微笑みを生きる

ナラティブセラピストとして、日々の心の気づきを書いています。また、ケアマネージャーの視点から介護についても記述します

時代・所変われば

2008-08-09 17:51:38 | 生きる
同じ人間なのに

社会的評価はその時代その場所や信仰によって変わってくる

不思議だよね

ある国では第2夫人、第3夫人、第12夫人位までいて
その夫人たちが外交の表舞台に立っていても

それがマスコミで報道されても、誰もなにも言わない、男性からはうらやましいと言う声も

大奥なんかもそうだよね、この時代それが普通でだれもそれを非難しない

倫理ってなんだろうね
その時代や別の国では倫理がないということなのだろうか

また、今の時代や日本ではあたりまえのことが別の時代や国に行けば人として否定されることも


同じ人間その国ではその行為が非難され、人としての評価さえ否定され

それが別の国で同じ行為をしていてもそれはあたりまえの行為としてまた羨望されることも

社会の仕組み、その社会を構成する人間の思考によって人の評価は変わってくるのでしょうね

人間としてみていくのか、人としてみていくのかでその考え方も違ってくるのかも

人間としてみていくとそこにあるのは肯定か否定、社会の枠組みに入っているのか外れているのかと

人としてみていくならそこに基準はなく、生きている、生きていっているただそれだけのここと

ボクが人を見るのは社会を構成している人間としてみるのではなく
あくまでも自然の一部として生きている人としてみている

生きる、ただそれだけのことでさえ人は苦しむ

生きていくために人としてではなくその社会の構成員として人間としていきていかなければならないのはわかっているが

人が生に苦しんでいるときは、社会を構成する人間ではなく今を生きている人と人としてともに生きることを選択する


りとりーと
コメント
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