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交流

子ども県展地区審査

2004-10-24 16:18:00 | 徒然なるままに
10月22日(金)

午前中は、3年生のマーブリング、5年生の年賀状の下絵の指導。
午後からは、子ども県展の二次審査のお手伝い。

市内の小中学校から集まった絵の中から、入選と佳作を選出し、入選作品は、次に県の中央審査にいくのだ。
かつては、すべて終わったら翌朝になっていたと言うほど応募総数が多かったそうだ。
最近は、出品数が激減し、レベルも低迷がちだという。
少子化でクラス数が減り、授業時数が減り、5日制になって、行事に追われて仕上げる時間どころか、授業そのものの時間が取れないと言う現状がある。
そういう中で、コンクールに出品する作品を描き上げるためには、子ども達はもちろん、担任の先生方も、相当苦労しているに違いない。
かといって描きたくもない(かどうかは知らないが)絵を強要されたり、締め切り直前は他の教科をつぶしてまで絵を仕上げる学校もあるそうだ。

学校全体、クラス全体で、県展を目指して図工や美術に取り組むというのは素晴らしいことだと思う。
そういう意味では学校奨励賞などは意味があるものだとは思うが、一方で、その加熱ぶりが「図工・美術嫌い」を生み出ているのは否めないと思う。

「こう描けば コンクールに入賞する」と言うノウハウと、「こんな授業が子ども達を図工・美術好きにする」と言う指導法が、イコールであれば何の問題もない。
大切なのは、図工や美術を通して子どもの心を豊かにしてあげることであって、描画力やテクニックの向上は、その後のことだと思う。

とても上手な絵がたくさんあった。どれも力作で、どれだけの時間を費やしたのだろうと、その根気と努力には頭が下がる。
でも、構図も描き方も同じような絵を何十枚も見せられると、なんだか「制服」を着て、きちんと整列している子ども達を見ているような錯覚に陥ってくる。
良く見るとそれぞれ細かなところで工夫やアイディアを見つけることはできるが、「個性」は全く感じられない。
妙なことには、そういう力作群の隣に、限られた時数の中で学年相応ののびのび描いてあるような絵や、仕上がりとしてはあっさりした絵があると、「見劣り」してしまうものらしい。
「時間がなかったのか」「途中のような絵」「描き込みが足りない」と言うことらしい。

実際、高学年になるほど出品数は減り、棄権するクラスや学校が続出だった。
生徒は
「どうせ出しても、自分の絵は選ばれないだろう」
と最初からあきらめ、
先生は
「仕上げるまでの時間が取れないし、指導が大変」
と消極的になってしまうらしい。
審査後の反省会で、
「県展が終わったら、『もう図工なんてやりたくない』と言う子を出さないよう、『下手でもいいんだ』『図工の時間が待ちどうしい』と言う気持ちで取り組めるような指導が大事。」
という感想が出ていたが、いろいろな意味で私は疑問ばかり持つ審査だった。

でも、私自身にとっては、良くも悪くも大変勉強にも参考にもなる良い機会だった。
この経験を授業に生かし、子ども達に還元できるよう、教材研究に励もうと思う。

審査が終わったのは5時半を回り、帰りはもう真っ暗だった。
朝から審査に参加されていた先生方、お疲れ様でした。

いろいろ考え事をしながら運転していたせいか、高速のインターに入りそびれ、さまようこと一時間。まるで狐につままれたようだった。

やっと明日の公民館まつりのリハーサル会場についたのは、子ども達が解散した後だった。
子どもたち、スタッフのみんな、ごめんなさい!!
明日はソーランで思いっきり踊るぞ!

