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映画「終戦のエンペラー」@ユナイテッドシネマ豊洲

2013-08-02 22:40:08 | 映画感想
2013/8/1、ユナイテッドシネマ豊洲、4番スクリーン。
C列で見たが、1~2列後ろでもよかった。



トミー・リー・ジョーンズ、マシュー・フォックス、初音映莉子、西田敏行、中村雅俊、
伊武雅刀、夏八木勲、火野正平、片岡孝太郎、桃井かおり、羽田昌義。



1945年8月6日。
B29(エノラ・ゲイ)に搭載されたリトルボーイは広島の街を焦土と化し、
(長崎に落とされたファットマンとともに)満身創痍の日本にとどめを刺した。
8月15日、玉音放送が発せられ日本は終戦を迎えた。



1945年8月30日、ダグラス・マッカーサー(トミー・リー・ジョーンズ)は、
リクター少将(コリン・モイ)、フェラーズ准将(マシュー・フォックス)らと
ともに厚木飛行場に降り立った。

マッカーサーは皇居に間近い第一生命ビル内のGHQ最高司令官として赴任した。

マッカーサーは、天皇の戦争責任についてフェラーズに調査を命じる。
マッカーサーの動きに懐疑的なリクターは外される。

リクターはアメリカでは天皇の処刑論が主流であること、
マッカーサーは次期大統領選出馬を画策して天皇擁護に傾いていること、
もし天皇擁護に批判が高まれば親日派のフェラーズに責任を押し付けるだろうと、
フェラーズを牽制する。

フェラーズはかつて日本人の恋人アヤ(初音映莉子)がいた。
フェラーズはアヤの消息調査を運転手兼通訳の高橋(羽田昌義)に命令する。
しかし、高橋から上がってくる報告はいずれも悲観的なものばかりだった。

フェラーズは開戦当初の天皇の言動を探るべく、
東条英機、前首相の近衛文麿(中村雅俊)、宮内次官関屋貞三郎(夏八木勲)等の
証言を得ようとするが事態は遅々として進まない。

果たしてフェラーズの出した結論は。マッカーサーはそれにどう対応するのだろうか。



天皇は免責され、1946年1月、人間宣言を行い、
1947年に施行された日本国憲法によって日本国の象徴とされた。

マッカーサーはその後、1948年の大統領選出馬を画策するが、
共和党の予備選で敗れ、大統領候補にはなれなかった。

フェラーズは1971年、日本政府より勲二等瑞宝章を授与されたそうだ。



マッカーサーは、大統領候補になれなかった後も
1951年4月までGHQの最高司令官を務めた。
退任は朝鮮戦争での言動によるものとされる。

1950年6月25日、北朝鮮軍が韓国に侵攻し、朝鮮戦争が勃発した。

マッカーサーは、当時、北朝鮮の進攻は絶対ないと考えており、
27日に米軍指揮権を執った後も韓国による反攻は時間の問題だと思っていたが、
わずか3日で(28日に)ソウルが占領され、8月には南部までの進攻を許す。

米軍、国連軍劣勢の中、マッカーサーは9月15日、仁川上陸作戦を敢行、
劇的な勝利を収め、ソウル奪還に成功する。

その後、マッカーサーはトルーマン大統領の意に反し、中国国境付近まで進軍、
中国の参戦を招いてしまう。

さらに、劣勢を強いられたマッカーサーは中国国内への進軍、空爆、
果ては核攻撃を主張、ついにトルーマン大統領によって
1951年4月に解任されてしまう。

朝鮮戦争はその後も続き、1952年初頭には実質的な休戦となったが、
休戦協定が成立したのは1953年7月27日である。



もっとマッカーサーをメインとした映画だと思っていた。

どこまで史実に沿っているのかははっきりしないが、
主人公はフェラーズ准将であり、その活動について記した映画だった。

マッカーサーが厚木飛行場に降り立った時のサングラス、コーンパイプの姿、
昭和天皇との2ショット写真は有名である。

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