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交流

魔法の秘密を知るということは・・・

2003-03-31 09:01:00 | 徒然なるままに
3月8日(土)

 今日、横内謙介率いる劇団扉座による『無邪鬼』を見た。
 子どもネットの、低学年・高学年合同鑑賞会+一般にも呼びかけての大きな公演になると言う事で、1年がかりでプロジェクトを進めてきた。
 その甲斐あってか、たくさんの人に、見ごたえのあるいい舞台を見ていただくことが出来たと思う。
 私はチラシのイラストを担当。
無邪気のストーリーを1カットで見る人に興味を持たせ、見る気にさせるのはチョッと難しかったけど、他の地域の親子劇場からも使用したいとお声をかけてもらった。(喜!)

 芝居はさすが扉座という感じで、どんどん舞台に引き込まれていく感じだった。

 舞台。ペンペン草生える、トタン板で囲われた更地。でかい土管が横向に積まれている。
 お話は、尻尾切りの成人儀式を嫌がり、逃げ回る無邪気な少年のような青年、もののけの『無邪鬼』が主人公。
 彼の思いのまま、命じるままの「魔法」に巻き込まれる人たちはてんやわやに。
 魔法を盲信、すべてが手に入るけど孤独な子供と、その成長を見守る、共に癒やし信じあう大切を知る大人の物語。

作者のメッセージ(2000年公演パンッフレットより)
 この世紀末、優しいママの魔法に守り続けられて、とうとう大人になり損ね、いびつな悪魔に育った坊や達が、あちこちで人を傷つけたり殺したりしている。
 彼らこそ、尻尾を切ってもらわずに、そのまま大きくなってしまった無邪鬼のなれの果てだ。
 人は子ども時代の魔法とはいつかさよならしなくてはならない。そしてこの世界の秘密を知らなくてはならない。自分がそれまで自由に使
っていた『魔法』というものの正体を。
 誰かの魔法に守られていた幼い自分と決別して、「今度は誰かの魔法になろう」と決意すること。そのために力を尽くすこと。
 それが大人になると言うことだ。

 このメッセージが、今日見た子ども達に、即、そのまま届いたとは思えない。
 でも、きっと、小さな『種』として、心の片隅に、息づいていくだろう。いろいろな成長過程の中で、少しずつ芽を出し、根を張っていくだろうということを信じたい。

 私自身、年期の入った太い尻尾をつけたまま、ここまで生きてきてしまった感がある。
私も、『誰かの魔法になる』ために勇気を出して、尻尾を断ち切らなければ。

不思議な帽子の魔法

2003-03-26 13:02:00 | 徒然なるままに
3月7日(金)

3月公演反省会。
午前中は子どもネットのことも部会に出席し、昼から不思議な帽子の反省会に出席。

恒例の、一人一人の反省・感想を順に話した 後、OGの方達や、園の感想も披露された。
どのコメントもとても褒めてあり、全ては結果オーライ!皆の細かい自己反省なんて気にならないくらい。失敗は、次回に生かせばいいんだよね。
 園長先生の感想の中で、「アンコールの時のトレロカモミロの牛との掛け合いのしぐさが面白かった」といわれて、とても嬉しかった。一瞬芸のような出番だったのに、あんな細かなところまで、よく見ていて下さっていたなんて・・・。感激!
園長先生夫人からは、「『みんなともだち』の先生方の似顔絵は私が在籍しているうちに描き直していってほしい」と言われ、これもまた嬉しいリクエスト。(今回は、新しく変わられた先生がたの似顔絵だけを私が描き直した)

長男が入園してからの10年間。
長男・長女・次女のそれぞれ2年間ずつ以外にも、園児達の喜ぶ顔が見たくて人形劇を続けてきた。
同時に、志を同じくする仲間と一緒に、いい作品、舞台を作るためにディスカッションしながら、皆で協力し合って作業をし、公演する。『けこみ』の中まで伝わってくる子ども達の応援や歌声に反応して、辛い体制もなんのそので頑張るメンバーたち。客席には、その裏の大変さを微塵も感じさせず、観客をおとぎの世界に入り込ませ、ワクワク、ドキドキさせる人形劇。音楽劇。
公演を終えた後の達成感・充実感、舞台と客席との一体感は、まさに『役者3日やったら辞められない』。それ以上に、拍手の中、黒子を通してでも気持ちが伝わりあう、仲間同志の達成感・一体感は、本当に感動的です。 

