
東京ミッドタウン、GAGA USENの社内にある試写室で開催。
第79回アカデミー賞、作品、監督、助演女優(ダブルノミネート)
脚本、編集、作曲の6部門7ノミネート。
マスコミが菊池凛子一辺倒で騒ぎ倒したことで知っている人も多いでしょう。
聴覚障害の方のご意見もあって日本語にも字幕が付いたことでも有名になった。
***
モロッコの山中。
羊飼いのアブドゥラは、知人のハッサンから、
羊を襲うジャッカルを追い払うためライフル銃を買う。
ライフル銃は息子のアフメッドとユセフに渡される。
二人はいたずら心からバスに向けて1発の弾丸を放つ。
メキシコに近いアメリカ南部。
乳母のアメリア(アドリアーナ・バラッザ)は、主人から電話を受け取る。
大変な状況だが、子供たちには言わないこと、
代わりのベイビーシッターを探すから、
息子の結婚式に帰っていいこと。
しかし、交替のベイビーシッターは見つからず、
アメリアはしかたなく2人の子供をメキシコに連れていくことになる。
モロッコを旅行中のリチャードとスーザンの夫妻
(ブラッド・ピットとケイト・ブランシェット)
気持ちの行き違いからお互いを許せないでいる。
修復のモロッコ旅行も気持ちが通じ合うことはない。
気持ちが触れ合わないままのバスの旅、
突然、窓を射抜いた弾丸が妻スーザンの左肩に突き刺さる。
東京。
聾唖者のチエコ(菊地凛子)は、父(役所広司)と気持ちがすれ違い、
イライラしている。
住まいの超高級高層マンションには、刑事が訪ねてくるが、
実はチエコは母の自殺の件で父のことを心配している。
一方、モロッコ。
スーザンの出血は止まらず、ガイドの村に行くが満足な治療は受けられず、
政治的な絡みもあってなかなか救援は来ない。
バスの乗客は自分たちの身を案じ、リチャード夫妻を見捨てて先を急ごうとする。
果たして、
夫妻の安否は、二人の子供と乳母のその先は、チエコと父には何が、、、
モロッコ、メキシコ、日本のドラマが同時進行、
ではなく、異時進行で進んでいく。
***
3か所が次々と切り替わっていくが、
それぞれのドラマは同じ時刻を進行しているのではなく、
数日のずれを行きつ戻りつしている。
テーマとしてはわかるが、展開の中での日本の位置づけがよくわからなかった。
ストーリー的にはあれほど重い位置づけを持っているとは思えなかったからだ。
しばらくしてから気がついたのだが、
ひょっとしてこの映画は3人の女性の物語なのではないだろうか。
幼子を亡くし夫の愛も自分の命までなくしかけている妻、ケイト・ブランシェット。
母を失い父の愛も自分自身をも失いかけている娘、菊地凛子。
そして、
生活基盤も愛する子供たちも失いそうな移民の母、アドリアーナ・バラッザ。
失おうしているものも守ろうとしているものも違う3人の女たちが
それぞれ必死に生きようとしている。
言葉の壁にあい、意思疎通を欠くことによって歯車が狂い、
逆に自分たちの絆は強まっていく。
そんな女たちの物語なのでは。
とすれば、東京もメキシコもモロッコと同じ重みを持っていていいはずだ。
そんな見方を後押ししてくれるように、
奇しくも、菊地凛子とアドリアーナ・バラッザが両方とも助演女優賞にノミネートされている。
ただ、はっきり言って誰もが見て面白い、
あるいは考えさせられるという映画ではないと思う。
見る人を選ぶのかもしれない。
写真は試写会のおまけ、プレスシート。
かなり詳しい。

第79回アカデミー賞、作品、監督、助演女優(ダブルノミネート)
脚本、編集、作曲の6部門7ノミネート。
マスコミが菊池凛子一辺倒で騒ぎ倒したことで知っている人も多いでしょう。
聴覚障害の方のご意見もあって日本語にも字幕が付いたことでも有名になった。
***
モロッコの山中。
羊飼いのアブドゥラは、知人のハッサンから、
羊を襲うジャッカルを追い払うためライフル銃を買う。
ライフル銃は息子のアフメッドとユセフに渡される。
二人はいたずら心からバスに向けて1発の弾丸を放つ。
メキシコに近いアメリカ南部。
乳母のアメリア(アドリアーナ・バラッザ)は、主人から電話を受け取る。
大変な状況だが、子供たちには言わないこと、
代わりのベイビーシッターを探すから、
息子の結婚式に帰っていいこと。
しかし、交替のベイビーシッターは見つからず、
アメリアはしかたなく2人の子供をメキシコに連れていくことになる。
モロッコを旅行中のリチャードとスーザンの夫妻
(ブラッド・ピットとケイト・ブランシェット)
気持ちの行き違いからお互いを許せないでいる。
修復のモロッコ旅行も気持ちが通じ合うことはない。
気持ちが触れ合わないままのバスの旅、
突然、窓を射抜いた弾丸が妻スーザンの左肩に突き刺さる。
東京。
聾唖者のチエコ(菊地凛子)は、父(役所広司)と気持ちがすれ違い、
イライラしている。
住まいの超高級高層マンションには、刑事が訪ねてくるが、
実はチエコは母の自殺の件で父のことを心配している。
一方、モロッコ。
スーザンの出血は止まらず、ガイドの村に行くが満足な治療は受けられず、
政治的な絡みもあってなかなか救援は来ない。
バスの乗客は自分たちの身を案じ、リチャード夫妻を見捨てて先を急ごうとする。
果たして、
夫妻の安否は、二人の子供と乳母のその先は、チエコと父には何が、、、
モロッコ、メキシコ、日本のドラマが同時進行、
ではなく、異時進行で進んでいく。
***
3か所が次々と切り替わっていくが、
それぞれのドラマは同じ時刻を進行しているのではなく、
数日のずれを行きつ戻りつしている。
テーマとしてはわかるが、展開の中での日本の位置づけがよくわからなかった。
ストーリー的にはあれほど重い位置づけを持っているとは思えなかったからだ。
しばらくしてから気がついたのだが、
ひょっとしてこの映画は3人の女性の物語なのではないだろうか。
幼子を亡くし夫の愛も自分の命までなくしかけている妻、ケイト・ブランシェット。
母を失い父の愛も自分自身をも失いかけている娘、菊地凛子。
そして、
生活基盤も愛する子供たちも失いそうな移民の母、アドリアーナ・バラッザ。
失おうしているものも守ろうとしているものも違う3人の女たちが
それぞれ必死に生きようとしている。
言葉の壁にあい、意思疎通を欠くことによって歯車が狂い、
逆に自分たちの絆は強まっていく。
そんな女たちの物語なのでは。
とすれば、東京もメキシコもモロッコと同じ重みを持っていていいはずだ。
そんな見方を後押ししてくれるように、
奇しくも、菊地凛子とアドリアーナ・バラッザが両方とも助演女優賞にノミネートされている。
ただ、はっきり言って誰もが見て面白い、
あるいは考えさせられるという映画ではないと思う。
見る人を選ぶのかもしれない。
写真は試写会のおまけ、プレスシート。
かなり詳しい。

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