3月8日(土)
今日、横内謙介率いる劇団扉座による『無邪鬼』を見た。
子どもネットの、低学年・高学年合同鑑賞会+一般にも呼びかけての大きな公演になると言う事で、1年がかりでプロジェクトを進めてきた。
その甲斐あってか、たくさんの人に、見ごたえのあるいい舞台を見ていただくことが出来たと思う。
私はチラシのイラストを担当。
無邪気のストーリーを1カットで見る人に興味を持たせ、見る気にさせるのはチョッと難しかったけど、他の地域の親子劇場からも使用したいとお声をかけてもらった。(喜!)
芝居はさすが扉座という感じで、どんどん舞台に引き込まれていく感じだった。
舞台。ペンペン草生える、トタン板で囲われた更地。でかい土管が横向に積まれている。
お話は、尻尾切りの成人儀式を嫌がり、逃げ回る無邪気な少年のような青年、もののけの『無邪鬼』が主人公。
彼の思いのまま、命じるままの「魔法」に巻き込まれる人たちはてんやわやに。
魔法を盲信、すべてが手に入るけど孤独な子供と、その成長を見守る、共に癒やし信じあう大切を知る大人の物語。
作者のメッセージ(2000年公演パンッフレットより)
この世紀末、優しいママの魔法に守り続けられて、とうとう大人になり損ね、いびつな悪魔に育った坊や達が、あちこちで人を傷つけたり殺したりしている。
彼らこそ、尻尾を切ってもらわずに、そのまま大きくなってしまった無邪鬼のなれの果てだ。
人は子ども時代の魔法とはいつかさよならしなくてはならない。そしてこの世界の秘密を知らなくてはならない。自分がそれまで自由に使
っていた『魔法』というものの正体を。
誰かの魔法に守られていた幼い自分と決別して、「今度は誰かの魔法になろう」と決意すること。そのために力を尽くすこと。
それが大人になると言うことだ。
このメッセージが、今日見た子ども達に、即、そのまま届いたとは思えない。
でも、きっと、小さな『種』として、心の片隅に、息づいていくだろう。いろいろな成長過程の中で、少しずつ芽を出し、根を張っていくだろうということを信じたい。
私自身、年期の入った太い尻尾をつけたまま、ここまで生きてきてしまった感がある。
私も、『誰かの魔法になる』ために勇気を出して、尻尾を断ち切らなければ。
今日、横内謙介率いる劇団扉座による『無邪鬼』を見た。
子どもネットの、低学年・高学年合同鑑賞会+一般にも呼びかけての大きな公演になると言う事で、1年がかりでプロジェクトを進めてきた。
その甲斐あってか、たくさんの人に、見ごたえのあるいい舞台を見ていただくことが出来たと思う。
私はチラシのイラストを担当。
無邪気のストーリーを1カットで見る人に興味を持たせ、見る気にさせるのはチョッと難しかったけど、他の地域の親子劇場からも使用したいとお声をかけてもらった。(喜!)
芝居はさすが扉座という感じで、どんどん舞台に引き込まれていく感じだった。
舞台。ペンペン草生える、トタン板で囲われた更地。でかい土管が横向に積まれている。
お話は、尻尾切りの成人儀式を嫌がり、逃げ回る無邪気な少年のような青年、もののけの『無邪鬼』が主人公。
彼の思いのまま、命じるままの「魔法」に巻き込まれる人たちはてんやわやに。
魔法を盲信、すべてが手に入るけど孤独な子供と、その成長を見守る、共に癒やし信じあう大切を知る大人の物語。
作者のメッセージ(2000年公演パンッフレットより)
この世紀末、優しいママの魔法に守り続けられて、とうとう大人になり損ね、いびつな悪魔に育った坊や達が、あちこちで人を傷つけたり殺したりしている。
彼らこそ、尻尾を切ってもらわずに、そのまま大きくなってしまった無邪鬼のなれの果てだ。
人は子ども時代の魔法とはいつかさよならしなくてはならない。そしてこの世界の秘密を知らなくてはならない。自分がそれまで自由に使
っていた『魔法』というものの正体を。
誰かの魔法に守られていた幼い自分と決別して、「今度は誰かの魔法になろう」と決意すること。そのために力を尽くすこと。
それが大人になると言うことだ。
このメッセージが、今日見た子ども達に、即、そのまま届いたとは思えない。
でも、きっと、小さな『種』として、心の片隅に、息づいていくだろう。いろいろな成長過程の中で、少しずつ芽を出し、根を張っていくだろうということを信じたい。
私自身、年期の入った太い尻尾をつけたまま、ここまで生きてきてしまった感がある。
私も、『誰かの魔法になる』ために勇気を出して、尻尾を断ち切らなければ。