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交流

R47

2008-01-21 00:24:00 | 徒然なるままに
1月21日

広報委員会の顧問をやっているのだが、木曜日の『なつかしの音楽』のコーナーで、生徒が「R35」というアルバムを持って来た。「R35」というのは、「もう一度、妻を口説こう。」というキャッチ・フレーズで、35歳ぐらいの夫婦が恋人時代を思い出して、もう一度プロポーズしたくなるという選曲のアルバムだそう。なるほどと思われる曲が収録されていたので紹介しよう。

01. SAY YES/チャゲ&飛鳥
02. 君がいるだけで/米米CLUB
03. 何も言えなくて…夏/JAYWALK
04. Get Along Together ~愛を贈りたいから~/山根康広
05. TRUE LOVE/藤井フミヤ
06. シングルベッド/シャ乱Q
07. 離したくはない/T-BOLAN
08. クリスマスキャロルの頃には/稲垣潤一
09. Woman/中西圭三
10. 夏の日の1993/class
11. もう恋なんてしない/槇原敬之
12. サボテンの花 ~“ひとつ屋根の下”より~/財津和夫
13. 接吻 kiss/オリジナル・ラヴ
14. 壊れかけのRadio/徳永英明
15. 愛が生まれた日/藤谷美和子・大内義昭
16. 世界中の誰よりきっと/中山美穂&WANDS

それにちなんで、私が選んだ「R47」を紹介しよう。(1980年代中心だけど・・・)

1.いとしのエリー(サザン・オール・スターズ)
2.ルビーの指環 ( 寺尾聰 )
3.RIDE ON TIME(山下達郎)
4.ドラマティック・レイン(稲垣潤一)
5.浪漫飛行(米米クラブ)
6.ワインレッドの心(安全地帯)
7.初恋(村下 孝蔵 )
8.何も言えなくて…夏(JAYWALK)
9.恋人も濡れる街角(中村雅俊)
10.主人公(さだまさし)
11.青春の影(財津和夫)
12.言葉にできない(小田和正)
13.長い夜 ( 松山千春)

なんだか、タイトルを見ているだけで切なくなるね。

私の場合は、『もう一度プロポーズ』というよりは、『新規登録』かな。その時はどんな曲にときめくのかしら?!



未来予想図

2008-01-20 22:42:00 | 徒然なるままに
1月20日

今日、今度の『総合の時間』で行う進路指導で、生徒に『自分史年表』を書かせるのだが、試しに自分の履歴と『未来予想図』を書いてみた。

我ながら、自分の半生を振り返るとそれなりに波乱万丈な半生だ。
「百歳まで生きるぞ!」と目標を立て、これからの未来の年表を書き込もうとして、愕然とした。
60歳まで教師を務めるとして、退職した後、100歳まで40年もあるのだ。
それは、どんどん歳はとって、身体も弱ってはいくのだろうが、今まで生きてきた時間と同じぐらいの時間があるのだ。

最初は正直愕然とした。
退職したら何をしたらいいのだろうと・・・。でも、子どもたちも成長し、独立したら、まず、自分のための時間を持てるのだ。
収入の問題や、介護の問題もあるだろうが・・・。

やいたいと、やりたかったこと、やってみたいこと、やれること・・・。
書き出したら、あっという間に書く欄がなくなって、足りなくなってしまった。
実現できるかどうかは別として、私はなんて欲張りなのだろう。
でも、書いているうちにどんどん元気になって、やる気が出てきた。
「これをやり遂げるまでは、元気でいたい。」
「これをやり遂げるには健康でなければならない。」
「これをやり遂げるために資金が必要。」
「これをやり遂げたら、次にこれをやろう。」
そのための気力・体力・知識の充実、資格、収入、時間、仲間・・・それを自分で作り出す労力と努力は惜しむまい。

天寿をどう全うするか。
人生の折り返し地点を前に思うに、残りの人生は、
「我が人生に悔い無し」
と言い切って最期を迎えるための半生としたい。

私が生まれてきた意味を知り、私が私を生きるための時間。

それが私の「未来予想図」。

*(音符)*思ったとおりに叶えられてく(DREAMS COME TRUE「未来予想図」)


『諦めたら、そこで試合終了ですよ』

2008-01-20 10:32:00 | 徒然なるままに
1月19日

中学校のバスケットボールの観戦に行った。
女子は、惜しくも2点差で惜敗。でも、途中足がつっても、泣きながらコートを走り回る姿に感動!