ケーナ、ソーラン、父母会、役員会・・・忙しい1日でした

2004-10-24 15:11:00 | 徒然なるままに
10月23日(土)

今日は、午前中はケーナの練習。
お昼から公民館祭でソーランを踊り、
夕方、子どもルームの父母会に出席し、
夜は、中学のバザーの打ち合わせに参加。

ケーナは、久々の参加にもかかわらず、何とか「もののけ姫」が間違えずに吹けるようになった。
なかなか出なかった高い「ラ」「シ」「ド」も出るようになったぞ!
手作りのケーナ作りから始まったこの講座。
買ってきたケーナとはまた一味違う。
みんなのケーナと音合わせしながら調音するのは、難しいが楽しくもある。
後は練習あるのみ!
夢の「El condor pasa 」3部作を吹けるようになるまでがんばるぞ!
子ども達の中には、、発表会1ヶ月前の今になってもなかなか思うように音がでないために挫折しかかって、練習に集中できないる子もいる。
何とかみんなのがんばりが報われるよう、サポートして行かなくちゃ。

公民館でのソーランは、今回初めて「正調ソーラン講座」のコーナーを設け、一般の人の参加を募ったところ、たくさんの人が参加してくださり、大盛況だった。
子ども達も緊張気味ながら、一生懸命踊っていた。今回初めて幼児だけで「南中ソーラン」踊ったのだが、いつもお母さんに抱っこされていたり、陰に隠れてしまうような子達が、お母さんから離れ、何となくでもその気になってリズムに乗ってポーズを決めたりずると、それだけで見ていてもうウルウルきてしまう。
公民館祭は年配の方が多いので、こんな小さい子達の「その気」のソーランは、もう、乗り出して応援してくださっているのがビンビン伝わってくる。

子どもルームの父母会のもっぱらの話題は、ゲームとおやつだった。
ゲームボーイについては、例年頭を悩ます問題らしい。
できれば禁止してほしいと言う父母の要望に反して、子ども達の夢中になる様子は、現場の指導員の方たちの悩みの種なのだそうだ。
我が家の場合でも、高1の息子が小5でハマってしまったとき、厳しく決まりを作ったり、禁止しても、友達の家にやりに行ったり、隠れてやっていたりとかして、ますますハマって、どんどん視力が落ちていった。
全面的に禁止や取り上げてしまうのではなく、カセットの自己管理はもちろん、子どもたち同士でルールを決めさせ、楽しく遊べる時間と場も残してあげた方が良いと思う。
おやつは、お迎えが遅くなるこのためにも、できれば腹持ちの良い軽食系のものが望ましい。
実際、予算や好き嫌いなど諸々の問題点はあるとは思うが、「おやつ」も「食育」の一環として子どもの心と体を育てる大切な役割があると思う。

中学のバザーでは、私はフランクフルトの担当になった。
今年はどういうわけか、おにぎりもパンもお餅もない。食事系はカレーと焼きそばしかないと言うのに、焼きそばに入れるキャベツの高騰で、担当の人たちは頭を悩ませていた。
それより何より、役員の負担軽減のためか、少子化で会費の予算が少なくなってきたからか、恒例の地域のサークルの発表などの「呼び物」が何もない。
「利益」を考えるなら、学区内外のあらゆる年齢層の人たちが参加したりそれを見に来るような「呼び物」って、大事度と思うのだが・・・。
そのためのわずかな「お礼」の予算を削るために何の出し物もないのでは、かなり閉鎖的な利益の上がらないバザーになりそうだ。
先日の役員会で、教頭先生が、
「学区の小学生をお持ちのご家庭に、中学校の良さを口コミで宣伝してください」
とおっしゃっていたが、学校の様子を広く知ってもらう良い機会なのに、なぜ、こんな敷居の高い、閉鎖的なバザーをやるのか、全くわからない。

中2の娘は、この2学期、全く学校に行っていないのだが、私のクラス委員としての役割だけはしっかり果たさねばなるまい。なんだかとっても空しい・・・。


自然の驚異と、人的災害の恐ろしさ

2004-10-24 14:56:00 | 徒然なるままに
10月24日(日)

一夜明けて、昨日の地震の被害状況が明らかになってきている。
地震発生時は日も落ちで暗かったので、確認できなかった状況が、日の出とともにさらけ出されたその爪痕の大きさに言葉もない。
先日の台風の被害状況も恐ろしく痛ましい物だった。
「天災」という自然の驚異の前には、人はいかに無力かと言うことを思い知らされる。

