JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光編(6) 明日香古墳群 その2
2023年5月24日(水)
こんどは高松塚古墳へと向かう。
まず「高松塚壁画館」で複製された壁画を見る。
日本で初めて発見された壁画なのだ。
当時(昭和47年)ニュースで大きく取り上げられたものだった。
この絵を見ると日本は朝鮮半島から渡ってきた人が大勢いたんだなと想像できる。
この高松塚は建造当時の形に復元したものだとのこと。
近くで見ると思いのほか小さい、大き目の一里塚という感じである。
ゆるやかな山の中腹にあり下のほうに畑、民家が見えるところだ。
次はキトラ古墳へと向かう。
この道も坂道なのでペダルを漕ぐのが少々つらい。
キトラ古墳も高松塚と同じように小高い山の中腹にあった。
いまは草刈りもされ道も整備されているから古墳だとわかるようなものの、
これが古墳ですよ、と言われなければわからないほど目立たない。
数百年の間に古墳は自然と同化してしまったに違いない。
高松塚古墳が発見されて話題になったところ、うちの裏山にも同じようなものがあるとの話が出て発見に至ったという。
この古墳もまた集落、畑を見下ろすようなところにあるのが印象的だ。
神戸の五色塚古墳は瀬戸内海を見下ろすような位置にあったが、これらの古墳も同じように被葬者が自分の支配地を見ているかのようだ。
見学を終えたら古い町並みの狭い道を通って、
高松塚、キトラとは向かい側の山へと向かう。
マルコ山古墳は観光客のいない忘れられたような古墳だった。
このマルコ山古墳も山の中腹にある。
いくら電動アシスト自転車とはいえ老いた足にはかなりの負担だ。
ここも、こんもりと盛り上がっていて草刈りもされているから古墳だとわかるようなもので、、、
どうして古墳時代の人たちは古墳に「〇〇王の墓」とかの石碑を建てなかったんだろうか。
まったく文字のない時代とは思えないし、文字でなくてもなんらかの記号や絵でもヒントを残してくれたらよかったのになあ。
もしかしたら木の柱を建てたのかな、そうだとしたら残らないよなあ。
古代エジプトでも古代中国でも永遠に残るからと石碑に刻んだのだが、日本人は思いつかなかったのかそれとも・・・
さて最後は牽牛子塚古墳だ。
またしても急な坂道を登ったり下ったり。
おまけに道を間違えて全く違うほうへ行ってしまったりだった。
この牽牛子塚古墳も他の古墳と同じように丘の中腹にある。
やはり被葬者(天皇?)は一段と高いところから自分の支配地を見ているのだ。
八角形というのが興味深い。古代天皇家を象徴する形だそうだ。
斉明天皇の墓というのが通説だとある。
ピラミッド型で白い石で覆われているから遠くからでも目立つ。
中は大きな石室があったそうだ。
遠くの山からこのような巨石を運んできたということにも驚かされる。
坂道を歩いて登ってくるだけでも大変なのに巨石をどうやって運んだのか不思議だな。
もともとの石室も残されている。
おや?足元にはマンホールもあるぞ、古代の人はハイテクだったんだなあ(笑)
古墳のカット模型もあるので内部がどのようになっていたのかがよくわかる。
今日は朝の9時から自転車をこいで坂を登ったりしたからかなり疲れた。
ということで古墳巡りはこれで終了だ。
自転車を返却して、電車で奈良駅まで行く。
明日から奈良駅から京都駅まで沿線を歩く予定だが、今日のうちに2駅歩いておきたい。
2023年5月24日(水)
こんどは高松塚古墳へと向かう。
まず「高松塚壁画館」で複製された壁画を見る。
日本で初めて発見された壁画なのだ。
当時(昭和47年)ニュースで大きく取り上げられたものだった。
この絵を見ると日本は朝鮮半島から渡ってきた人が大勢いたんだなと想像できる。
この高松塚は建造当時の形に復元したものだとのこと。
近くで見ると思いのほか小さい、大き目の一里塚という感じである。
ゆるやかな山の中腹にあり下のほうに畑、民家が見えるところだ。
次はキトラ古墳へと向かう。
この道も坂道なのでペダルを漕ぐのが少々つらい。
キトラ古墳も高松塚と同じように小高い山の中腹にあった。
いまは草刈りもされ道も整備されているから古墳だとわかるようなものの、
これが古墳ですよ、と言われなければわからないほど目立たない。
数百年の間に古墳は自然と同化してしまったに違いない。
高松塚古墳が発見されて話題になったところ、うちの裏山にも同じようなものがあるとの話が出て発見に至ったという。
この古墳もまた集落、畑を見下ろすようなところにあるのが印象的だ。
神戸の五色塚古墳は瀬戸内海を見下ろすような位置にあったが、これらの古墳も同じように被葬者が自分の支配地を見ているかのようだ。
見学を終えたら古い町並みの狭い道を通って、
高松塚、キトラとは向かい側の山へと向かう。
マルコ山古墳は観光客のいない忘れられたような古墳だった。
このマルコ山古墳も山の中腹にある。
いくら電動アシスト自転車とはいえ老いた足にはかなりの負担だ。
ここも、こんもりと盛り上がっていて草刈りもされているから古墳だとわかるようなもので、、、
どうして古墳時代の人たちは古墳に「〇〇王の墓」とかの石碑を建てなかったんだろうか。
まったく文字のない時代とは思えないし、文字でなくてもなんらかの記号や絵でもヒントを残してくれたらよかったのになあ。
もしかしたら木の柱を建てたのかな、そうだとしたら残らないよなあ。
古代エジプトでも古代中国でも永遠に残るからと石碑に刻んだのだが、日本人は思いつかなかったのかそれとも・・・
さて最後は牽牛子塚古墳だ。
またしても急な坂道を登ったり下ったり。
おまけに道を間違えて全く違うほうへ行ってしまったりだった。
この牽牛子塚古墳も他の古墳と同じように丘の中腹にある。
やはり被葬者(天皇?)は一段と高いところから自分の支配地を見ているのだ。
八角形というのが興味深い。古代天皇家を象徴する形だそうだ。
斉明天皇の墓というのが通説だとある。
ピラミッド型で白い石で覆われているから遠くからでも目立つ。
中は大きな石室があったそうだ。
遠くの山からこのような巨石を運んできたということにも驚かされる。
坂道を歩いて登ってくるだけでも大変なのに巨石をどうやって運んだのか不思議だな。
もともとの石室も残されている。
おや?足元にはマンホールもあるぞ、古代の人はハイテクだったんだなあ(笑)
古墳のカット模型もあるので内部がどのようになっていたのかがよくわかる。
今日は朝の9時から自転車をこいで坂を登ったりしたからかなり疲れた。
ということで古墳巡りはこれで終了だ。
自転車を返却して、電車で奈良駅まで行く。
明日から奈良駅から京都駅まで沿線を歩く予定だが、今日のうちに2駅歩いておきたい。