか)の純米酒を飲みながら、

目次や写真をめくっていたら、太田垣蓮月の急須の写真がのっていて、彼女と親交があったことが

ことがわかった。まことに、縁というか、めぐりあわせ、というものは妙なもんである。

「根っこが繋がっている」というようなことを感じることができるのは、幸せなことだ。

今日は「英語で蕎麦会」。東京も梅雨入して、スカイツリーのまわりもどんよりしていて、外人の

観光客も全盛期の半分もいけないけど、夕方に英語で声をかけられたら、「OK」といって、ポンビキ

にひっかかってくだされ。これも、小さな市民運動であり、平和運動のひとつでもありまする。

明日明後日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」。蓮月茶碗を、自慢してやろう、っと。

 


長屋で女史会

2016-06-06 06:55:08 | Weblog

蕎麦屋の二階、というのは歴史をかえてきた。小説やお芝居などにも

たびたび登場する。落語には、昔から「ながや話」があまた登場する。

そんな危うげな講座が本日ある。今は、日本史に残る悪女シーリーズを勉強中だ。

悪女の歴史や、奇人の歴史というのは、けっこう人間臭いところや、うんうんと同感

できるところもいっぱいあって、おもしろい。

昨日の「押上鮨研究会」はなかなか充実した内容だった。切れのいい押上包丁

包丁をつかい、アジ、マグロ、タイ、にひとてまかけて、極上のすしをにぎる。

もちろん天真庵の中心になるのは、精進鮨。

あ、いけない。これから「早朝そば打ち教室」が始まる。

8時からは、「卵かけごはん」

 

 


♪雨はふるふる じんばは濡れる 越すにこされぬ田原坂

2016-06-05 08:51:44 | Weblog

朝から雨が降っている。

モハメド・アリが逝った。昔は、カシアス・クレイといっていた。

中学校の美術の先生に、熱くボクシングのことを教えてもらい、それ以降

は世界戦の日などは、塾をさぼった。

キンシャサの奇跡といわれた、フォアマンからベルトを獲った戦いは、昨日のことのように

鮮明に脳裏に焼き付いている。東京に受験にきた時も、東京駅から

最初にむかったのが、後楽園ホールだった。南砂から池袋に越したのも、

ヨネクラボクシングジムが近い、というのが大きな理由。10年くらいヨネクラボクシングジム

で、ボクシングをしながら、後楽園ホールに応援にいった。今も縁あって、ときどき後楽園ホール

には足をはこび、孤独のジャングルで死闘するボクサーたちに声援をおくるのを趣味にしている。

人は何も持たずに、裸ひとつで産まれてきて、何も残さず死んでいく。四角いジャングルで裸ひとつ

で闘う勇姿は、みんなの人生の象徴みたいなもんやね。

今日は日曜日なので、16時に閉店。それから「押上蕎麦道場」&「なんとなく鮨研究会」

もともとファーズトフードとして江戸で花開いた鮨。なかなか奥が深くておもしろい。

明日は月曜日。月曜の朝は「卵かけごはん」夜は「長屋で女史会」

火曜日が「英語で蕎麦会」 スカイツリーに集合して、外人をねらって「楽しいポンビキ」。

水曜日・木曜日が「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」 新茶も届いて、ますますお茶がおいしい季節。

たまちゃんこと、悠玄亭玉さんも、ひましに元気になる。ひとり、もとい、いっぴきの残されたコバナ

も近くのカフェの人たちと交代で散歩と食事をやったりしている。昨日の夜散歩をしていると、

近くの人がチャリンコをとめて「コバナ、あと少しでママがかえってくるので、がんばって」と声を

かけてくれた。「みまもりた隊」がいっぱいいるめでたい街だ。今日は鯛でも喰うか?


たまちゃん節?がもどってきた

2016-06-04 08:54:28 | Weblog

昨日の夕方たまちゃんから電話がかかってきた。

「今日病院にくる時、○○とxxをもってきてちょうだい」とのこと。

一秒でもはやくもってきて、という気持ちが伝わってくる。

義理人情とか、世間のことをくよくよしている用では、ひとりで

米寿まで迎えることはできない。清貧であっても、折り目正しく、ときには

人に甘えたり、少し迷惑をかけたりしながら、どこかでお返しするなり、

帳尻をあわせながら、生きていくに限る。自分の通帳のプラマエだけ

を考えているようでは、お天等さまも許してくれない。大きな勘定で

いけば、おおかれすくなかれお金やお金にかえられないものすべて一般会計が、損得ゼロ、の決算で人生を

おえられれば、それでいいように思う。

「今だけ、自分だけ、お金だけ」の昨今の政治家や経営者たちに比べたら、勲章をあげてやってもいいかもなんばん。

それにしても、東京都庁の性器まるだしのような顔した都知事は、まだやめへんの。睾丸鞭?

