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交流

そうすぐ卒業、そして、中学生に・・・。

2003-02-28 06:32:00 | 徒然なるままに
2月27日(木)

2月も明日で終わり。
今日、長女の中学校の制服が届いた。
ああ、いよいよ小学校を卒業するんだなあという実感がわいてきた。

6年前、家を新築し、生まれ育った、団地から引っ越してくる時、大好きな幼稚園を卒園するのも、お友達と別れるのも嫌がって、今頃は毎日泣いてばかりいた長女だった。
「新しいお家も、お庭も、自分のお部屋もいらない。団地のお家から、皆と同じ小学校に通いたい」
そう言って、泣いて困らせた彼女が、たくさんの友達に囲まれ、学校行事では率先して楽しい企画や運営に彼女の個性を生かして活躍してくれた。
去年の夏休み前には、ついに私の背を越した。

いろんな事があったけど、過ぎてしまえまば、それもみんな思い出。
彼女が何か問題(病気も含めて)を起こしてくれるたび、その都度、こちらも親になるための勉強、修行をさせてもらってきたのだと思う。
そういう時、子育てを通して出来たお友達のお母さんたちにどれだけ支え、励まされてきたことか・・・・。本当にありがたいと思う。

同じ年頃の子どもをもち、お互いに同じような悩みや、問題を抱えていながら、『他人の子ももわが子』と思って接してくれ、叱ってくれたり、いいところを褒めてくれたり本当に助かっている。

子どもも、親には言えない事でも、よそのおばちゃんには話せたり、親に褒められるよりうれしかったり、親の意見よりちゃんと聞いたり・・・。

これは、逆の時もあって、中2の息子は、学校のプリントはなかなか見せない。参観日など、親が学校に行くようなものは、隠したりして、後で連絡網が回ってきてはじめて知ったりする始末。
以前『総合授業』の時間で、『ソーラン』を踊る事になった時、
メンバーの男子が、「おばちゃん、俺達の出番は、○時頃の○番だから、見に来れたら見にいてね」と声をかけてくれた。
私は、息子からは何も知らされておらず、逆に、声をかけてくれた男子の親御さんは、自分の息子が何を発表するかも知らされていなかった。

中学生になると、テレが出てきて、自意識過剰になるのか、友達に親を見られるのが恥ずかしいのか・・・。
幼稚園の時は、保育参観でも、発表会でも、親を探して、確認して、手を振ってくれていたのに・・・と寂しくなってしまう。

今年の卒業式は、フロアーでの対面式だそうだ。親子互いに顔を見合わせての卒業式は初めてだ。お互いに泣き顔を見たら、もっと泣けちゃうかも・・・。
3月18日までの残り少ない小学校生活を、楽しく、元気に過ごしてほしいと願うばかりだ。

どっこいしょ、どっこいしょー、ソーラン、ソーラン!

2003-02-23 09:55:00 | 徒然なるままに
2月22日(土)

今日は、午前中、小学校の体育館でソーランの練習。
久しぶりに参加してくれた子もいて、まずは、基本と、振り付けの変更の練習。
各グループ事の発表では、低学年の女子チームが、自分達で工夫した、『モー娘。』ばりの態形移動を披露してくれた。声も一番出ていた。

それに刺激された男の子チーム。いつものリーダーが、少年野球の試合で来られない分、頑張ったねー!特に幼稚園児!お母さんが泣いて喜んで、踊り終えた後抱きしめていたよ。

そして、高学年女子チーム。綺麗にそろっているばかりか、気合が入っていたね~!午後からの本番を意識してか、5・6年生の複合チームなのに、チームワークバッりだった。

中学生チームは、主力の2人がサッカーの部活で不参加だったけれど、テレテレしながらも、午後からの本番のための振り付け変更をちゃんと打ち合わせしていた。学校が違っていても、ソーランの絆って強いなあ!

お母さんチームは練習の回を重ねるごとに、本番の場数を踏むごとに気合が入って上手になってきた。新人さんを教えられるくらいの人がもっと増えてくれると、4月から平日の練習の指導が出来なくなる私としては大変助かるんだけど・・・。
でも、皆が、いろいろな事の役割分担をかって出てくれて、本当に助かっています。ありがとう!

