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交流

結婚祝賀会の会場の下見

2004-04-30 09:14:00 | 徒然なるままに
4月29日(木)

今日はみどりの日。私たちが子どもの頃は、(昭和)天皇誕生日だった。どういうわけで「みどりの日」になったのかは忘れてしまったが、いよいよG・W突入だ。

午後、土岐先生の結婚祝賀会の会場の下見と打ち合わせに出かけた。
シェフの方は、老舗から引き抜いてきたと聞いていたので、年輩の方かと思っていたら、とても若い青年だった。
高1の子どもたちが中心になっての立食パーティーなので、安くてボリュームがあって、それでいておいしいお料理という難しい注文に、
「家にも高校生の弟がいるので、よくわかります。」とおっしゃって、快く引き受けてくださった。
開場も広くて、防音効果もあり、みんなで歌ったり踊ったりたくさんの人と楽しめる雰囲気だった。
帰宅後、息子に子ども実行委員を頼んだら、照れながらも喜んで引き受けてくれた。
1ヶ月後、どんなパーティーになるのか楽しみだ。


今日はお父さんの誕生日。

2004-04-30 04:53:00 | 徒然なるままに

お誕生日プレゼントに、夏川りみのCDにイラストをつけて贈るはずが、忙しさにかまけて押せ押せになって、ついに今日になってしまった。
しかたがないのでイラストの下描きにメッセージを描いてFAXで送った。
久しぶりに描くのと、琉球衣装の複雑さで、今日中に仕上げることができなかった。
連休中には仕上げないと。ごめんね、お父さん。

『パッション』

2004-04-30 04:41:00 | 徒然なるままに
午前中はリトルギャングのサークル会。
幼稚園や小学校で、溶連菌やら扁桃腺をやられる風邪やらが流行っていて、親子で体調を崩している人もいて、欠席者が多かった。
今日はしまった長袖を出したくなるような肌寒い日。家でも妹が調子悪くて寝ている。

午後から、教習所時代の友人と花見川の華屋与兵衛で聖書の話をした。彼女は熱心な『エホバの証人』の人だ。
先日亡くなった友人の教会での葬儀や、彼女の生き方について話したり、『パッション』や 『ジーザスクライスト・スーパースター』の映画の話などをした。
イエスの最後の12時間を題材にした映画はたくさんあるけれど、今度のメル・ギブソン監督の『パッション』は興味深い。
上映中に、あまりの残酷さにショック死した人や、映画を見た後、罪を悔いて自首した人、現ローマ法王が『史実に基づいている』と評したなどとかく話題の多い映画だ。
『ものみの塔』の彼女たちにとっても、興味深い映画だということだが、『ジーザスクライスト・スーパースター』 の私の解釈と説明はあまり受け入れてもらえなかったようだ。

夜、息子と『パッション』の話をしたら、見たいと思って友達誘ったら、みんながあまりりいい反応を示さなかったらしい。
一緒に見に行くかと誘ったら、珍しく「いいよ」と乗ってきた。
映画を鑑賞する前に、聖書を少しは読んでおかないと。

『春の嵐』

2004-04-30 03:54:00 | 徒然なるままに
4月26日(月)

 今日は、昨日の体育祭の振り替えで長女は休み。早速朝から友達と遊びに行った。
 夕方、診療内科に行ってくれた妹を迎えに行った。
 先生からは、妹から見た私と長女の親子関係についていくつか質問があり、次回私が来院する時に、妹が日常気がついたことをメモして私に持って来させるようにと指示があったそうだ。
 先生としても、正直なところ、問題が複雑で難しく、治療法に困っているのだそうだ。
 なんとも心もとない話だが、じっくりかかって取り組んでいくしかないのだろう。

 昨日のNHKのTV番組の中で、今の子どもたちの『不登校』という現象は、戦後の学校教育のあり方についての子どもたちからの警告だという見方をしていた。
 強い国、進んだ国を目指し、同じ価値観や知識をインプットするような大量生産型一斉授業の弊害が、子どもたちの『荒れ』や『不登校』という負の形になって現れているのではないだろうか・・・。
 それをプラスに転化させるためには、その負の現象の根底や背景を明らかにしていかなくてはならない。なぜなら、このままの状態では、この負の現象は無くなるどころか、ますます増えていき、当たり前のことになっていってしまうかもしれない。
 見方によっては、感受性の強い子などは特に、学校に適応できないから『不登校』しているのではなく、逆に『不登校』することで社会に適応しているのかもしれない。
 