宮城県沖地震の時の死者の死因のほとんどは、手抜き工事のブロック塀によるものが多く、「人的災害」でもあると報道された。
地震直後の火災も「人的災害 」という二次災害だ。
被害を最小限に食い止め、広げないためには、予防も必要だが、起きてしまった以上は、救助・非難、食料・水の確保、ライフラインの復旧などの迅速な対応が最優先だ。

そして、阪神大震災のときもそうだったが、寒い時期の避難所生活が長引いたり、家族や家を失ったことによる精神的ショックや、余震の恐怖などの精神面でのケアが重要になってくる。
特に、一人暮らしのお年寄りや生後間もない乳幼児、病人、けが人のこの季節の避難所生活は厳しいものがある。
食料や水、トイレ・風呂など生活面での不自由さは、体験した人でないとわからないご苦労があることと思う。
ただでさえ寒さに向かうこの季節の避難所生活では、睡眠不足や気持ちが弱っているときだけに、風邪など流行性の強いの病気にも気をつけてなくてはならないことだろう。

NHKの朝の連続ドラマ「わかば」の中で、
「生きているだけで丸儲け」
と言う言葉が出てくる。
今、余震におびえながら、あまりにも変わり果てた街やわが家の前で愕然とされている方たちには、恐怖と不安のほうが大きくて、その言葉を実感できるにはずいぶん時間がかかることでしょう。
これ以上被害が拡大しないことと、被災された方々が元気を取り戻され、街が一日も早く復旧されますよう、心からお祈りいたします。

「明日はわが身」であり、「困ったときはお互い様」で、今、自分達にできることは何か家族と話し合おうと思う。

地震お見舞いを申し上げます。~Xdayに備えて~

2004-10-24 14:55:00 | 徒然なるままに
10月23日(土)


新潟県で震度6強の地震が3回も起きた。
先日の台風の大雨の後の地盤が緩んでいるときの大地震ということもあり、続々と被害の状況が報告されてくる。
この季節、家を失った方々は、寒空の中避難所生活を強いられることになると思うと、本当にお気の毒だ。何より、一瞬にして命を落とされた方や、そのご遺族、依然行方不明の方々、けがをされた方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

私も25年前、宮城県沖地震を体験した。
あの恐ろしさは今でも忘れられない。
あの日、電気も、ガスも水道も使えない真っ暗な傾いだ家の中で、家族肩を寄せ合って余震におびえながら不安な一夜を過ごしたことを、今も生々しく覚えている。

阪神淡路大震災の後に気合いを入れて揃えた避難グッズも、今は物入れに眠っている状態だが、これを「警告」と受け取って、再点検、再装備しなくては!
子ども達とも、もし、家族別々の場所で被災したときには、どう対処するかを打ち合わせておかないと・・・!

地震は、時と場所を選ばず、いつ、どこで起きてもおかしくはない天災だ。
その時になったら、とにかくあわてないことだ。
今回の新潟地震で、不幸中の幸いだったのは、地震直後の火災が起きなかったことだ。
関東大震災も、阪神淡路大震災も、地震そのものによる被害よりも火災による被害が大きく、犠牲者も火災の広がりとともに増えていった。
「グラッ」ときたら、すぐ火を消し、逃げ道を確保し、机などの下に避難すること・・・・なのだが、常に家の中に居るわけではない。乗り物の中や、エレベーターの中、地下道を歩いていたり、旅行中のホテルや旅館などで、ぐっすり眠っているときかもしれない。
就寝中の地震のときに備えて、布団のそばに、履物を用意しておくと良いそうだ。(阪神大震災体験者の方の話)
大きな地震のときは、ガラスや蛍光灯が割れて、足の踏み場もなくなってしまう。
真っ暗な中でも、すぐわかるところに履物があれば、足に怪我をしないで逃げることができる。

もう一度、我が家の安全対策を見直して、Xdayに備えよう。

教室は子ども達と作るステージ

2004-10-23 21:32:00 | 徒然なるままに
10月8日(金)

1・2時間目は、3年生の「鹿野山の思い出」の絵。
前、前々回も注意したことと約束を確認して授業にはいる。
・画面を汚さない工夫。
・自分の絵も、お友達の絵も大切にする。
・先生に用がある人は、手を挙げて。絵を持って見せに来ると、絵の具が流れてしまう。
・図工の時間は楽しく!泣いたり泣かせたり、怒られたりするようなことにならないよう、周りも注意してあげよう。怒った気持ちや悔しい気持ち、悲しい気持ち、いらいらした気持ちは、そのまま絵に表れる。
楽しい絵は、楽しい気持ちで描こう!