私は、この春で、今まで私を支え、癒してくれたこの人形劇団から卒業し、園児たちから、『かつて園児だった子ども達』と共に、彼らの今抱えている、ぶつかっている問題に、教師としての立場に立って、一緒に取り組んでいこうと思う。
教師としては『新米』で、キャリアも勉強も不足しているけど、遠回りしてきた分、いろんな『引き出し』『チャンネル』を持っていると自負している。
現場の現実をよく分っていない分、その場になったら立ち往生してしまったり、ボロボロになってしまうかもしれないけど、そんな時は、この『古巣』に癒されに帰ってきて、元気を分けてもらおうと思っている。

中島みゆきの歌に
♪思い出してごらん~ 五つの頃を~
という歌があるが、宝物のような夢一杯の楽しい幼児期を過ごした経験を持つ子は幸せ。思春期・反抗期にチョッとぐらい難しくなっても、『幸せな原風景』を持っていれば、大丈夫。問題は、そういう経験を持たないまま思春期を迎えた子ども達。子ども時代を子どもらしく過ごせなかった『ひずみ』は、いろんな形で、その人の人生や、周りの人たちをも巻き込んで、マイナスにマイナスに作用していく。その結果が、『アダルトチルドレン』という現象になって・・・。

子どもと大人の『ハザマ』でいろんな現実問題にぶつかっている多感な中学生。
13歳~15歳って、一番いい時代だよね~!!てことは、♪後から~しみじみ~思うもの~なんだろうか・・・。

子どもの心を忘れない、でも、その『魔法を信じる心』を『誰かを元気にする魔法』に変えて中学校に乗り込もうと思います。

不思議な帽子 3月公演

2003-03-26 07:57:00 | 徒然なるままに
3月4日(火)
 
人形劇3月公演本番。
私にとっても卒業公演。
昨日のリハーサルのボロボロ状態を、たった1回公演で、しっかりやれるかどうかがちょっと不安だった。
はじまる前、恒例の『黒豆』を皆にふるまっている時に、OBの皆さんが陣中見舞いにきてくださり、感無量。
この8年間のあれやこれやが思い出されて、ちょっとグッと来てしまったけど、あまり気負わず、リラックスして、最後の公演を楽しんでやろうと思うようにした。

お天気もよくて、お母さんたちもかなり見に来てくれた。後から聞いたら、我がソーラン隊の幼児を持つお母さんたちも、子連れで見にきてくれていた。うれしい!

劇は、役者がノリにノッて今までで一番の出来だった。やはり、本番、子ども達の劇の中にのめりこんでくるような声援は『起爆剤』だ。
大道具、小道具の出し入れもスムーズで、照明や音響もタイミングばっちりだった。

8年前、奇しくも同じ『3枚のお札』でデビューし、上の子2人には在園中に見せてあげられたのに、次女にはついに見せて上げられなかったことを改めて後悔した。
昨夜、「学校を休んでも見に行く」と泣いて駄々をこねた次女。それを「3学期、今までお休み0でしょ。ビデオにとってもらうから。」とたしなめ、登校させたが、やはり、ビデオでは体験できない臨場感と、私の最後の舞台を、たとえ学校を休ませても、1年生の次女には見せてやりたかった。

でも、それは、卒園児を持つメンバーのどの親子も同じなんだよね・・・。

音楽劇。
『歌えバンバン』子ども達の大合唱に、カエル役もわに役も、どんな体勢もばっちりのタイミングでやりこなし、練習の成果が出ていた。
 問題の『トレロカモミロ』は、一箇所だけ、惜しいところがあったけど、それは結果オーライと言う事で、最後がバッチリ決まってほっとした。
『みんなともだち』は、卒園児の母としてでの参加ではない分、冷静にやれた一方で、初めてこの作品に取り組んだ頃の思いや、3人の子ども達のそれぞれの卒園時や、その後の子ども達の成長を思うと、やっぱりグッと来てしまった。

♪みんなともだち ずっとずとともだち
 学校へ行っても ずっとともだちー イェイ!
 みんなともだち ずっとずとともだち
 大人になっても ずっとともだちー 

先生方も、お母さんたちも、涙涙の『みんなともだち』だった。

アンコールは『また会える日まで』(歌・ゆず)

たくさんの、宝物のような思い出をどうもありがとうございました!

