3月12日(木)
卒業式が終った。
3月に入ってから、毎日成績付けと学年会計の締め作業に追われ、卒業の感傷に浸っている余裕もなかった。
式練習も、しっかり時間どおり、段取りどおりできるかというところに神経が行ってしまう。
前日遅くまでかかって、最後の学年便りを仕上げた。カラーでB43枚分の卒業特集号だ。メッセージを打ちながら、泣けて泣けてしょうがなかった。
そうこうしている間にあっという間に卒業式当日を迎えた。
立派な卒業式だった。
会場も、卒業生も、在校生たちも。
式が終わってから、生徒たちによるサプライズがあった。
3階の廊下からメディアコーナーまで花道を作り、先生方を迎えてくれた。
そして、それぞれの先生方のイメージに合った花束を贈られた。
ちなみに私の花束は、ピンクや赤のチューリップでアレンジメントされたかわいらしい花束だった。(え~?私のイメージってこんな感じ~???)
きっと、感謝祭で『ポニョ』を演ったイメージが強かったのかな?
その『先生方への感謝の会』の席で、私は生徒に2つの『ありがとう』を言った。
1つ目は、全員を呼名、全員の返事が聞けた卒業生全員出席の卒業式に、初めて参加できたことへの『ありがとう』
自分の子どもの卒業式も含め、教師になってから今まで、卒業生全員出席の卒業式はなかった。
アルバムの編集をしているときに、カメラマンの人が、全員参加の集合写真が撮れた事をほめてくださった。
『不登校』のいない学年。今の時代には奇跡に近い。それは、教師や生徒だけの努力ではない。家族の理解や応援があってこそだと思う。でもやはり、一番は、クラスや学年の力だと思う。
『皆で一緒に卒業しよう!』その意識と努力が実を結んだのだと思う。
もうひとつの「ありがとう」は、私の夢について。
3年生との授業を通して、実は教える側でありながら、私自身のほうがすごく勉強になった。
修学旅行に役立つようにと『仏像を100倍楽しく見る方法』という鑑賞授業のために結構勉強した。『ピカソとゲルニカ』の研究授業に取り組むために、去年以上に勉強した。『ゴッホ』の鑑賞後、『ジャポニズム』『北斎・広重』の鑑賞授業のためにずいぶん勉強した。『阿修羅展』への事前授業のためにかなり勉強した。
『日本の国宝』というDVDを○○十万円もするのをローンで買ったが(自腹・返済中)もとを取れた上、、おつりが来るくらいの成果と手ごたえをもらった。
最後の授業アンケートの中には、
『先生の授業を受けて、日本人に生まれたことを誇りに思いました。』
『日本の美術がヨーロッパの人に受け入れられ、興味を持たれただけでなく、世界の巨匠たちに影響を与えたことを知り、感動しました』
『日本人として、自分の国の歴史や文化・芸術の良さをもっと知り、大切にしようと思えるようになりました』
『世界に影響を与えた先人たちに負けないような、現在・未来のジャポニズムを作るために、自分も頑張ろうと思った』
など、読むのも大変なくらい細かい字でびっしり書いてあった。
『美術が好きになった』『楽しかった』『次の学校でも、美術の楽しさを教えてあげてください』という感想は今までももらった。
でも、今回の感想を読んでいくうちに、私はひとつの夢を見るようになった。
私の夢は
『マチュピチュの遺跡でケーナを吹くこと』だ。それは15歳(中学3年生)の時から今も変わらない夢だ。
でも、去年、ある生徒から、
『先生、その夢が叶ったら、その後はどうするの?』
と聞かれて、正直、即答ができなかった。
「夢が叶ったら、また新しい夢を追いかけるさ。」
と応えたような気がするけれど、具体的な『新しい夢』はそのときは、思いつかなかった。
自問自答し続けた1年間の中で、やっと答えのヒントが見つかった。
『ジャポニズム』。ペルーにはたくさんの日系人がいると聞く。自分の祖先の祖国の文化を知る機会は、日本の中学生よりはずっと少ないだろう。そこに行って、幕末から明治にかけて、フランスでジャポニズムを広めた『林忠正』みたいに、日本の美術を紹介できたらいいなあと思った。
そのためにはもっともっと日本の美術と歴史を学び、自分自身も画力を高めたい。と同時に、『インカ文明』だけでなく、ペルーの歴史や文化・芸術の変遷や良さを勉強し、日本にそれを紹介できるぐらい精通したい。
そんな意欲と覚悟が子どもたちのメッセージを読んで聞くうちに、ムクムクと湧き上がってきた。
何年かかるか分からないけれど。まずは、現地に行ってみる。向こうの人と話してみる。そこから始めよう!
15歳のときからみ続けている夢から、『お金がない』『暇がない』『体力が落ちてきている』など言い訳をして逃げてきた。
その夢から逃げない覚悟を決めさせ、背中を押してくれたことと新しい夢(目標)を持たせてくれたことへの『ありがとう』
♪遠く遠く離れていても
僕のことが分かるように
力いっぱい輝ける日を
この街で迎えたい
♪大切なのは変わってくこと
変わらずにいること
来週からあの教室に3年生がいないと思うとたまらなく寂しい。
3年2組の美術室掃除のメンバーが、もう美術室を掃除に来てくれないのかと思うととっても淋しい・・・。
でも、あと2週間で、皆は高校生。
私も次の赴任校に向けての準備を始めなくてはならない。
感傷に浸っている暇はない。
新しい夢に向かって、私も『はじめの一歩』を踏み出す準備と、『立つ鳥跡を濁さず』の毎日をがんばろう!
