10月22日(金)
午前中は、3年生のマーブリング、5年生の年賀状の下絵の指導。
午後からは、子ども県展の二次審査のお手伝い。
市内の小中学校から集まった絵の中から、入選と佳作を選出し、入選作品は、次に県の中央審査にいくのだ。
かつては、すべて終わったら翌朝になっていたと言うほど応募総数が多かったそうだ。
最近は、出品数が激減し、レベルも低迷がちだという。
少子化でクラス数が減り、授業時数が減り、5日制になって、行事に追われて仕上げる時間どころか、授業そのものの時間が取れないと言う現状がある。
そういう中で、コンクールに出品する作品を描き上げるためには、子ども達はもちろん、担任の先生方も、相当苦労しているに違いない。
かといって描きたくもない(かどうかは知らないが)絵を強要されたり、締め切り直前は他の教科をつぶしてまで絵を仕上げる学校もあるそうだ。
学校全体、クラス全体で、県展を目指して図工や美術に取り組むというのは素晴らしいことだと思う。
そういう意味では学校奨励賞などは意味があるものだとは思うが、一方で、その加熱ぶりが「図工・美術嫌い」を生み出ているのは否めないと思う。
「こう描けば コンクールに入賞する」と言うノウハウと、「こんな授業が子ども達を図工・美術好きにする」と言う指導法が、イコールであれば何の問題もない。
大切なのは、図工や美術を通して子どもの心を豊かにしてあげることであって、描画力やテクニックの向上は、その後のことだと思う。
とても上手な絵がたくさんあった。どれも力作で、どれだけの時間を費やしたのだろうと、その根気と努力には頭が下がる。
でも、構図も描き方も同じような絵を何十枚も見せられると、なんだか「制服」を着て、きちんと整列している子ども達を見ているような錯覚に陥ってくる。
良く見るとそれぞれ細かなところで工夫やアイディアを見つけることはできるが、「個性」は全く感じられない。
妙なことには、そういう力作群の隣に、限られた時数の中で学年相応ののびのび描いてあるような絵や、仕上がりとしてはあっさりした絵があると、「見劣り」してしまうものらしい。
「時間がなかったのか」「途中のような絵」「描き込みが足りない」と言うことらしい。
実際、高学年になるほど出品数は減り、棄権するクラスや学校が続出だった。
生徒は
「どうせ出しても、自分の絵は選ばれないだろう」
と最初からあきらめ、
先生は
「仕上げるまでの時間が取れないし、指導が大変」
と消極的になってしまうらしい。
審査後の反省会で、
「県展が終わったら、『もう図工なんてやりたくない』と言う子を出さないよう、『下手でもいいんだ』『図工の時間が待ちどうしい』と言う気持ちで取り組めるような指導が大事。」
という感想が出ていたが、いろいろな意味で私は疑問ばかり持つ審査だった。
でも、私自身にとっては、良くも悪くも大変勉強にも参考にもなる良い機会だった。
この経験を授業に生かし、子ども達に還元できるよう、教材研究に励もうと思う。
審査が終わったのは5時半を回り、帰りはもう真っ暗だった。
朝から審査に参加されていた先生方、お疲れ様でした。
いろいろ考え事をしながら運転していたせいか、高速のインターに入りそびれ、さまようこと一時間。まるで狐につままれたようだった。
やっと明日の公民館まつりのリハーサル会場についたのは、子ども達が解散した後だった。
子どもたち、スタッフのみんな、ごめんなさい!!
明日はソーランで思いっきり踊るぞ!
午前中は、3年生のマーブリング、5年生の年賀状の下絵の指導。
午後からは、子ども県展の二次審査のお手伝い。
市内の小中学校から集まった絵の中から、入選と佳作を選出し、入選作品は、次に県の中央審査にいくのだ。
かつては、すべて終わったら翌朝になっていたと言うほど応募総数が多かったそうだ。
最近は、出品数が激減し、レベルも低迷がちだという。
少子化でクラス数が減り、授業時数が減り、5日制になって、行事に追われて仕上げる時間どころか、授業そのものの時間が取れないと言う現状がある。
そういう中で、コンクールに出品する作品を描き上げるためには、子ども達はもちろん、担任の先生方も、相当苦労しているに違いない。
かといって描きたくもない(かどうかは知らないが)絵を強要されたり、締め切り直前は他の教科をつぶしてまで絵を仕上げる学校もあるそうだ。
学校全体、クラス全体で、県展を目指して図工や美術に取り組むというのは素晴らしいことだと思う。
そういう意味では学校奨励賞などは意味があるものだとは思うが、一方で、その加熱ぶりが「図工・美術嫌い」を生み出ているのは否めないと思う。
「こう描けば コンクールに入賞する」と言うノウハウと、「こんな授業が子ども達を図工・美術好きにする」と言う指導法が、イコールであれば何の問題もない。
大切なのは、図工や美術を通して子どもの心を豊かにしてあげることであって、描画力やテクニックの向上は、その後のことだと思う。
とても上手な絵がたくさんあった。どれも力作で、どれだけの時間を費やしたのだろうと、その根気と努力には頭が下がる。
でも、構図も描き方も同じような絵を何十枚も見せられると、なんだか「制服」を着て、きちんと整列している子ども達を見ているような錯覚に陥ってくる。
良く見るとそれぞれ細かなところで工夫やアイディアを見つけることはできるが、「個性」は全く感じられない。
妙なことには、そういう力作群の隣に、限られた時数の中で学年相応ののびのび描いてあるような絵や、仕上がりとしてはあっさりした絵があると、「見劣り」してしまうものらしい。
「時間がなかったのか」「途中のような絵」「描き込みが足りない」と言うことらしい。
実際、高学年になるほど出品数は減り、棄権するクラスや学校が続出だった。
生徒は
「どうせ出しても、自分の絵は選ばれないだろう」
と最初からあきらめ、
先生は
「仕上げるまでの時間が取れないし、指導が大変」
と消極的になってしまうらしい。
審査後の反省会で、
「県展が終わったら、『もう図工なんてやりたくない』と言う子を出さないよう、『下手でもいいんだ』『図工の時間が待ちどうしい』と言う気持ちで取り組めるような指導が大事。」
という感想が出ていたが、いろいろな意味で私は疑問ばかり持つ審査だった。
でも、私自身にとっては、良くも悪くも大変勉強にも参考にもなる良い機会だった。
この経験を授業に生かし、子ども達に還元できるよう、教材研究に励もうと思う。
審査が終わったのは5時半を回り、帰りはもう真っ暗だった。
朝から審査に参加されていた先生方、お疲れ様でした。
いろいろ考え事をしながら運転していたせいか、高速のインターに入りそびれ、さまようこと一時間。まるで狐につままれたようだった。
やっと明日の公民館まつりのリハーサル会場についたのは、子ども達が解散した後だった。
子どもたち、スタッフのみんな、ごめんなさい!!
明日はソーランで思いっきり踊るぞ!