男子は故障者を出しながらも2戦突破!
4番の主将は一人で42点を取った。
ノールックパスを決めながら速攻でゴールを目指す。そのままドリブルシュートを決める!
メンバーの授業のときとは違う表情に感心しながら、「ナイス・シュー!!」と叫ぶ!
勝てた試合ということもあるが、見ていてドキドキもしたけれど、すごく発散できて爽快だった。

大きな声を出すこと自体すごい発散になるけれど、カラオケや、怒鳴るのとは違う、爽快感と興奮!
TV観戦ではなく、目の前で繰り広げられる肉迫戦の臨場感。


明日は県大会1位の強豪との対戦。
できてまだ2年目のチームには、かなり大きな壁だ。
「明日もがんばれよ!」
と声をかけたら、
「先生、『諦めたら、そこで試合終了』なんですよね!」
と、こぶしを握り締めた。
「そうだね!気持ちで負けるな!勝ちに行けよ!!」
とエールを送った。


自分の子ども試合に出ているときは、自分の子ども中心にしか観戦できないけれど、教え子たちの場合は全体的な動きとしてみることができる。ゲームとしても楽しめる。

がんばれ!がんばれ!
がんばっている人を応援すること、励ますことで、私も元気になれる。

『諦めたら、そこで試合終了ですよ』(by安西)



三年寝太郎を起こす方法

2008-01-15 23:49:00 | 徒然なるままに
1月15日

昨日の話の続き。
息子の友達が来て、いろんな話をしたとき、息子の寝起きの悪さについての話になった。

我が家の息子の寝汚さといったら、『スラムダンク』の『流川楓』並み。
書いて読み返すとムカッ腹がぶり返すので、どのくらい寝汚いかはあえて書かないが、中学・高校時代は寝坊による遅刻大魔王だった。
中学時代はともかく、高校時代は単位が危ないというので、こっちも意地になって起こしにかかり、毎朝がバトルだった。

ある日、私は、怒鳴っても、布団をはがしても起きない息子の布団に入り込んだ。耳元で猫なで声で息子の名前を呼んだとたん、一発で息子は飛び起きた。
「な・何しやがんでぃ!」
とゼイゼイ慌てふためく息子に、布団の中からニッコリ笑いかけ、
「いいよぉ、そんなに眠たいんなら、一緒に寝てあげる。何なら久しぶりに肘さわってもいいよぉ」
(息子は、乳幼児のとき、眠るときは私の肘のしわをいじって寝るのがお休みの『儀式』だった。)
「な・何気持ち悪いこと言ってんだぁ~~~!!!」
息子はパニック状態になって、階下に逃げて行った。

という訳で、いつまでも起きて来ない時はまたこの手を使おうと思っていたら、大学生は朝から授業の無い日もあるので、私が出勤するときは息子はたいてい夢の中・・・。
まぁ、遅刻して単位が取れなければ、自業自得。自分の始末は自分でつけろという感じで、今は放っておいてますが・・・・。

という話を息子の友人に話したところ、ウケにウケた。

まあ、息子に限らず、たいていの男の子は、母親にそんな起こされ方をしたら、誰だって飛び起きて、二度寝をする気も起きないだろう。ということだった。

寒い朝、布団が恋しくてなかなか布団から出てこられない息子さんをお持ちのお母様方、こんな方法もありますよ~。ぜひ、一度、お試しあれ?!

命短し恋せよ青少年!

2008-01-14 22:53:00 | 徒然なるままに
1月14日

今日、夕方息子の友達が遊びに来た。
いつもなら息子の部屋に直行なのだが、今日の息子の部屋はとても客人をお通しできる状態ではないので、居間で一緒に歓談した。
文学部で考古学を選考している彼は、中学生のときから私とよく話の会う子で、大学ではエジプト研究会に入り、来月はエジプトに1ヶ月行ってくるという。うらやましい!!