 長女の場合はもうひとつ、いつか訪れるであろう彼女の『成長した日』のために、必要があって過ごしている日々であり、置かれている状況なのかもしれない。乗り越えるべくして現れる『壁』なのであれば、逃げてもまた現れるのであろう。
 かつて息子がそうであったように、そして今の息子の成長があるように、長女にはこういう形で現れ、母親としての私に取り組ませていることなのだろう。
 『つわり』の『出産』も三人三様だったように、思春期・反抗期もそれぞれの個性的にあった現れ方なのだろう。
 息子のときの大変さは、今はあの頃があったから今のつらさに耐え、待つこともできる強さに転嫁していると思う。
 息子自身もずいぶんと成長し、今は私とも何でも話せる関係になり、私を労わってくれるようになった。長女のことも心配し、見守ってくれている。私がいろいろ言わなくても、自分の将来についても考えてはいるようだ。
 そのための2年間の『嵐の日々』だったのだろうか・・・。
 その計算で行くと、長女の場合は、あと3ヶ月ぐらいは親子で嵐の真っ只中を手探り状態で進んでいかざるを得ないだろう。
 でも、今回は、家の中にも、外にも強い味方がいる。一人で背負い込まず、自分を責めず、安定していられる時間と距離を保ちながら、『春の嵐』を受け止めていこう。

わくわく♪♪

2004-04-30 02:51:00 | 徒然なるままに
4月25日(日)

 きょうは、母ネットのメンバーのうち4人で、花見川のオランダ家の二階に下見に行った。
 ホールはあいにくピアノの発表会が使用中で、中の様子は見られなかった。
 隣のイタリアレストランのオーナーの方が対応してくださったところによると、
・料理を頼んでくれれば、部屋の使用料はない。
・100人くらいの立食パーティーが可能。
・ピアノの使用料は5000円
・ダンスもカラオケOK.
ということだった。
 食べ盛りの高校生たちの立食パーティーという会費の設定、進学先が多岐にわたっている卒業生たちの連絡方法や、ドレスも新婚旅行先もまだ決まっていない先生のスケジュール調整など、課題は山積みだがなんだかわくわくする企画だ。
 息子に報告すると、結構乗り気になってくれた。
 久しぶりに旧6年2組が集まって、親子で取り組む楽しい企画だ。
 ソーランで築いた絆が、こんなにも強く長続きしていることに驚き、感激する。
 このネットワークが、ますますいい感じで長く続いていきますように・・・。

子どもネット、母ネット

2004-04-28 06:03:00 | 徒然なるままに
4月24日(土)
その後、おやこまつりに参加している末娘を迎えに行った。
ちょうど、最後の『人間天ぷら』ゲームが終わりに近づいている頃だった。小麦粉だらけ、水浸し状態の大騒ぎの真っ最中だった。
家を出るときは、
「お熱がまたあがるから『人間天ぷら』はやんない。」
と言っていたはずが、半袖で水鉄砲片手にお友達を追いかけ回しているのは???!
ケーナ演奏も、駄菓子屋さんも上手くいったようで、みんな大満足そうだった。
ケーナの仲野さんも、楽しそうだった。

夜、今度はガストで母ネットの集まり。
今日は、土岐先生を交えて、先生のご結婚を祝う会の打合わせと、みんなそれぞれの高校に進学してからの子どもたちや各家庭の様子を報告し合った。
ことごとくそれそれが違う学校に進学し、それぞれの新しい高校生活は、興味深くもあり、みんな、学校や生活のリズムに慣れるのに、母子で必死だ。
毎日の弁当作りに、自転車、バス、電車を使っての通学。新学期が始まって1ヶ月もたっていないのに、これが3年間続くのかと思うと・・・。
親にできることは、お金を出すことと弁当を作ることぐらいなものだけど、当たり前のようで、これが結構きついのだ。まあ、とにかく、せっかく合格して入学した高校の3年間を元気に過ごしてくれればと思う。
 パーティーの件はいろいろなアイディアや意見が出たが、高畑さんお薦めのお店を明日下見に行くということで終わった。
 みんなの思い出に残る、素敵なパーティーにして行こう!