どういう訳か、こんな基本的なことがなかなかできないクラスだった。
原因は、一人のやんちゃな子が、すぐ誰かにちょっかいを出すところから始まっていた。
最初は、誰かがすぐ私に言いつけに来る。
「○○君が○○ちゃんを泣かしました~」
「○○君が○○ちゃんの絵に落書きしました~」
「○○君と△△君が喧嘩しています~!」
それが5分おきぐらい。
トラブルメーカー○○君は、他の授業でもそうらしい。
まあ、そういう子は、他の学校、他の学年やクラスにも1人くらいはいるものだ。
でも、そのトラブルの起こし方はちょっと頻繁すぎる。
ところが、私が絵を見てあげると、それはそれは素直に一生懸命聞くのだ。
「木の葉は一色じゃないよね。日光が当たっているところ、陰になっているところ、元気な葉、枯れそうな葉、いろんな色の葉っぱがあるよ。」
と言うと、一生懸命色を変えて描くのだ。
今日も
「先生に質問がある人は手を挙げて。順番に席に行くね。」
と言ったら、声がかれるまで
「ハイ!ハイ!」
と叫んで私を呼んでいた。
その声が大きくて、他の子にうるさがれはいたが、みんなもすぐ私に言いつけには来ずに、お互いに声を掛け合ったり、○○君に注意をしていた。
授業フ最後に、
「今日は、1度も喧嘩もなく、泣いている子もいませんでした。先週よりずっと3年生の図工の時間らしくなってきましたね!」
と言って手で○を作ってあげました。
「来週はこの○がもっと大きな○になるように、みんな協力してね。鹿野山の絵を仕上げたら、もっと楽しい工作をやるから、がんばって仕上げようネ!」
みんなの元気な「は~い!!」を信じよう!

3・4時間目は5年生の「コラージュ」の仕上げと、「素焼き」のアイディアスケッチ。
校外学習などで授業が出来ず、2週もあいてしまったせいか、今日仕上げの子ども達の「コラージュ」は、集中力が途切れてしまったような感じの仕上がりになってしまった。
既に終わっている子ども達用に「素焼き」の説明や参考作品を見せたりしていたから、興味がそちらに行ってしまったのかもしれない。
さっさと終わらせて、早く自分も「素焼き」に取り掛かりたくなってしまったかな?

どうしても、一斉に同じものを作らせているわけではないのに、たとえそうであったとしても、進み具合に個人差が出てきてしまう。
要領の良し悪しに加え、好き嫌い、得意不得意の要素が入ってくるとその差は歴然としてくる。
これは、他の教科においても共通であろう。
そこをどう動機付けし、仕上げまで意欲を持続させ、達成感を味あわせるか、そこが教師の腕の見せ所なのだが、相手は生身の子ども。マニュアルや予想通りには行かないものだ。

でも、長年人形劇をやってきて思ったのは、子ども達は、大人の予想や固定観念をはるかに超えたところで、すごく面白い、意外な、それでいて純粋な反応を示すと言うこと。
ウケを狙って計算されたシーンより、思いもかけないところで大うけしたりするのだ。
作り手、特に役者としては、その反応に刺激され、ますますのってきたり、テンポよくアドリブまで効かせて、リハーサル以上の出来になることがある。
子どもの力はすごいもので、たとえ、こちらがトチッてしまったり、失敗しても、責めることなく、見守ってくれるのだ。
音楽劇のときなんか子ども達が元気いっぱい歌声で応援してくれるのを聞くと、みんな感動して泣きながら演っていたっけ。

教室は、私のステージ。この2コマをどう充実させるか?
自分ひとりでがんばる独りよがりの空間ではなく、子ども達と一緒になって作る空間なのだ。
35人を全員満足させることは不可能だけど、雰囲気良く授業を展開させる工夫はいくらでも出来るはず。
楽しい、面白いだけでなく、大事な事はピシッとして聞ける、スパイスの効いたメリハリのある授業を心がけよう!