前半はそんな彼らの大学生活と友達の失恋話で盛り上がっていたのだが、後半は、彼の恋愛相談で超盛り上がった。

そういえば最近、放課後の美術室は進路相談やら恋愛相談やら人生相談室になっている。

そんなノリで19歳の男の子の恋愛相談は面白かったですね~。
私は「恋愛の達人」ではないけれど、昔から相談役やら、取り持ち役やらの経験は豊富なのだ。(自分のことになるとからっきしだめなくせに)自分の恋愛がうまくいくより、他人の恋愛がうまくいったり、失恋して落ち込んでいる人を元気にするのがうれしいという変わった性格なのだ。

それにしても、恋する乙女も恋する男の子も、見ていてじれったくなるほどかわいいねえ。がんばれ!青少年!て感じ。(人事だからかな?自分の息子でもそうだろうか?その前に、親には相談しないかも。)
*(音符)*命短し恋せよ乙女ならぬ青少年~*(ハート)*



『自称二十歳』

2008-01-14 14:28:00 | 徒然なるままに
1月14日

今日は成人式。
『自称二十歳』(見た目は『荒れ地の魔女』に魔法にかけられている、ということになっている)の私としては、思うところいろいろな日である。

なんといっても、来年は長男が成人式を迎えるのだ。
「来年はお兄ちゃんと『タメ』になっちゃうよ~」
と言ったら、末娘が
「CMでやってるみたいに『ママになって二十歳』って言えばいいんじゃない?」
というので、
「そうすると、毎年歳をとることになるからなあ・・・『永遠の二十歳』じゃなくなっちゃうじゃない。」
といったら、呆れられてしまった。

昨日、久々に『白髪染め』に行ってきた。
『自称二十歳』の気持ちを挫けさせるのが『白髪』なのだ。
気持ちの若さでは、現役の二十歳にも負けないし、ピュアな気持ちは、中学生にだって負けてないと思うのだが、『白髪』だけは自分の実年齢を無言で見せ付けてくる。
でも、不思議なもので、黒髪が蘇り、さっぱりしたショ一トカットになって、
「かわいくなったよ~!5、6歳は若返ったね!30代で通るよ」
なんて『魔法の言葉』をかけてもらうと、もうすっかり元気になってしまった私なのでした。

帰り道、ストアで久々に会った友人に、
「あなたに会って元気が出た。あなたって不思議な人だよね」
と言われた。
来た年賀状のほとんどが同じようなコメントだった。
両親や弟妹、同級生たちからもそう言われた。

昔、NHKの朝ドラで『ちゅらさん』というドラマをやっていたとき、「主人公のエリは、あなたを見ているようだ」とわざわざ親戚から電話があった。

二十歳の頃の私って、確かに若さも純粋さもあったけれど、精神的には今のほうがよほど若々しくて、健康的かもしれない。

今の精神状態で身体だけ若返ることができたら、何にでも挑戦しちゃうだろうなあ!
勉強だってガンガンやって、いろんな資格とって、バイトも仕事もバリバリやって、日本中や世界中を旅行して、友達たくさん作って、オ一ディション受けまくっていろんな舞台に挑戦して、・・・恋だって!!

振り返れば、それなりに波乱万丈で濃い半生を送ってきたとは思う。足りないのは、少しの勇気と自信だった。ここ一番という時の度胸と『当たって砕けろ』の思い切り、根拠が無くても良いからもうちょっと自分に自信があれば・・・。

でも、それが私。きっと過去に戻っても、結果は同じ。身体だけが若返って・・・なんてありえないことを考える暇があったら、体力づくりと健康管理をがんばって、『老化』を防いで、気持ちはますます若返り、柔軟性のある心を持って、いい年を重ねていこう。

『ハウルの動く城』のソフィ一のように・・・。

今日、二十歳になった皆さん、おめでとうございます。
皆さんの輝かしい未来に、乾杯!!





金華山参詣

2008-01-14 11:54:00 | 徒然なるままに
1月13日

今回の帰省で実現したかった目標の一つに金華山参詣があった。

三陸・牡鹿半島のその先に浮かぶ金華山。
その山頂から眺める360度の海を見たくて・・・。

金華山には切ない思い出がある。
小学3年生ごろ、大好きだった祖父と気まずくなった。
原因は些細なことだったが、ちょうどその頃、祖父が私と弟を金華山に連れて行ってくれることになっていた。
私はなんとなく素直になれず、意地を張って「行かない」と言い、祖父と弟だけで金華山に出かけて行った。