綱引き

2004-04-28 06:02:00 | 徒然なるままに
4月24日(土)
今朝は、5人分のお弁当を作った。
長女は自分から早起きをして、自分で詰めた。
息子は、津田沼高校との練習試合。
長女は体育祭。
末娘は子どもネットのおやこまつり。
それぞれを送り出してから、妹と体育祭に応援に行った。
おととい、筋肉痛で3時間目から登校した長女は、クラス対抗リレーでも一生懸命走っていたし、綱引きでも、力いっぱいがんばっていた。
友達を大きな声で応援したり、一緒に抱き合って喜んだり、体育祭を楽しんでいるように見えた。
私も、PTA競技の1輪車での大玉運びや綱引きに出場。3年生男子とPTAの綱引きでは、去年『敵』だった現高1の卒業生たちと一緒に、力いっぱい綱を引いた。転任されて行った校長先生や教頭先生も参加しての綱引きだった。
彼らとの3年間のいろんなことが思い出され、なんだか胸の奥がジンと来た。
あの頃、あまり学校に来れなかった子も、やんちゃをしてばかりだった子も、制服をちゃんと着ていなかった子も、生徒会や部活動でがんばっていた子も、
親も先生も一緒になって、綱を引いた。
結果、2-0で勝った!みんなで一緒に喜んだ。
在校生300人あまりの小さな中学校の体育祭。
卒業生も、転任されていった先生方も、保護者も他校の中学生も一緒になって盛り上げた体育祭だった。
長女の中学校の思い出のアルバムに、どんな1日として残るのだろうか・・・。

ソーラン隊TV取材!

2004-04-28 06:01:00 | 徒然なるままに
4月23日(金)

今日、ケーブルネット296のTV取材があった。
連絡網で流したとおり、5:00にはメンバーがそろい、放送局の人と打ち合わせをしている間に、みんなのストレッチも終わった。
今回は残念ながら、衣装の直しが間に合わず、私だけが新しい衣装を着ての取材となった。
『南中ソーラン』、『どっこいしょ』、『よさこい島』のイージーとノーマルの4曲を踊り、後半は、それぞれのパート練習をしている様子をバックに、私がインタビューを受けるという感じで進み、最後に、みんなで
「5月2日の佐倉・時代まつりに向けて、がんばるぞー!」「おーっ!」 と、鬨の声を上げた。
今日の取材の様子は、7分ぐらいのコーナーに編集され、来週の月曜日から1週間、16:00~と18:30~と24:00~のニュースで毎日放送されるのだそうだ。5月2日当日は生放送。その後、16日には、1時間の特別番組として編集され、放送されるということだった。残念ながら、私たちの地区はエリア外なので、放送自体は直接見ることはできないが、
後でビデオで見ることはできそうだ。
 カメラマンの方が、踊っているときの子どもたちの表情が良かったとおっしゃってくださった。
 インタビュアーの方にも、背中の『楽』文字通りに、見ているほうも元気に楽しくなる踊りだとほめていただいた。
 本番、新しい長半纏お披露目ソーラン。衣装に負けないくらい元気に楽しく踊って、ばっちり決めるぞ~!

『神とともにいまして』

2004-04-28 05:59:00 | 徒然なるままに
4月22日(木)

今日は、19日に亡くなった友人との最後のお別れの日。
春風が心地よく、穏やかな、明るい青空が広がっていた。
彼女があの眼差しでがみんなを見守ってくれているようなお天気だった。
ちょっと早めに教会に到着できたおかげで、今日は中に入って、牧師さんやご主人のお話、お嬢さんのエレクトーン演奏も聴け、一緒に賛美歌を唱和することもできた。
牧師さんのお話の中で、彼女がどう自分の病気と、残された時間に向き合ってきたか、そして、どのような最期の迎え方をしたかを知ることができた。
昨日、彼女を拝顔したとき、最後の最後まで人をほっとさせ、明るく励ますような表情で逝くことができる彼女の生き方に強く感動した。
きっと、皆が見守る中、穏やかにその生涯を閉じられたのだろうと思っていた。
ところが、今日のお話では、見舞ってくれたみんな一人ひとりのことを気遣い、特にお嬢さんには、
「お母さんは大丈夫だから。明日学校でしょう。早く家にお帰りなさい」
と、笑顔で見送ってくれたのだそうだ。
その後、急変し、再び駆けつけたときには、一人静かに天に召された後だったそうだ。
なんと彼女らしい、天晴れな最期だったことだろう。

ご主人は、涙をこらえ、
「彼女は、こんなにもたくさんの友人たちと(残された)私たち(父子)を引き合わせてくれました。そういう意味でも、彼女はよくやってくれました。
今日は彼女の人生最後のフィナーレにご出席いただき、ありがとうございました。」
とご挨拶された。

牧師さんは、
「献花のときは、どうぞ『さようなら』とは言わないでください。『また会いましょう』と言ってあげてください。
今日は、彼女の第二の門出の日なのですから。」
とおっしゃった。
出棺の後、リムジンを見送った後の空は、どこまでも青く澄み渡り、これから彼女が天に召されて上っていく道を春風が掃き清めているようだった。

友よ、大切な思い出をどうもありがとうございました。
あなたに出会え、一緒に過ごせた日々を幸せに思い、これからも大切にして生きていきます。
いつか、天国でまた会えたら、今度こそ一緒に津軽弁と石巻弁の人形劇をやりましょうね!

