
2014/4/7、ユナイテッドシネマ豊洲、5番スクリーン。
7列、70席。6番スクリーンと並んで豊洲では最も小さいスクリーン。
D列を選択したが、高さ的にはもう一つ後のE列が良かったかもしれない。
**
エマ・トンプソン、トム・ハンクス、ポール・ジアマッティ、
ルース・ウィルソン、コリン・ファレル。
*
1907年、オーストラリア。
幼少のギンティは父のトラバース・ゴフ(コリン・ファレル)と二人の妹、
それに、母、マーガレット(ルース・ウィルソン)と楽しく暮らしていた。
しかし、その実、父は酒におぼれて仕事も長続きせず生活は苦しかった。
都会の家を手放し、つつましい田舎暮らし、親戚を頼っての就職だったが、
ギンティには実情は理解し難かった。
*
1961年、ロンドン。
「メリー・ポピンズ」の作者、パメラ・トラバースは「メリーポピンズ」の
映画化に関して、事務所の財政事情から渋々アメリカ行きを承諾する。
トラバースは、ディズニー社内では皆がファーストネームで呼びあうのに対し、
「パメラ」と呼ぶのを拒否、「トラバース夫人」と呼ぶよう指示。
トラバースはやり取りを録音するよう求めたうえ、脚本家、作曲家と大いに揉めた。
家の設定、町のたたずまい、バンクス一家の服装などにもいちいち難癖をつけた。
赤は使わない、アニメは使わない、造語の歌詞はダメ、およそ飲めそうもない要求にも、
ウォルト・ディズニーは契約を最優先にするため、しぶしぶ承諾する。
いくら話し合いを進めてもトラバースの心は開かれない。
こんなことで無事に映画化できるのだろうか。
物語は、ギンティの幼いころの記憶を重ねながら、
トラバースの心情を明らかにしていく。
またウォルト・ディズニーが語った思い出とは。
*
トラバースの幼少のころの記憶、回想と1961年頃の映画化の話が交錯しつつ、
「メリー・ポピンズ」に込められたトラバース自身の思いを紡いでいく。
単に頑固な作者が徐々に心を開いていくだけではない、脚本の妙を感じさせる作品でした。
主演二人の演技にも感動。
リアルタイムでは見ていませんが、多くの歌に「メリー・ポピンズ」の場面が甦りました。
あれだけ大ヒットした名作なのにどうして続編が作られなかったんでしょう。
今なら原作の続編はもちろん、オリジナル脚本で続編作ろうってなるところでしょう。
尚、Wikiによればメリー・ポピンズのシリーズは
「メリー・ポピンズ」を冠しない3作を含め、
1988年までに全11作が発行されているらしい。
*
冒頭の写真にコリン・ファレルが写っていて、写真だけの出演か、
と思ったらそうではなかった。
ルース・ウィルソンは「ローン・レンジャー」のレベッカ。
恥ずかしながら、two penceと書いてタペンスと読むことに改めて気づかされました。
トラバースの新作を「メアリー・ポピンズのお料理教室」と書いている人もいたが、
映画「メリー・ポピンズ」は1962年の公開。
「メリー・ポピンズのお料理教室」は1975年の作なので合わない。
ここは「メアリー・ポピンズ AからZ」(1962)と考えるのが自然だろう。
ディズニー・スタジオの企画製作だと思っていたが、そうではなかった。
脚本家はもともとディズニーの許可なくして作れる映画ではないと思っていたそうだが、
ボツ脚本リスト(=ブラックリスト)に載り、その後ディズニーが承認し、
製作が開始されたそうだ。
7列、70席。6番スクリーンと並んで豊洲では最も小さいスクリーン。
D列を選択したが、高さ的にはもう一つ後のE列が良かったかもしれない。
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エマ・トンプソン、トム・ハンクス、ポール・ジアマッティ、
ルース・ウィルソン、コリン・ファレル。
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1907年、オーストラリア。
幼少のギンティは父のトラバース・ゴフ(コリン・ファレル)と二人の妹、
それに、母、マーガレット(ルース・ウィルソン)と楽しく暮らしていた。