そのことはその後ずっと私の心の中に「しこり」となって残った。

中学校3年生のとき、祖父が癌になって入院し、高校受験の2日前に帰らぬ人となった。

私は祖父の死の直前、お見舞いに行ったとき、励ますつもりで、
「じいちゃんが治って、私が高校受かったら、一緒に金華山に行こう。あの時意地張って行かなかったのずっと後悔してたんだ。じいちゃんごめんね。今度は一緒に行こう。」
と言ったのだ。
じいちゃんはウン、ウンと頷いてくれていた。

じいちゃんが亡くなってから、ばあちゃんがその時のことを思い出してこう言った。「あんだが帰った後、じいさまは声立でねえでずっと泣いでだんだ。もう自分は治らない。金華山どころか家にも帰れないって、わかってたんだぁ。」

私は金華山のことで、二度もじいちゃんを傷つけてしまったことを後悔して泣いた。

じいちゃんとの約束。高校入学は果したが、金華山参詣はずっと保留だった。
去年、五体満足で生還できた時、いろいろなことを思った。
その中で、じいちゃんに会う前に金華山に行っておかないと・・・。という想いがあった。

今回、76歳の父と7歳下の妹と金華山詣でに行った。
鮎川から高速船で20分。
麓の黄金山神社の裏から山頂(海抜445m)まで登ること1時間。
毎年、燕岳の燕山荘でバイトをしている自称『山女』の妹は、ヒョイヒョイとカモシカのように駆け上っていく。
普段からジョギングで鍛えている父も、汗もかかずに息切れもしないで、淡々と登っていく。
私は、年末、寝不足がたたって2階の美術室への階段が上れないほどの、動悸・息切れ状態になってしまい、体力の衰えを痛感した。
船の上から金華山の頂上を見つけたとき、頂上まで登れるかどうか不安だった。
でも、妹に
「マチュピチュに行くなら、このぐらいの高さでへこたれていちゃいけないよ」
と励まされ、がんばる事にした。

20分ぐらい登ったところで、下山してきた老夫婦にすれ違った。
頂上まで後40分ぐらいかかると聞き、一瞬めまいを感じた私だったが、
「すごくいい眺めでしたよ~!がんばって!!」
と励まされ、心の中で『コンドルは飛んでゆく』を口ずさみながらがんばって登った。

8合目あたりで、視界が開け、牡鹿半島や江ノ島や網地島、田代島、石巻が見渡せる場所に立った。
お天気も良く、海の青、空の青が最高にきれいだった。吹く風の冷たさが、汗だくの私にはちょうど良かった。

頂上のお社にお参りを済ませ、展望台から見た景色の素晴しさは、それまでの疲れが吹き飛ぶようだった。
父が、田代島の方角を指して、
「あの水平線の向こうにオ一ストラリアがある。」
と言った。
オ一ストラリアは6年、前妹が3ヶ月ぐらい滞在した国だ。

雲の切れ間から差し込む陽光は、さながら天使のはしごのように美しかった。

このお天気も、絶景も、みんなの健康も、じいちゃんとばあちゃんが見守ってくれているのだろう。感謝!!


帰路、鮎川からちょっと寄り道して、今度は牡鹿半島の突端から金華山を見た。
夕日に照らされた島の全貌は、また絶景だった。
頂上を見ながら、あそこまで自分の足で登りきった達成感を噛みしめた。
コバルトラインを通りながら、満開の桜の頃や、紅葉の頃はどんなに美しいだろうと想いを馳せた。
金華山は、3年続けてお参りすると願いが叶い、金運も上がるのだとか。
来年は桜の頃、再来年は紅葉の頃にまた参詣したい。
それまでもっと体力作りをがんばろう。

今年の私の一文字は、
『叶』
夢を叶えるための年にしよう!
金華山登山はその第一歩だ。

金華山の画像や情報はこちら
http://www3.ic-net.or.jp/~kuronao/






石巻市立蛇田中学校同期会

2008-01-12 09:58:00 | 徒然なるままに
2008年1月12日


新年が始まって、11日。
今年も波乱万丈で、ドラマティックな年明けとなった。

年末年始は、本当に久しぶりに故郷で過ごした。
1月2日には弟妹、子どもたちも勢ぞろいして、みんなで記念写真を撮った。
昨年8月、九死に一生を得た身としては、これ以上ない親孝行ができ、自分としても、最高の年明けを迎えることができたと思う。