『今を生きる』

2004-04-28 05:58:00 | 徒然なるままに
4月21日(水)

18:00前夜式。
『お花料』の封筒を探しているうちに時間に遅れてしまった。
次から次へと訪れる弔問客で教会はいっぱいになっていた。
中から途切れ途切れに聞こえる賛美歌や、牧師さんの言葉。久しぶりの会う友人や、いつも冗談を言っている仲間と目が合っても、お互いに、無言で視線を交わすだけ・・・。
彼女の名前が入った告別式というたて看板の文字を見ても、まったく現実感が沸かない。

しばらくたって、献花が始まり、教会の中にいた人たちと入れ替わるように中に入った。
白いカーネーションをいただき、ご遺影を見たとき、初めて一気に現実を突きつけられ、後悔と大きな喪失感に谷底に突き落とされていくような感じがした。花に囲まれた写真は、いつもの彼女の笑顔だった。もうこの笑顔を見ることはできないのだ。あの声を聞くこともできないのだ。
と、花を置こうとしたとき、棺の中の彼女の笑顔を見た。
それは不思議な笑顔だった。
生前も、彼女の笑顔は人をほっとさせ、和ませ、明るく励ましてくれた。
亡くなってなお、ここに駆けつけた人の涙をそっとぬぐって、逆に励ますような、すべてを許し受け入れてくれるような穏やかな笑顔で彼女はそこにいた。

昨日、友人から、この1ヶ月は具合も悪く、最期は腸閉塞で苦しんで逝ったということを聞いていたが、彼女の短くなった髪の毛や、やせて小さくなった顔かたちは、その闘病の凄まじさを物語ってはいたが、表情は美しく、穏やかだった。

そのとき、私は、またひとつ彼女から、大切なことを教えてもらった。
私は、「今を生きる」とは、明るい未来のために、今できることを少しずつでも積み重ねて、未来につなげ、積み重ねていくことだと思い、子どもたち、ことに不登校で悩み苦しんでいる長女にもそう教えてきた。
でも、この先どうなるかわからない、まして余命を宣告されている人に、明るい未来なんてないのだ。
あるのは、今、この瞬間を生きているという現実だけ。この一瞬一瞬を生きるので、精一杯なのだ。

確実に迫る死と、肉体も精神も時間まで蝕む病魔との闘い。それらとどう向き合い、それでもなお会ったときには明るい笑顔で接してくれた彼女の強さと優しさはどこから来るのだろうと思った。

彼女のこの世での時間は、50年と4ヶ月だったけれど、きっと密度の濃い時間を生きたのだと思う。
「今を大事に生きる」ということは、未来のためではなく、自分がこの世を去るときに、「どう生きたのか」ということを自分で納得するために生きるのだ。
自分が生まれてきた意味なんて、誰も知らない。
でも、自分がこの世に生を受け、生きた証を刻むことには意味があるのだと思う。
「生き様」と「死に様」は表裏一体なのだ。
他人と違う人生、生き方、価値観、個性。それを恐れたり、恥じることなく、自分の人生を全うする。
それが「今を生きる」ということなのだと思う。
結果はおのずと現れる。そのときに、それをどう判断し、対応するか。
いつか乗り越えるべき壁は、逃げても逃げても必ず形を変えてまた現れるものだ。
現実を受け入れ、現状を認めてはじめて道が開けるのだと思う。
「今をどう生きるか」
その一瞬に一瞬が「過去」となって蓄積され、その延長線上に未来が待っているだ。
未来は変えられると思っていた。でも、変えようのない運命もあるのだ。後はその受け取り方なのだと思う。
彼女の笑顔は、それを私に教えてくれていた。
私の中に彼女は永遠に生き続ける。
そして、私が暗闇に突き落とされたとき、そっと肩を抱き、光が射す方向を教えてくれるのだろう。

今、肉体と精神の苦しみから解放され、静かに眠っている彼女。
どんなにか心を残し、生に憧れ、この世を去ったことだろう。
彼女を失った喪失感と悲しみは、ご遺族を始め、誰の心にも大きく癒しがたいものだ。
それをそっと優しく包んでくれるような、不思議な笑顔だった。
私にも今はの際が来るだろう。
そのときには、彼女のような表情で永久の眠りにつきたいと思った。

ご冥福を心からお祈りいたします。