JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光(2) 平城宮歴史公園
2023年5月23日(火)
平城宮へとやってきた。
おお! 広いなあ。
小雨模様ということもあるが向こうがかすんでいるほどだ。
目の前には第一次大極殿がそびえていた。
高さが27メートルもあるので遠くからでもよく見えただろうな。
資料を見ると奈良時代の大極殿を復元したものだとある。
開館は9時ということでしばらく外観を見て回る。
屋根の鴟下(しび)の形がよい。
開館と同時に中を見学する。
高欄(欄干)には香蘭宝珠という飾り物。
もしかして当時はこの中に電球が入っていて光ったとか(笑)
内部はわりと質素というかそっけない。ギラギラと派手じゃないところが日本風だなと思う。
ベルサイユ宮殿などあまりにも金ぴかギラギラで目がチカチカしてしまうが、この落ち着いた自然な感じが日本の美なのだ。
中央には高御座が据えられている。
天皇の玉座なのだがこれまた実にシンプルな感じ。
玉座の椅子など「え? こんなに簡素なの?」となんども見直してしまったほど。
中国なら龍を、西洋ならライオンをあしらって権力を誇示するのだがそんなところが全くない。
それなのに高御座全体を見ると尊厳を感じてしまうというのが不思議ではある。
大極殿の前には復元中の南門がある。
つぎは復元事業情報館へと向かう。
復元模型あり鬼瓦あり、当時使っていただろう工具の展示もあって興味深い。
重機などなかった時代によくまあこのような建物を作ったものだなあと感心しきり。
見学を終えたら朱雀門へと歩いていく。
広大な庭園のなかを近鉄奈良線が走っている。
電車が来るとどうしても写真を撮ることになってしまう。パブロフの犬状態だなこりゃ。
朱雀門を抜けて「平城宮いざない館」と歩いていく。
雨があがって日が差してきた。
「平城宮いざない館」では平城宮の全体像を見ることができる。
歴史公園として整備される前はここは広大な田んぼだったのだそうだ。
平城宮のあったころはきっちりと碁盤の目のように区画整理されていたのだ。
うーむ、都市計画は最初が肝心だからな。
これは大極殿の模型かな? なかなか迫力がある。それにしてもこの木組みの精巧さはすごいものだ。
当時の食事を再現したものもある。
上流階級の食事は現代ととあまり変わらないようだ。
でも一般庶民はこんな食事はできなかったんだろうな。
木簡の展示もある。
メシがまずいとか文句を書き込んでいるところも現代と同じだな、いつの時代も人の考えることは同じなんだなあ。
お土産売り場には大量の大仏頭部、「ありがたい、ありがたい」と言いながら食べなければ。
屋外には復元された遣唐使船が展示されている。
おお、スモークで雰囲気を出しているぞ。
当時の錨は石を結び付けた木製だったのか。
帆は布ではなく竹を薄く削ったものを使ったとある、網代帆というのだそうだ。
これはかなり重いのではないか。
布が貴重だったので竹を使ったということなんだろうかと想像してみる。
部屋は大使だけが個室であとは雑魚寝だったそうだ。
それにしてもこの小さな船で日本海を渡っていくとは、想像するだけで恐ろしい。
現在なら月へ向かうロケットみたいなものかもしれないな、たどり着けたらラッキー。
司馬遼太郎さんの「空海の風景」を読むと当時の航海は風待ちで何日も足止めされたり、嵐でまったく別の地にたどり着いたりと本当に命がけだったということがわかる。
遠足だろうか小学生の一団がやってきた。
平城宮歴史公園の見学を終えたらつぎは東大寺へと向かう。
2023年5月23日(火)
平城宮へとやってきた。
おお! 広いなあ。
小雨模様ということもあるが向こうがかすんでいるほどだ。
目の前には第一次大極殿がそびえていた。
高さが27メートルもあるので遠くからでもよく見えただろうな。
資料を見ると奈良時代の大極殿を復元したものだとある。
開館は9時ということでしばらく外観を見て回る。
屋根の鴟下(しび)の形がよい。
開館と同時に中を見学する。
高欄(欄干)には香蘭宝珠という飾り物。
もしかして当時はこの中に電球が入っていて光ったとか(笑)
内部はわりと質素というかそっけない。ギラギラと派手じゃないところが日本風だなと思う。
ベルサイユ宮殿などあまりにも金ぴかギラギラで目がチカチカしてしまうが、この落ち着いた自然な感じが日本の美なのだ。
中央には高御座が据えられている。
天皇の玉座なのだがこれまた実にシンプルな感じ。
玉座の椅子など「え? こんなに簡素なの?」となんども見直してしまったほど。
中国なら龍を、西洋ならライオンをあしらって権力を誇示するのだがそんなところが全くない。
それなのに高御座全体を見ると尊厳を感じてしまうというのが不思議ではある。
大極殿の前には復元中の南門がある。
つぎは復元事業情報館へと向かう。
復元模型あり鬼瓦あり、当時使っていただろう工具の展示もあって興味深い。
重機などなかった時代によくまあこのような建物を作ったものだなあと感心しきり。
見学を終えたら朱雀門へと歩いていく。
広大な庭園のなかを近鉄奈良線が走っている。
電車が来るとどうしても写真を撮ることになってしまう。パブロフの犬状態だなこりゃ。
朱雀門を抜けて「平城宮いざない館」と歩いていく。
雨があがって日が差してきた。
「平城宮いざない館」では平城宮の全体像を見ることができる。
歴史公園として整備される前はここは広大な田んぼだったのだそうだ。
平城宮のあったころはきっちりと碁盤の目のように区画整理されていたのだ。
うーむ、都市計画は最初が肝心だからな。
これは大極殿の模型かな? なかなか迫力がある。それにしてもこの木組みの精巧さはすごいものだ。
当時の食事を再現したものもある。
上流階級の食事は現代ととあまり変わらないようだ。
でも一般庶民はこんな食事はできなかったんだろうな。
木簡の展示もある。
メシがまずいとか文句を書き込んでいるところも現代と同じだな、いつの時代も人の考えることは同じなんだなあ。
お土産売り場には大量の大仏頭部、「ありがたい、ありがたい」と言いながら食べなければ。
屋外には復元された遣唐使船が展示されている。
おお、スモークで雰囲気を出しているぞ。
当時の錨は石を結び付けた木製だったのか。
帆は布ではなく竹を薄く削ったものを使ったとある、網代帆というのだそうだ。
これはかなり重いのではないか。
布が貴重だったので竹を使ったということなんだろうかと想像してみる。
部屋は大使だけが個室であとは雑魚寝だったそうだ。
それにしてもこの小さな船で日本海を渡っていくとは、想像するだけで恐ろしい。
現在なら月へ向かうロケットみたいなものかもしれないな、たどり着けたらラッキー。
司馬遼太郎さんの「空海の風景」を読むと当時の航海は風待ちで何日も足止めされたり、嵐でまったく別の地にたどり着いたりと本当に命がけだったということがわかる。
遠足だろうか小学生の一団がやってきた。
平城宮歴史公園の見学を終えたらつぎは東大寺へと向かう。