99人の卒業生たち、卒業おめでとう。そして、たくさんの思い出と感動をありがとう。*(桜)**(桜)*
卒業式が終った。
3月に入ってから、毎日成績付けと学年会計の締め作業に追われ、卒業の感傷に浸っている余裕もなかった。
式練習も、しっかり時間どおり、段取りどおりできるかというところに神経が行ってしまう。
前日遅くまでかかって、最後の学年便りを仕上げた。カラーでB43枚分の卒業特集号だ。メッセージを打ちながら、泣けて泣けてしょうがなかった。
そうこうしている間にあっという間に卒業式当日を迎えた。
立派な卒業式だった。
会場も、卒業生も、在校生たちも。
式が終わってから、生徒たちによるサプライズがあった。
3階の廊下からメディアコーナーまで花道を作り、先生方を迎えてくれた。
そして、それぞれの先生方のイメージに合った花束を贈られた。
ちなみに私の花束は、ピンクや赤のチューリップでアレンジメントされたかわいらしい花束だった。(え~?私のイメージってこんな感じ~???)
きっと、感謝祭で『ポニョ』を演ったイメージが強かったのかな?
その『先生方への感謝の会』の席で、私は生徒に2つの『ありがとう』を言った。
1つ目は、全員を呼名、全員の返事が聞けた卒業生全員出席の卒業式に、初めて参加できたことへの『ありがとう』
自分の子どもの卒業式も含め、教師になってから今まで、卒業生全員出席の卒業式はなかった。
アルバムの編集をしているときに、カメラマンの人が、全員参加の集合写真が撮れた事をほめてくださった。
『不登校』のいない学年。今の時代には奇跡に近い。それは、教師や生徒だけの努力ではない。家族の理解や応援があってこそだと思う。でもやはり、一番は、クラスや学年の力だと思う。
『皆で一緒に卒業しよう!』その意識と努力が実を結んだのだと思う。
もうひとつの「ありがとう」は、私の夢について。
3年生との授業を通して、実は教える側でありながら、私自身のほうがすごく勉強になった。
修学旅行に役立つようにと『仏像を100倍楽しく見る方法』という鑑賞授業のために結構勉強した。『ピカソとゲルニカ』の研究授業に取り組むために、去年以上に勉強した。『ゴッホ』の鑑賞後、『ジャポニズム』『北斎・広重』の鑑賞授業のためにずいぶん勉強した。『阿修羅展』への事前授業のためにかなり勉強した。
『日本の国宝』というDVDを○○十万円もするのをローンで買ったが(自腹・返済中)もとを取れた上、、おつりが来るくらいの成果と手ごたえをもらった。
最後の授業アンケートの中には、
『先生の授業を受けて、日本人に生まれたことを誇りに思いました。』
『日本の美術がヨーロッパの人に受け入れられ、興味を持たれただけでなく、世界の巨匠たちに影響を与えたことを知り、感動しました』
『日本人として、自分の国の歴史や文化・芸術の良さをもっと知り、大切にしようと思えるようになりました』
『世界に影響を与えた先人たちに負けないような、現在・未来のジャポニズムを作るために、自分も頑張ろうと思った』
など、読むのも大変なくらい細かい字でびっしり書いてあった。
『美術が好きになった』『楽しかった』『次の学校でも、美術の楽しさを教えてあげてください』という感想は今までももらった。
でも、今回の感想を読んでいくうちに、私はひとつの夢を見るようになった。
私の夢は
『マチュピチュの遺跡でケーナを吹くこと』だ。それは15歳(中学3年生)の時から今も変わらない夢だ。
でも、去年、ある生徒から、
『先生、その夢が叶ったら、その後はどうするの?』
と聞かれて、正直、即答ができなかった。
「夢が叶ったら、また新しい夢を追いかけるさ。」
と応えたような気がするけれど、具体的な『新しい夢』はそのときは、思いつかなかった。
自問自答し続けた1年間の中で、やっと答えのヒントが見つかった。
『ジャポニズム』。ペルーにはたくさんの日系人がいると聞く。自分の祖先の祖国の文化を知る機会は、日本の中学生よりはずっと少ないだろう。そこに行って、幕末から明治にかけて、フランスでジャポニズムを広めた『林忠正』みたいに、日本の美術を紹介できたらいいなあと思った。
そのためにはもっともっと日本の美術と歴史を学び、自分自身も画力を高めたい。と同時に、『インカ文明』だけでなく、ペルーの歴史や文化・芸術の変遷や良さを勉強し、日本にそれを紹介できるぐらい精通したい。
そんな意欲と覚悟が子どもたちのメッセージを読んで聞くうちに、ムクムクと湧き上がってきた。
何年かかるか分からないけれど。まずは、現地に行ってみる。向こうの人と話してみる。そこから始めよう!
15歳のときからみ続けている夢から、『お金がない』『暇がない』『体力が落ちてきている』など言い訳をして逃げてきた。
その夢から逃げない覚悟を決めさせ、背中を押してくれたことと新しい夢(目標)を持たせてくれたことへの『ありがとう』
♪遠く遠く離れていても
僕のことが分かるように
力いっぱい輝ける日を
この街で迎えたい
♪大切なのは変わってくこと
変わらずにいること
来週からあの教室に3年生がいないと思うとたまらなく寂しい。
3年2組の美術室掃除のメンバーが、もう美術室を掃除に来てくれないのかと思うととっても淋しい・・・。
でも、あと2週間で、皆は高校生。
私も次の赴任校に向けての準備を始めなくてはならない。
感傷に浸っている暇はない。
新しい夢に向かって、私も『はじめの一歩』を踏み出す準備と、『立つ鳥跡を濁さず』の毎日をがんばろう!
99人の卒業生たち、卒業おめでとう。そして、たくさんの思い出と感動をありがとう。*(桜)**(桜)*