たかはしべんコンサート

2003-03-12 04:13:00 | 徒然なるままに
3月2日(日)

千葉市学童保育連絡協議会主催の
たかはしべんコンサートに行って来た。
『笑顔は子どもに・メッセージは大人に』というように親子で楽しめるコンサートだった。

ギター一本で、トークを交えての、平土間形式のコンサート。
迫力があって、あったか~くて、面白いけど、ジーンと来る、その歌のメロディとメッセージに、子供たちも、ぐいぐい引き込まれていきました。
1時間半たっぷり笑って、ちょっぴり泣けて、なんだか心がほっこりして、戦争のこととか、差別のこととか、地球に優しくとか、命を大切にするとか、いっぱい大切な心のお土産と勇気をもらったような気がします。
改めて、歌の力って、すごいな~と重いました。

こだわりの味・素材を生かす味

2003-03-04 04:04:00 | 徒然なるままに
先日、埼玉県立近代美術館主催の『美術教員講座』を受講して来た。

終了後、浦和に住む旧友と久しぶりに会って、一緒に食事をした。
友人のそのお薦めのお店は、浦和駅の東口からちょっと行ったところで、『よし佳』(TEL:048-886-8988)というお寿司屋だった。

友人は、その店の常連で、付け合せから、メインの握りまで、注文する方も、握る方も、そのこだわりようといったら、まさに『美味しんぼ』の世界だった。

お店のご主人は、若い時から日本中の寿司屋を修行して歩き、米や、水、塩、酢から、ネタに至るまで、何時、どこで取れるのが美味しいかを自分の舌で確かめた上で、今の店を持ったそうだ。
でも、全部一級品をそろえたところで、あまりに高級品ばかりでは、気軽に食べに来てはもらえない。だから、B級品ではあるが、そこで捕れる旬のものを厳選し、その素材を生かす最高の技で勝負しているのだそうだ。

友人も、海辺の町で育ち、魚の味にはうるさい上に、食通で通っているのだが、その友人が太鼓判を押すだけあって、どの品も『目からうろこ』のような味だった。

私が今まで食べてきたものは一体何だったんだろう。これが、本物の味なんだと感激しつつ、お店のご主人がこの味にたどり着くまでの修行や研究を思って感動してしまった。
まさに、いながらにして、日本中の旨いもんが次から次に出てくる感じ。
極めつけは、6年に一度しか捕れない(味わえない)魚もこの店で味わえるそうだ。
ただ、こういう味を知ってしまうと、もう、他のものでは満足しないというか、食べる気がしなくなるらしい。(友人談)

私のような一介の主婦で、スーパーの値引き商品でやり繰りしているようなものには夢のような話である。
まして、子ども達には、小さいうちからこういう贅沢な味を覚えさせたらどうなちゃうんだろう。まだ早いよな~。
なんて思っていたら、子ども達用にと折り詰めのお土産まで頂いてしまった。
家に帰り、子どもたちに食べさせたら、皆喜んで食べた。
素直に「これ、美味しいねえ!」と感動して食べる姿に、いつもというわけには行かないが、『食育』として『食文化』を学ばせる意味でも本物の味、技の味を味わわせる事も必要なんだと思った。
出来れば、折り詰めではなく、作った人の顔が見え、その手元を見ながら、そのこだわりの心意気を聞きながら・・・。

子ども達と今、毎週楽しみにしている中華料理のドラマがある。
料理の面白さもさることながら、毎回難しい注文に、メンバーが皆で知恵や技を出し合って、新しい料理、美味しい料理を作り出していく話である。
ドラマで見ているほうは、役者の演技でしか、その美味しさを想像することしか出来ないが、出来る事なら、年に一回でも、生涯心や舌に残るような美味しい味、本物の味を味わわせる体験をさせてあげたいものだと思う。

音楽や美術などの芸術や、スポーツ観戦とかもそうだ。
一流の、プロの、本物の技。それに憧れ、それを目指し、情熱を注いでいる姿。そういうものとの出会いを大切に、できるだけそういう機会を作ってあげたいと思う。

一方で、プロの技には到底及ばないが、娘達にはちょっと手をかけた、我が家ならではの味というものも覚えていってほしいと思う。こちらの方は、私が頑張らないと・・・ね。