5・6時間目はもうひとつの小学校の6年生の描画指導。
どういうわけか、四つ切り画用紙の着彩なのに図工室を使用しないでやっていた。
机の大きさと同じサイズの画用紙を広げたら、水入れは机の下だし、スポンジや雑巾の置き場はないし、筆やパレットはうっかりすると画面の上に置いてしまっている!
一学期にあれほど口をすっぱくして、図解してまで教えてきた事が、何もいかされていない?!
県展を目指して、正規の時間外での授業だから図工室が使えないのかかも知れないが、これでは出品できる作品は期間内に仕上がらないのではないか?
でも、まあ、「講師」としては、与えられた環境と求められたニーズに対して、ベストを尽くすしかない。

夜、久々に大人の部のソーランの練習に参加した。
やっぱりソーランはいいなあ!スカッとする!
台風の進路が心配だが、予定通りにイベントが行われますように・・・!

台風一過、でも・・・。

2004-10-23 21:31:00 | 徒然なるままに
10月10日(日)

台風一過・・・のはずなのに、朝からどんより。夕方には小雨がぱらついた。
運動会が明日に延期になり、明日の千種まつりとだぶってしまったので、今年の町民運動会でのソーランはなくなってしまった。

今日は珍しく長男が風邪をこじらせ、喘息気味になってしまい、部活を休んだ。
小さい頃から、10月は風邪を引いたら咳が出て、台風や低気圧がやってくると喘息が出ると言うパターンだった。
三連休はしっかり体を休ませて、休み明けにはすっきりしてまたがんばればいいさ。

長女は、来年の春休みの「北総春の交流会」の打ち合わせで、弁当持ちで社回教育会館に出かけた。
行くまでは
「自分から進んでやりたいと言ってなった訳じゃないのに」
とかぶつぶつ言っていたのに、迎えに来てと電話をかけていたときからテンションも声のキーもあがっていた。
帰るなり、古い名簿を引っぱり出して電話をかけまくっていた。
もともと、楽しいことを企画するのが好きで得意だった長女。
いろんな地域の子どもネットの中学生~青年まで30人も集まって来年の「北総春の交流会」の企画を立てるのだ。
今日はその実行委員会の1回目の顔合わせだった。
帰ってからの様子だと、楽しかったのと、やる気が出てきたのだろう。このところ聞いたことのない張りのある声で電話をしていた。
このことが長いトンネルを抜け出すきっかけになってくれたら・・・と、またもや期待してしまう親バカです。

午後、千種神社境内で、千種太鼓と音合わせをした。
太鼓の音量が大きいので、なかなか踊りとあわせにくく、 子ども達はちょっと踊りにくそうだった。
本番は、太鼓に負けないぐらい大きな声で、元気で迫力のあるソーランを踊ってほしい。

夕方、台風で崩れたキウイの棚を整理した。
8年間育てた木を切り倒すのは忍びなかったが、
最後の実を2つ収穫して、 末娘に渡した。
「もう、キウイの実はとれないの?」
と半べソをかくので、
「根っこは残っているから、 また芽が生えてきたら、もっと丈夫な棚に上手につるを這わせていっぱい花が咲くようになったらまた実をつけるようになるよ。」
生木を裂くというのはこのことか、と言うぐらい、生きている木を切るのって、あんまり気持ちのいいものではないな・・・。
でも、人間も散髪が必要なように、木も剪定って大事なんだなぁ・・・。今度はもっと上手に育てよう。

初めての「ナン作り」

2004-10-23 21:30:00 | 徒然なるままに
10月12日(火)