午後からはホテルニューオータニ幕張で行われた地域のサッカークラブの創立25周年記念祝賀会でのアトラクションに出演。

80人ぐらいの大人ばかりの出席者の中には、それぞれの学校の先生方も、友達の父兄も、知り合いの人たちもいた。
そういう人たちの前で、あの、恥ずかしがり屋の年頃の子ども達(小5~中2)が、堂々と力いっぱい踊ってくれた。
一回目は緊張からか声があまり出ていなかったので、挨拶のあと、2回目は私も入って、会場の手拍子、掛け声にも応援されて、すごく盛り上がった。
踊り終わって、拍手喝采の中、出席者の人たちに「良かったよー!」「頑張れよー」と声をかけられ、会長さんからも一人一人に「ありがとう」と声をかけて頂き、痛いほどの固い握手をされ、子ども達は、照れながらも、達成感と満足感でいっぱいそうだった。

メンバーの中には、2学期の始業式以降ずっと学校に行けないでいる子もいたのだが、奇しくも担任の先生の前で、元気いっぱい踊る姿を披露する事ができた。
これをきっかけにして、彼が勇気を出して、一歩前に踏み出せる事を心から願う。

3月23日(日)には、幕張メッセで行われるちばコープ主催の『きゃっせ物産展』で、千葉県中(かな?)のソーランが集まって踊る。

4月5日には、千葉県立八千代高校で行われる『桜祭り』に出演する。

今年は、1,2,3,4月とそれぞれ大きな本番が入って、練習に気合も実も入って、参加者も毎回増えている。
5月以降は去年以上出演依頼も新入会も増えそうだ。
春からは、私が仕事で手が回らなくなるなる分、役割分担を明確にして会の運営がスムーズにいくようにしておかなくちゃ。

壁紙をリフレッシュしてみました!

2003-02-20 02:44:00 | 徒然なるままに
本当は、メインのページだけ、写真の画像を大きく貼り付けたくて、試行錯誤してみたのですが、結局上手くいかず、こういう画面になりました。

あちこち検索してみたりして、何度やっても全部の画面があの写真の背景になってしまうのです。
書き込みのページだと、文字が読みにくくなってしまうのです。
メインのページと、他のページの背景画像を別にする方法か、もしくは、メインの画像をもう少し大きくする方法を、誰か小学生程度の子でも分るように教えてくださ~い!

長女の誕生日

2003-02-19 09:24:00 | 徒然なるままに
今日は、長女の誕生日。12歳になった。

今朝の『まんてん』を見ている時に(我が家では、am7:30~の『まんてん』を見てから登校する)、産婦人科で赤ちゃんの心音を聞くシーンがあった。
そこで、末娘が「ママもつわりや陣痛大変だったの?その時、パパはどうしたの?」と聞いてきたので、3人それぞれの出産の時の事を話して聞かせた。
さすがに女の子達は、興味津々。
今日誕生日の長女は、生まれた時「女の子ですよ」と言われ、夫婦手を取り合って、「やった!やった!やった!」と何度も連呼したのが、退院時に頂いた『産声テープ』に録音されている事を話したら、はにかみながらも嬉しそうだった。
長男も「そんな誕生秘話はいいよ」なんて言いながら、自分の時の事を話されてもまんざらでもない様子。
我が家は、3人とも全員立ち会い分娩だったので、出産は、本当に夫婦の共同作業(?)だった。

去年の夏休み前、ついに私の背を抜いた長女。
4月からは中学生。親友と別の中学校に入学する寂しさと、兄のいる中学校生活への期待と不安・・・。
彼女の12歳が、嬉しい事や、楽しいことが一杯の幸せな1年間になりますように・・・。



声を合わせて・・・コーラスっていいなあ♪

2003-02-17 06:49:00 | 徒然なるままに
2月15日(土)

今日、久しぶりにPTAコーラスの練習に出た。
私のパートは、アルトなんだけど、地声がでかくて、私1人に対して、ソプラノは5人必要といわれている。
それで、気をつけないと私一人声を張り上げてしまうので、いつも『米良美一』(『もののけ姫』の主題歌を歌っているカウンター・テナー)を意識して歌ってくださいといわれてしまう。
私の声質とキーが、ちょうど米良さんと似ているので、彼の歌い方を意識して、ちょっと声を飲み込んだような歌い方で、やっと、周りと釣り合いが取れるらしい。

今日習ってきた曲は、隣の高校の音楽の先生のオリジナル曲だった。
卒業式の日に歌うような内容の曲で、歌いながら、もうすぐ小学校を卒業する娘の事や自分の時の事を思い出して、ちょっとグッと来てしまった。

その後、『おやこ劇場』と、財団振興会の実行委員会及び交流会に出て、市民コーラスの人と一緒に合唱した。
財団の人も、市民コーラスの人も、ほとんどの人が、私より一回り以上年上の人ばかりだったけど、訓練した張りのある声は、とても若々しく、男性の声が入ると、こんなにも豊かで、暖かくて厚みのある歌声になるんだと思った。
『上を向いて歩こう』『見上げてごらん』、『青春時代』『サライ』を歌った。
カラオケ的にノリノリでみんなで一緒に歌うのも、楽しくて発散できていいが、みんなで相手の声を聞きながら、ハモって歌うのも、心が広がるというか、みんなの気持ちが一つになるというか不思議な感動を覚えた。
そこには、世代の違いなんて関係なくて、いい歌は、古かろうが、新しかろうが、全く関係ありませんね。

交流会の中で、リクエストされて、飛び入りで『ソーラン』を踊ってきた。
観客の前で、練習でもないのに、一人長半天も無し(他の人は有り)に踊るのは恥ずかしかったのですが、イントロが聞こえてくると、そんなのなんか吹っ飛んじゃうんですよね~!

