8月31日(木)
40日間の夏休みが終わる。
と言っても、休みだったのは子ども達だけ。私はしっかり、出勤、出張、研修、日直と言ったお仕事があった。その中でもしっかり里帰りもしたし、各種勉強会にも参加した。懐かしい友達や、めったに会えない友達に会ったり、新しい友達ができたりと、たくさんの出逢いがあり、大切で、貴重な時間を過ごすことができた。
やりのこしたことはたくさんあるが、思いがけず得たものや、今までの苦労が報われるような嬉しいこともたくさんあった。
明日から9月だ。また慌ただしくも賑やかな日々が始まる。
休みの間に、リフレッシュも、充電も、スキルアップも頑張ったけれど、それがいつまで持つか、ちょっと不安だけれど、ポジティブ、アクティブ、パワフルに、今できる精一杯を頑張るしかない!
この夏いろいろな宝物のような思い出の中に、石巻帰省がある。
あの日から1年5カ月経って、故郷はだいぶ落ち着き、少しずつ元の生活に戻ってきたような地域と、あの日のまま放置されている地域との格差が著しかった。
そんな中で、立町通りの仮設店舗の商店街の壁に、絵を描いている学生たちがいた。
声をかけると、名古屋造形大学の学生さんたちだった。私もその壁画制作に参加させていただいた。待ち行く人たちに声をかけて、壁画を完成させようとしているのだ。
私も一筆、参加させてもらった。
昨年は、猛暑の中の泥出し、瓦礫撤去作業のボランティア活動が主だった。
今年は、帰省期間が短いため、仮設店舗での買い物や食事などをし、商売を立て直そうとしている人たちへの応援をしてきた。
昨年、ボランティア活動を共にした人が言うには、瓦礫の分別作業などは、被災された人たちが、とりあえず現金収入を得るための仕事なので、今は、ボランティア活動としては、被災地に来て、作業ではなく、観光をしてほしいのだそうだ。被災地の商品を買い、食事をして、泊って行ってもらえることが、産業、商業の復興につながるということだった。
私は、それを千葉に戻ってからも実践した。
8月25日、長生、茂原地区の宮城県人会の人たちと一緒に、千葉県茂原市での祭りに宮城県物産展の売り子として参加した。
仙台の萩の月、石巻の白謙の笹かまぼこ、渡波の長寿味噌、奥松島の海苔、仙台の牛タン、松島の地ビール、銘酒「浦霞」と「一の蔵」、芋煮、そして、被災地の婦人会の手作りグッズなどを、石巻弁丸出しで、声を枯らして販売した。
おかげさまで、売り上げは上々。笹かまぼこは昼前に完売した。
お客様も、宮城県不出の「萩の月」や「白謙の笹かまぼこ」が、ここで買えるなんて!とたくさん買っていく人や、食べてみた途端、気に入ってお土産に買っていく人や、被災地支援として買って行って下さる人たちなど、売りがいがあった。
このことは、県人会の人たちだけでなく、その様子を知らせるだけでも、故郷の両親、友人、ボランティア仲間を感動させ、励ましたと思う。
こういう形の被災地支援もあるのだなあと思った。
40日間の夏休みが終わる。
と言っても、休みだったのは子ども達だけ。私はしっかり、出勤、出張、研修、日直と言ったお仕事があった。その中でもしっかり里帰りもしたし、各種勉強会にも参加した。懐かしい友達や、めったに会えない友達に会ったり、新しい友達ができたりと、たくさんの出逢いがあり、大切で、貴重な時間を過ごすことができた。
やりのこしたことはたくさんあるが、思いがけず得たものや、今までの苦労が報われるような嬉しいこともたくさんあった。
明日から9月だ。また慌ただしくも賑やかな日々が始まる。
休みの間に、リフレッシュも、充電も、スキルアップも頑張ったけれど、それがいつまで持つか、ちょっと不安だけれど、ポジティブ、アクティブ、パワフルに、今できる精一杯を頑張るしかない!
この夏いろいろな宝物のような思い出の中に、石巻帰省がある。
あの日から1年5カ月経って、故郷はだいぶ落ち着き、少しずつ元の生活に戻ってきたような地域と、あの日のまま放置されている地域との格差が著しかった。
そんな中で、立町通りの仮設店舗の商店街の壁に、絵を描いている学生たちがいた。
声をかけると、名古屋造形大学の学生さんたちだった。私もその壁画制作に参加させていただいた。待ち行く人たちに声をかけて、壁画を完成させようとしているのだ。
私も一筆、参加させてもらった。
昨年は、猛暑の中の泥出し、瓦礫撤去作業のボランティア活動が主だった。
今年は、帰省期間が短いため、仮設店舗での買い物や食事などをし、商売を立て直そうとしている人たちへの応援をしてきた。
昨年、ボランティア活動を共にした人が言うには、瓦礫の分別作業などは、被災された人たちが、とりあえず現金収入を得るための仕事なので、今は、ボランティア活動としては、被災地に来て、作業ではなく、観光をしてほしいのだそうだ。被災地の商品を買い、食事をして、泊って行ってもらえることが、産業、商業の復興につながるということだった。
私は、それを千葉に戻ってからも実践した。
8月25日、長生、茂原地区の宮城県人会の人たちと一緒に、千葉県茂原市での祭りに宮城県物産展の売り子として参加した。
仙台の萩の月、石巻の白謙の笹かまぼこ、渡波の長寿味噌、奥松島の海苔、仙台の牛タン、松島の地ビール、銘酒「浦霞」と「一の蔵」、芋煮、そして、被災地の婦人会の手作りグッズなどを、石巻弁丸出しで、声を枯らして販売した。
おかげさまで、売り上げは上々。笹かまぼこは昼前に完売した。
お客様も、宮城県不出の「萩の月」や「白謙の笹かまぼこ」が、ここで買えるなんて!とたくさん買っていく人や、食べてみた途端、気に入ってお土産に買っていく人や、被災地支援として買って行って下さる人たちなど、売りがいがあった。
このことは、県人会の人たちだけでなく、その様子を知らせるだけでも、故郷の両親、友人、ボランティア仲間を感動させ、励ましたと思う。
こういう形の被災地支援もあるのだなあと思った。