しかし、その実、父は酒におぼれて仕事も長続きせず生活は苦しかった。
都会の家を手放し、つつましい田舎暮らし、親戚を頼っての就職だったが、
ギンティには実情は理解し難かった。
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1961年、ロンドン。
「メリー・ポピンズ」の作者、パメラ・トラバースは「メリーポピンズ」の
映画化に関して、事務所の財政事情から渋々アメリカ行きを承諾する。
トラバースは、ディズニー社内では皆がファーストネームで呼びあうのに対し、
「パメラ」と呼ぶのを拒否、「トラバース夫人」と呼ぶよう指示。
トラバースはやり取りを録音するよう求めたうえ、脚本家、作曲家と大いに揉めた。
家の設定、町のたたずまい、バンクス一家の服装などにもいちいち難癖をつけた。
赤は使わない、アニメは使わない、造語の歌詞はダメ、およそ飲めそうもない要求にも、
ウォルト・ディズニーは契約を最優先にするため、しぶしぶ承諾する。
いくら話し合いを進めてもトラバースの心は開かれない。
こんなことで無事に映画化できるのだろうか。
物語は、ギンティの幼いころの記憶を重ねながら、
トラバースの心情を明らかにしていく。
またウォルト・ディズニーが語った思い出とは。
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トラバースの幼少のころの記憶、回想と1961年頃の映画化の話が交錯しつつ、
「メリー・ポピンズ」に込められたトラバース自身の思いを紡いでいく。
単に頑固な作者が徐々に心を開いていくだけではない、脚本の妙を感じさせる作品でした。
主演二人の演技にも感動。
リアルタイムでは見ていませんが、多くの歌に「メリー・ポピンズ」の場面が甦りました。
あれだけ大ヒットした名作なのにどうして続編が作られなかったんでしょう。
今なら原作の続編はもちろん、オリジナル脚本で続編作ろうってなるところでしょう。
尚、Wikiによればメリー・ポピンズのシリーズは
「メリー・ポピンズ」を冠しない3作を含め、
1988年までに全11作が発行されているらしい。
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冒頭の写真にコリン・ファレルが写っていて、写真だけの出演か、
と思ったらそうではなかった。
ルース・ウィルソンは「ローン・レンジャー」のレベッカ。
恥ずかしながら、two penceと書いてタペンスと読むことに改めて気づかされました。
トラバースの新作を「メアリー・ポピンズのお料理教室」と書いている人もいたが、
映画「メリー・ポピンズ」は1962年の公開。
「メリー・ポピンズのお料理教室」は1975年の作なので合わない。
ここは「メアリー・ポピンズ AからZ」(1962)と考えるのが自然だろう。
ディズニー・スタジオの企画製作だと思っていたが、そうではなかった。
脚本家はもともとディズニーの許可なくして作れる映画ではないと思っていたそうだが、
ボツ脚本リスト(=ブラックリスト)に載り、その後ディズニーが承認し、
製作が開始されたそうだ。
TBをありがとうございます。
同じ“Mary Poppins”を、日本では、映画の場合『メリー・ポピンズ』とし、翻訳書の場合(総じて)『メアリー・ポピンズ』としているようなので面白いなと思いました。
なお、新作について、映画の中でトラヴァースは、「料理教室」というタイトルだとタイプを打ちながら代理人のラッセルに言っていたように思います。でも、KGRさんがおっしゃるように、時期が合いません。ここは、映画を見ている人たちにわかりやすいように、映画制作側がタイトルを変えたのではと推測するのですが。
そうかもしれません。
「料理教室」は聞き逃したのと、映画承認後すぐに執筆していたことから「AtoZ」かなと思った次第です。
メリーとメアリーに類似した話として、
ポターとポッターもありますね。
どちらもPotterと同じスペルなんですけど。