秋休みの最終日。
二期制になって初めての秋休みは半分が台風か雨模様だった。

今日は子どもネットの地域企画で「ナンとカレー作り」。
幼児は別室で「フル-チェ」作り。
それぞれみんな初めての体験ながら、上手に美味しくできた。
「ナン」は粘土遊びの延長のようで、みんな楽しそうだった。
生活クラブの強力粉と言うこともあってか生地の中にヨーグルトが入っていたからか、焼き目も香ばしく美味しいナンだった。
カレーは、ナスをはじめ、いろんな野菜を入れたのだが、子ども達が涙をこらえながら刻んだたまねぎが大量に入ったからか、こくと甘味があってこれまた美味しくできた。
中には野菜嫌いの子もいただろうに、みんなおかわりをして、お鍋はすっからかんになった。
で、帰ってからがまた「ナンとカレー作り」。
案の定、「ナン作り」にはまってしまった末娘。
しけったイースト菌がなかなか発酵しなかったからか、結局夕飯はとんでもなく遅い時間になってしまったが、まあまあ美味しくできた。

千種まつり~見る人も踊る人も元気になるソーラン~

2004-10-23 21:29:00 | 徒然なるままに
10月11日(月)

今日は千種神社の千種まつり。
朝から怪しい空模様・・・。去年の悪夢ェよみがえる。
去年は、鎮守の森の音楽会のオープニングでソーランを踊った直後、バケツをひっくり返したような大雨になって、音楽会も、それ以降のもち投げ、ゲーム 、夜の部の歌謡ショーも全部お流れになってしまった。作ったばかりの豚汁も、ふたを開けるに開けられない状態で、本当に気の毒だった。
そのときから、
「来年も是非、踊ってくださいね!」
と、お願いされての今日の舞台。
去年同様、雨で順延になってしまったこてはし台の運動会の出演は中止になったものの、運動会に出場するメンバーの欠員は厳しい。

でも、何とか雨も降らずに、マダムのステージ飛び入り参加も含め、 3ステージをみんな楽しく思いっきり踊れたと思う。
去年、雨で実現できなかった千種太鼓との競演もバッチリ決まって、祭りの盛り上げに一役買えたと思う。
ただ、去年は中3の「南中ソーラン」の出番があったのに雨で流れ、今年は皆卒業してバラバラの高校に進学し、部活やバイトが忙しくて、練習も本番もなかなかそろわなくなってしまって、今回は見送りになってしまったのが残念でならない。

3ステージを力一杯踊って、最後の「南中ソーラン」を本殿に向かって踊ったときは、心臓が飛び出すかとも思うくらい限界に来ていたが、「奉納」というか、
「ソーラン隊を見守っていただきたい」という思いを込めて、気合いで踊った。
「見る人も踊る人も元気になるソーラン」
これからもみんな元気で踊り続けられ、踊りの輪も広がっていけますように・・・。
みんな、お疲れ様でした!

自称、「いっこく堂を越える」腹話術

2004-10-23 21:27:00 | 徒然なるままに
10月17日(日)

今日は久々に人形劇の公演を見に行った。
自称、「いっこく堂を越える」と言うよろず劇場とんがらし」の成田良二氏の人形遣いを堪能させてもらった。
オープンスペースで、なおかつ人形遣いが出ずっぱりで、音響から照明まですべて一人でやるという腹話術。ちょっと変わった筋立ての「赤ずきんちゃん」に
会場は大うけだった。
もう1本の「えんえんえ~ん」も、単純なストーリーと軍手人形と言うシンプルな人形劇だったが、小さい子達は喰い入るように見入っていて、すごくいい反応、表情だった。
公演終了後、舞台裏や人形の仕掛けなどを見せてもらっている内に、眠っていた私の人形劇作りの血が騒ぎ出した。
今はまだ、人形劇には参加出来ないが、図工の時間にペープサートでも作ってみようか?

図工なんかきら~い!