思いもかけず、歌って踊って、楽しく過ごした上に、帰り際には、今度、『ぞうれっしゃがやってくる』に一緒に出演しないかというお誘いまで受けて、とても嬉しかった。
「もし、春からの職場が近くに決まったら、練習だけでも参加させて頂きたいたい」と言って、連絡先を交換して別れた。

二次会にも誘われたけど、泣く泣くお断りした。
私は、その後(19:00~)、今度は、息子の通う中学校でそれぞれ4年間ずつPTA会長を務め、現在地域の保護司や補導員を務めていらっしゃる大先輩方をお迎えしての茶話会の企画責任者だったから。(これについては、また今晩書き込もう)

『おやこ劇場』と『財団』共催のプロジェクト、心を合わせて頑張って成功させたい!と思った。


お義父さんの命日

2003-02-14 07:06:00 | 徒然なるままに
今日は、お義父さんの命日。
11年前に肺ガンで亡くなった。64歳だった。

私にとってのお義父さんとの思い出は、結婚してからのわずかなものしかないが、どれも良い思い出と、お父さんの心温まるエピソードばかりだ。
  
子どもたちとの思い出は、長男2歳。長女11ヶ月までで、次女にはない。まして、後から生まれた他の5人の孫たちとは全くない。

我が家の孫達にしても、あまり小さな時だったので、本人達は全く記憶に残っていない。

写真や、ビデオでしか会えないおじいちゃん。
でも、とても孫思いの面白い、優しいおじいちゃんだった。

帰省するたび、必ずお墓参りに行く。
子どもたちは、それを当然のことと思っている。
ちゃんとお掃除をし、花を活け、お線香をあげて、祈る。
我が家には仏壇はないが、写真を飾っている。
私たちの結婚式の時に挨拶をして頂いた時の写真だ。
お盆と命日には、毎年お花を供え、好物だったお酒と甘納豆をお供えする。
そして、子どもたちにおじいちゃんとの思い出話をしてあげる・・・。

『人の死』とは二度あると思う。
一度目は、肉体の死。
二度目は、忘却の死。

私は、いつまでもお義父さんとの思い出は忘れない。
私の中ではお父さんは生きていて、いつも私たちを見守っていて下さる。
子どもや孫達に、ずっと語り継いでいってもらえるよう、2月14日という日を、大切にすごしていこうと思う。

『満天島歌』に感動!

2003-02-14 00:26:00 | 徒然なるままに
2月12日(水)
 
毎日、NHK朝の連続テレビ小説『まんてん』を欠かさず見ている。
今日の話の中に、漫画家を目指す黒田ツバメちゃんと、有名なプロの漫画家の高品わたる先生との感動的な出会いのシーンがあった。
その中で歌われた『満天島歌』に涙が出るほど感動した。
一度しか聞かなかったので、歌詞を知りたくて、『まんてん』のHPや、高品わたる先生役の小室等さんのHPを探したら、歌詞の掲載はなかったけど、小室さんが『千年生きてきた屋久杉の気持ちになって歌った』とコメントしていた。
本当に、心に染み入る歌だと思う。
ドラマの中では、この歌を聞いたまんてんの兄英雄が、歌手になることを決意するのだが・・・。

私もこの歌を覚えて、歌ってみたいと思った。

コロンビア号の乗組員の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます

2003-02-13 12:00:00 | 徒然なるままに
2月3日(月)

また、悲劇が繰り返されてしまった。

1986年1月。あらゆる希望と任務と尊い命をのせての打ち上げ直後に、皆の見守る中、紺碧の空に、オレンジ色の炎と、真っ白な煙の放物線を描きながら、悲しみと絶望に包まれた地上に落ちていった、チャレンジャー号・・・

その地上には、自分達の憧れや未来の夢を託した先生を見送った教え子達や、無事の帰還を信じて見守っていた家族や関係者達がいた。

その瞬間の衝撃と悲しみは、リアルタイムで中継を見ていた全世界を覆った。

十分な訓練と、最善の準備、そして、細心の整備と注意のもとに、その打ち上げの瞬間はあったはずである。
でも、悲劇は起きてしまった。

その後、打ち上げは凍結され、その原因究明と、同じ失敗を繰り返さないための最先端の技術開発のために、時間も、お金もかけてきたはずである。
でも、悲劇は繰り返されてしまった。

その原因は、いずれ、広範囲に散らばった『夢と努力の結晶』の『物言わぬ残骸たち』が、教えてくれるのだろう。
そのメッセージは、全ての人間が、真摯に受け止めなければならない。
決して、機体の一部をインターネットで売り買いするなど、非人間的な行為に走ってはならない!

