峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

喜びと悲しみと

2009年04月11日 20時08分32秒 | 最近の出来事
皆様、温かいお祝いのお言葉をありがとうございます。
章魚庵さん と、柳女さん のお祝い記事も楽しく拝見ました。
心からお礼申し上げます。

で、ここでもパーッといつものウカレポンチぶりを発揮するかと思いきや…なのです。
今回は、ちょっと深刻で長くなります。 すみません。


若い頃、妹や甥や姪の誕生日に絵本を描いてプレゼントしました。
義姉は、「峰ちゃん、才能あるわよ!」 と言ってくれました。
しかし、それらはあくまで個人的なプレゼントだったし、ずっと絵本を描き続けて精進してたわけでもありませんでした。

数年前、義姉は、通っているキリスト教会で親しくさせて戴いていた絵本の出版社K社のS社長に、私が昔 甥や姪のために描いた絵本を見せてくれました。
私としてはそんな昔のものを…と思いましたし、Sさんも、
「これはお子さんたちのために描かれたものですから…」 とだけ言って、返して下さいました。
でも、私は義姉の気持ちが嬉しかった。
ちょうど実家が一番大変な時期で、長年住み慣れた家も手放さなければならないときでもありました。
義姉が深刻な病に侵され、手術をしたのもこのころだったと思います。

私は義姉の気持ちに応えたい思いと、Sさんには何十年も前の作品を見て戴いたことも心苦しく、もうひとつ新しく描いて見て戴きました。
(結果的には却って申し訳ないことしたような気もしますが)
Sさんは直接電話を下さって、ご高齢であるにも係わらず結構長い時間、細かく批評してくださいました。
褒め言葉はひとつもなかっただけに、批評するにも気が重かったであろうと思われます。
それでも全くの素人が、その道をずっと歩んでこられたSさんに作品について丁寧に言って戴けるというのは有難いことだと思いました。

今年に入って、私が過去 何度も応募してきた賞の大賞に選ばれたという電話を戴いたとき、義姉は入院していました。
見舞いに行くとすっかり痩せてしまった義姉は、私から受賞の話を聞くと同時に顔をパッと輝かせて、
「やっぱり! 峰ちゃんおめでとう!」 と言ってくれました。
その後、退院したのですが、また入院したと聞きました。
姪からは容態が深刻であることを聞きましたが、まだ大丈夫と信じたかった。

4月8日の朝、母から電話が掛かってきました。
泣きながら。

翌日9日の夜に義姉が通っていた教会で、前夜式。 10日に葬送式。
10日の夜は私の受賞式でもありました。

10日の葬送式には、Sさんがいらっしゃいました。
Sさんは私のことも気にかけてくださっていました。
私はまず批評を戴いたことについて改めてお礼を申し上げ、それから大賞を受賞したことを報告しました。
Sさんはとても喜んでくださり、その日が その受賞式であることの奇縁にたいへん驚いておられました。

義姉の最後のお別れのとき、さらに痩せてしまったけれど美しく化粧していた義姉に向かって、私は、
「ありがとう」 と何度も言おうとしたけれど、嗚咽してしまって言葉になりませんでした。

義姉を乗せた車が葬祭場に向かうのを見送ったあと、私は受賞式の会場へと向かいました。




寛子おねえさん、本当にありがとう。