2日の日はまた、中学校の同期会があった。6年ぶりの再開。人数は前回よりも少なかったが、懐かしい顔ぶれがそろった。
年齢的に、子どもの受験や親の介護などもあって出席できない人や、最近の地域開発で実家が引っ越してしまい、連絡が取れなくなってしまった人もいたそうだ。
久しぶりの母校の周辺は、大型店舗が立ち並び、高速道路のインターができて、まるで別の街に様変わりしていた。

再会を約束していていた友人たちには、残念ながら会えなかったが、その代わり、中学卒業以来、話したことも無かった人たちといろいろ話すことができた。
面白かったのは、当時の私の印象だった。
前回、いつものメンバーや当時仲の良かった人達中心に話したときは、私が『中学時代と変わっていない人No.1』に選ばれたのは、見た目もさることながら、成長の無い性格もあってかと思っていた。
今回は、私も覚えていないいろんなエソードを覚えていてくれた人達から、当時の私の意外な印象を聞いて、とても興味深かった。

当時、私はいわゆる優等生クラスにいたらしいのだが、理不尽なことを言う教師にたてついたり(?)、いつ勉強しているんだかいつもマンガばかり描いていて、今で言うアニメオタクで、ツッパリやいじめられっ子に対しても、分け隔て無く誰とでも仲良く付き合っていたらしい。
「お前は、あの先生に立ち向かっていくときは、誰よりも男らしかったよな」
「結構、『マドンナ』だったんだぞ。小学校のときは『かわいい子が転校してきた』って、みんなで家まで後つけていったんだ」
「TVのアニメ特番とかで『海のトリトン』を見ると、必ず○○(旧姓)さんのこと思い出すよ。」

カラオケで伊藤咲子の『ひまわり娘』を歌ったとき、
「お前、この歌そのまんまだなや~、変わるなよ!」
と言われた。
調子に乗って、中2のとき、放課後卓球部のみんなと歌いまくっていた、リリーズの『好きよ、キャプテン』や、天地真理のメドレーを歌いまくった!
そのうち、自分たちが中学時代に流行った歌のメドレーをみんなで歌って、気分はすっかり13~15歳に戻ってきた。

私は、そんなみんなの様子を見ながら、半分、懐かしく、自分自身も中学時代に戻って思い出話を楽しみながら、6年前には無かった、『別の視点』からこの会を眺めている自分に気づいていた。

中学校の講師を3年間務めてきて、さまざまな子どもたちと出会い、今また中学1年生の担任をやっている。
同級生たちは、またさまざまな個性を持ち、卒業後、それぞれにさまざまな人生を歩んできた。
彼らと話をしながら、中学当時の彼らと、今受け持っている生徒たちとの共通点をダブらせている、教師としての視点。
あの勉強嫌いのやんちゃ坊主が、独学で勉強をして自営業を頑張っていたり、「石巻で一番おいしいイチゴを作っている」と農業に懸ける情熱を語る同級生、ツッパッていても、子分の面倒見の良かったやつは、何人もの従業員を抱え、「あいつらの家族を支えてやらなきゃな」と親分肌健在だったり。故郷を飛び出して行ったけれど、夢破れボロボロになって帰ってきたときに支えてくれた同級生たちを、「今度は自分が励ます」と幹事を引き受けてくれた、元いじめっこ。小・中校時代の罪滅ぼしをするべく、子どもの小学校でPTA会長を四期務めている人・・・。

中には、手術をして九死に一生を得、やっと体重が増えてきたという人や、学校一の俊足だったけれど、「身体を壊して食事も普通に取れないんだ」と、手付かずのご馳走の前で微笑んでいる人もいた。

中学校で美術を教えて、1年生の担任をやっているといったら、何人かの人に、
「もう一回13歳から勉強やり直したいなぁ。」
「こんな面白い先生いたら生徒も楽しいだろうねぇ。」
「俺もお前に美術教わったら、絵を描くの好きになれるかなぁ」
と言われて、なんだかとっても励まされた。

結局、私は四次会まで付き合い、名残を惜しんで帰って来たのは深夜だった。
次回の同期会は7年後。そのときには、「チマチョゴリを着て、マチュピチュの遺跡に行ってきた土産話をする約束をした。
有言実行!『夢は叶えるもの』。その夢に向かって、今年は一歩でも近づけるよう頑張る年にする。そのためにも健康第一。体力づくり。貯金。語学・文化の勉強。ケーナの練習。頑張るぞ!!

*(音符)*大事なのは変わってくこと、変わらずにいること(槙原敬之『遠く遠く』より)