昨日は「ねんどの会」だった。なんやらゆう雑誌社が、「ねんどの会」の取材をされた。

終わった後に、そのスタッフたちともいっしょに蕎麦会。ひさしぶりに、ねんどの会に男子がまじった

ので、バンカラ風に酒を酌み交わし、みんな少し千鳥足になった。

30日(木) 江戸遊芸・女幇間 『江戸の粋を現代につたえます』玉さん米寿ライブ

演奏:悠玄亭 玉(女幇間)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲付き)・・・・・・すでに超満席御免!

 

 


不死身のたまちゃん、よみがえる!

2016-06-03 08:27:30 | Weblog

先日救急車で運ばれたたまちゃん。昨日ペースメーカーを入れる

手術をし、夕方かみさんがいった時には、元気にしゃべっていたらしい。

最初は、あまり気のりしていなかったその病院だけど、担当の医師の中に、

若いジャニーズ系のイケメン医師がいたらしく、しかも、赤い髪型を

「すてき」と褒めてもらったのがえらく気にいり、その病院もおきにいりになったみたい。

今日から、近くのカフェと「コバナ」の散歩を、交代でやることにあいなった。

午前中の散歩と朝飯が、そのカフェがうけおってくれ、うちが夕方の散歩と食事を

こちらでやる。お互いにそのくらいは、朝飯前だ。コバナも少し安心した様子。

カフェといえば、近所の「もとカフェ」に、昨日からお花仲間だった友達が、アトリエとして

使うことになった。昨日さっそく覗きにいった。アトリエだけで使うにはもったいない。

多士済々の人が、界隈に住んでいるので、なんかおもしろいことを発信できる基地ができそうだ。

今日は「ねんどの会」

6月は、たまちゃんの素敵なライブがある。それまでに退院をして、復帰すること間違いなし。

30日(木) 江戸遊芸・女幇間 『江戸の粋を現代につたえます』玉さん米寿ライブ

演奏:悠玄亭 玉(女幇間)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲付き)

 


下町のみまもり隊が大活躍

2016-06-02 08:50:18 | Weblog

昨日は、お休みだった。

畠山美術館に「リンパ」を見に行く。体のそれではなく、琳派。

今月は知り合いの陶芸家も茶室で展覧会をやるので、もう一度

いくことになりそうだ。その後に、お台場でシルクドソレイユを見に行く

予定だったので、電車で向かっていると、携帯がなった。

この街のコンシェルジュの経師屋の黒崎さん。「たまちゃんが、救急車で運ばれた。」

とのこと。続いて、「みまもり隊」のSさんから、病院名。そして、犬の散歩

の依頼がきた。シルクドソレイユまで時間が3時間ほどあったので、押上まで

もどり、経師屋の前にいくと、黒崎さんとSさんがいた。

コバナの散歩の途中、天真庵の前を通ったあたりで気分が悪くなり、うちが休み

だったので、経師屋さんまでいって、ピンポンをして、救急車を頼んだ、ということだ。

なんの準備もできていないし、親戚や身内もないので、たまたちゃんの部屋まで黒崎さんとS

が同行し、コバナを部屋に残して、救急車を呼んだらしい。たまちゃんにまとわりつくコバナを

救急隊も心配したらしいが、「近くのカフェのママさんが、いざという時、コバナの散歩をすることになっている」

という話をしたら、「さすが、下町のネットワーク」と彼らもびっくりしていたらしい。

病院に入ると、携帯の電源を切られるので、こんどは、たまちゃんの三味線の弟子から電話。

6人の弟子がいるので、リーダー各のMちゃんにかみさんが電話。「シャチュウのものに

私から伝えます」と、返事されたらしい。さすが、文人墨客があまた通った百花園のこだ。

「社中」。つまり三味線、茶、花などの門下生のことをいう、最低限の団体の単位にも使われてきた。

ときどき、この界隈には50人くらいしか住民がいないのではないか?と思う。

縄文時代みたいに、狩猟が中心だったころの、集団の単位はそんなものだった、らしい。

人間力か腕力か女にもてるボスがいて、それを守る総理がいる。昔は総理のことを「宰相」といっていた。

宰は家の中で包丁を持っている象形文字からきた。つまり獲れた獲物をみんあに公平にさばいて渡す人、

のことをそうよんだ。

今の宰相に、そんなことを期待するには、あまりにおそまつくんだが、せめてアベノミクスとかいうものが

失敗だったと自覚した時は、自分の腹くらいは包丁でさばいてほしいもんだ。そんな度量を期待できるはずもないけど・・

今日はたまちゃんは、心臓にペースメーカーを入れる手術をする。

夜は「かっぽれ」。天真庵のかっぽれに、「女子部」ができたのは、たまちゃんがこの街に住むように

なった二年前。ひとりの人がその街にいるだけで、その街が「らしく」なることがある。

一億総活躍、なんて中身のないふろしきを広げないで、50人くらいの小さい単位の片隅を

静かに照らすようなひとりに、みんながなれるように努力できる社会。そんなことが

大事ではないかしらん。一燈照隅(いっとうしょうぐう)。昔からそんな風な言葉にして軸なんかにした。