2004-10-19 23:39:00 | 徒然なるままに
10月18日(月)

ついに聞いてしまった、この言葉・・・。
6年生の描画の指導の時である。
県展に出品するという子を居残りさせての指導の時間だった。
他にも、時間内に仕上がらず、自主的に残って仕上げていた子も大勢いた。
彼女は、用具を忘れてきて時間内に仕上げることが出来ず、家に持ち帰ったところで、習い事があるなど、家で仕上げる時間がないというので、残ってもらったのだ。
下描きの時から風邪で休んだりとみんなより遅れてはいたが、出品の意欲を見せてくれたので何とか仕上げてほしかった。
私の要求が難しかったのか、彼女自身焦っていたのか、思い通りに描けず、苛立ってはいた。
他の子も、時間に追われて焦ってか、最後のところで失敗したり投げやりになったり。
みんなに、失敗しても、こうすれば復元できて、ちゃんと修正もきくんだと言うところを実践して見せたり、行き詰まって気ばかり焦っている子にアドバイスしたり、通常の授業よりすごく気疲れする。
でも、授業中は周りの子に迷惑行為ばかりしている子も残って、黙々と仕上げていた。
用事があって残れなかった子ども達の中にも、都合がつけば残りたかった子もいたのだろう。
何とかみんな、仕上がったり、目処がついたりして、4:00には帰っていった。
でも、描きながら、
「だから、図工って嫌いなのよ~」
と言っていた女の子。
1学期の粘土も針金細工も喜んでやっていたはず。やはり、水彩画の着彩はいつの時代も、どんな子でも永遠の課題なのだ。
最後まで残っていた子達に、
「今度はどんな図工をやっみたい?」
と聞いたら、
「工作!おもしろいやつ!」
と言う答えだった。

高学年にもなると、自分でイメージする物と、自分の力量とのギャップから苦手意識を持つ子がでてきて、楽しさがなくなってくる。
また、周りの上手な子との比較から、自己嫌悪に陥ったり、経験の少なさから発想が乏しくなったり、お手本がないと駄目だったり、人まねになってしまう。
まして、失敗したら簡単にあきらめたり、投げやりになってしまって、最後まで仕上げようと言う意欲をなくしてしまう。
これは単純に「時間が足りない」とか、「課題が難しすぎる」からではないと思う。

私は、小学生、出来れば幼稚園、低学年の内にたくさんの造形遊びや色遊びをさせてあげたいと思う。
色を混ぜることでの効果や失敗を、遊びを通しての経験を積み重ねて、「失敗は成功の元」にするしたたかさやたくましさ、最後に決めるところでの集中力、最後まであきらめない根気や、努力する姿勢を身につけさせてあげたい。
そういう下地があってこそ、図工から美術になってからも興味や意欲は持続し、広がり、生涯において美術を愛好する心と姿勢が育っていくのだと思う。

こども達の感性は、とうてい大人の及ぶ物ではない。ちょっとしたヒントや、手助けで、一足飛びに高みに飛んでいける勢いがある。
テクニックはイメージを広げるための起爆剤であって、「~でなければいけない」という「型」だったり、「こう描けばコンクールに入選する」という「傾向と対策」であってはいけないのではないか・・・。
ただ、現実問題として、コンクール出品や入選を目指しての「描画法」というのが存在し、教師も生徒も時間をかけしんどい思いをしながら作品に取り組んでいる現状がある。
長い目で見れば、それだけの時間をかけて1枚の絵に取りかかれる時間は、中学校ではあり得ないので、そういう意味では貴重な体験かもしれない。
でも、高学年の図工の重要なポイントは、自分のイメージを広げるための手法の経験と、道具の知識、基礎的な技術の獲得にあると思う。
水彩絵の具や粘土べらからカッター、彫刻刀、鋸などの刃物の取り扱いに至るまで、作品に取りかかる前から仕上げるまでの基本ができていないと、それだけで美術離れになっていってしまうのだと思う。
新学習指導要領では「鑑賞」の重要視が取り上げられているが、その作品の美しさやおもしろさを感じるだけでなく、どうやって描かれ、作られたのかと言うことについての知識や興味も持てれば、より鑑賞能力や美術嗜好が高まると思う。

来週、そのクラスでマーブリングをやることになった。
担任の先生が、
「楽しいことをやらせてください」
とおっしゃった。
「図工きら~い!」と言った女の子はどんな反応を示してくれるか、楽しみにしていよう。