事故原因の一つに、機体の老朽化があったと聞く。
スペースシャトル一機を打ち上げるのに要する、時間、労力、費用は、莫大なものがあるだろう。
科学の進歩のためには、必要不可欠なことなのだろう。
でも、その時のちょっとした判断ミスが原因で、その莫大な努力と、成果と、何よりもかけがえのない尊い命までも、一瞬にして無に帰すような犠牲を払うのは許されないことだと思う。
映像は一時停止も、何度でも巻き戻す事も出来る。
でも時間は止められない。巻き戻しなんて出来ない。

古い機体を使ってでも打ち上げる必要性は、私などが考えも及ばない様々な背景はあるのだろう。
でも、そこに、純粋な『科学の進歩』ばかりではない、国家間の『脅威』のためという(私に言わせれば)不純な動機があるならば、そのために支払われた犠牲はあまりにも痛々しい。

コロンビア号の乗組員の方々は、ほとんどが40歳代。私と同じ『アポロ世代』である。
あの『月面着陸』を見て、どんなに宇宙に憧れ、未来を夢見、努力してきただろう。
エンデバー号での飛行経験を持つベテランもいての、順調な飛行と、任務遂行。
たくさんの『成果』をお土産に、まだ小さい子どももいる愛する家族や、苦楽を共にしてきた同僚たちのもとへ帰り着く、ほんの後15分前の悲劇。
彼らの無念さと、目の前で起きた事をいまだ信じられずにいる残された人たちの衝撃と悲しみは、計り知れない。

奇しくもNHKの朝の連続テレビ小説『まんてん』の中の、宇宙飛行士になる面接試験のシーンで、「あなたは宇宙で死ねますか」という質問を受けるくだりがあった。
実際にこういう悲劇が繰り返されてしまうと、また、科学の進歩は、遅れてしまうのかもしれない。
でも、このマイナスは、単なる判断ミスではなく、プラスに転化するために与えられた『試練』と受け止めければならないと思う。
『コンピューターは万能ではない。』ということ、このご時世、予算がないのなら、『脅威』のためではなく、地球規模での人類の歴史のために、国境を超え、人種も宗教も、主義も超えての、国際的な宇宙開発プロジェクトの構想と実現が不可欠だと思う。

宇宙飛行士とその家族は、未知の危険と、それに伴う悲劇の可能性は覚悟の上だったと思う。
その志と功績は、この悲しみを乗り越え、後進に受け継がれていくことだろう。
でも、その悲しみは永遠に癒される事はない。亡くなった人は、戻ってはこないのだ。
だから、悲劇は繰り返してはならないのだ。
でも、悲劇を恐れ、立ち止まってはいられない。そのためにも、早急で綿密な原因究明を望んで止まない。

中学時代夢中になって読んだSF作家星新一の本の中に、『プレゼント』というショートショートがあった。
国家間闘争が絶えない地球を心配して、心優しい宇宙人が送ってくれた、仲直りするのに有効な『プレゼント』とは・・・。

高校時代に心酔したSF作家レイブラッドベリの『ウは宇宙船のウ』の中に、宇宙飛行士の家族の話があったっけ・・・。

久しぶりに頁をめくってみることにしよう・・・。

コロンビア号の乗組員の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げ、ご遺族の方に心よりお見舞い申し上げます。

ごめんなさい。BSSに書き込みが出来なくなっています

2003-02-03 17:28:00 | 徒然なるままに
mariさんへ

ごめんなさい。私のgooのHP、ちょっと調子が悪くて、Diaryには書き込めるんだけど、BBSには書き込めないみたいなので、今、調べてもらっているところです。さっき私がmariさんに送ったメールも、遅れませんでした。『前に戻る』で探しても、送ったはずのメールが何処にもなくて、消えちゃったみたいなのです。これもまた送れなかったらどうしましょう。とりあえず、ここまでの分、送ってみます。送れなかったら、コピーをとっておくので、GOOのDiaryとfruitのBBSの両方に貼っておくので読んでください。

他の方でも、書き込めなくて困っていらっしゃる方がありましたら、toliton717@Fruitの方にアクセスしてみてください。